ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧神岡町神宮寺を往く-4(その7)

2020年08月04日 | 旧神岡町を往く

<「神宮寺」街中の旧「羽州街道」)

●歩いた日:2020年6月18日(木)

●歩いた所
 ・神宮寺:中川原道南、館の西、館の北、家後、蓮沼、本郷野、下栗谷田、荒屋入、荒屋、中瀬古川敷、新屋野、本郷道南、本郷下、神宮寺、屋敷南

●歩いたログ(足跡)(道のり5.9km)

(以上の地図:国土地理院)

 (「宝蔵寺」から出て)旧街道を少し東に進んだところで振り返る。

📷015:「神宮寺」街中の旧「羽州街道」

 道左手に交通標識のかかるところが「宝蔵寺」の入口。旧街道はこの辺りも微妙に起伏がある。
 ここで余談。右手前の家のすぐ奥、松の植え込みの中に白い看板があるのがわかるだろうか。実は「あくあくん」と書かれている。「あくあ」は「aqua(水)」のこと。だいぶ以前であるが、妻と「道の駅かみおか」に立ち寄った時、水と水草を入れた透明なガラス瓶の中に、メダカのような小さな魚を泳がせて売っているのを見つけた。広口の瓶にはコルク?の蓋をしてある。説明書きを読むと、餌やりを行うだけで水の交換は不用とあった。蓋をしていても水草が酸素を供給し、餌の残りや魚のフンなどは微生物が処理するように工夫して、瓶の中で一定の生態系が保たれるようにしたもののようである。
 いかにも涼しげで、居間に置いて眺めるのもいいだろうと、餌を付けてさっそく買い求めた。しばらくの間(一月ほど?)元気に泳いでいた魚が、瓶の置き場所が悪かったのだろうか、あるいは餌のやり過ぎだったのだろうか、何尾か死んでしまったので、その訳を知りたいとも思い製造元を訪ねていったらここだった。訪ねて見ると家の外と中に水槽をいっぱい並べ、魚や水草を育てながらガラス瓶の商品を作っていた。以前は学校の先生だったという主は、自分で研究を重ね、水を交換しなくてもずっと魚を飼っていける環境を作り出すことができるようになった、などと色々説明してくれた上に、持って行った瓶に元気な魚を無料で入れてくれた。
 その後もかなり改良されたのだろう。現在、楽天市場に開設されている「大仙市公式アンテナショップ」でも販売されているようだ。ただ、一人でつくるので数多くはできないらしく、売り切れの表示が出ていた。長い余談になってしまった。
 また、東に向かうと道端に「神宮駅伝馬役所跡」の標柱が立つ。それによると、「安永」年間(1772~1781年)の洪水で、「羽州街道」が「新丁」(ログ地図参照)に通され、それに伴って移転するまで伝馬役所があった場所、とのこと。ということは、この後歩いた「羽州街道」は洪水後に付け替えられた道で、「新丁」、「新道」の地名もそれに由来するもののようだ。付け替えられる前の「羽州街道」はどこを通っていたのか。正確には分らないが、洪水被害ということを考えると、もっと「雄物川」寄りの、今では街の裏になっているところを通っていたと推測される。
 さらに少し行くと、右手に「神宮寺」のもう一つの酒蔵である「刈穂酒造」がある。そこの角を左(北)に折れ、前方に「神岡小学校」の校舎を見ながらしばらく進む。道が突き当たったところで振り返る。

📷016:「神宮寺」街中の旧「羽州街道」2

 道奥が「刈穂酒造」で、そこから手前に来たところ。この辺りが「新丁」に当たり、付け替えられた後の「羽州街道」になる。道の右手(西側)に普通の町屋と異なり、塀を備えた広い屋敷が並ぶ。この一角に「神宮駅伝馬役所」が移転したようだ。また、昔の「神宮寺町役場」もこの辺りにあったようだ。
 右端の電柱に、先に紹介した「東北醤油」の「万能つゆ 味どうらくの里」の看板が見える。
 この角を右に折れ、「神岡小学校」の南側の入口の前を過ぎてしばらく行くと、「八幡神社」の参道入口がある。

📷017:「八幡神社」参道入口

 鬱蒼と杉木立が茂る中を参道が奥へ続く。
 「地名への・・・」によると、「神宮寺」は神社に付属する形で造営された寺院のことで、地名の「神宮寺」は「八幡神社」に置かれた寺に由来するとある。「神宮寺」の古名は「添川」で、「仙北郡」一円の中心地であったともある。
 入口の右脇に市指定文化財の標柱が建ち並ぶ。
 それによると、「八幡神社」は806年に「坂上田村麻呂」が建立し、現在の本殿は1706年に建てられた、とある。
 そのほか、標柱には様々な文化財や行事について記してあるが、面白いのは神社の祭典「旗背負い」である。9mの竹竿に「八幡神社」の旗を取り付け、石を詰めたカマス6袋とともに体に括り付けて町内を一周して神社に向かう、ある。苦難を背負って疫病から逃れるため、というが、背負う人にすれば大変な行事だ。
 参道を進んで鳥居の手前でカメラを向ける。

(「八幡神社」の社殿)

 薄暗い参道とは対照的に、日射しを浴びて社殿が輝いている。先の標柱には、手前の拝殿はM12年に改築されたもの、とあった。いずれ立派な社殿である。
 社殿のすぐ奥を旧「国道13号」が通っており、スタート後まもなくそこを歩いた。

(その8に続く)


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