ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧神岡町神宮寺を往く-4(その4)

2020年07月25日 | 旧神岡町を往く

<「荒屋」付近の旧「国道13号」と旧「羽州街道」>

●歩いた日:2020年6月18日(木)

●歩いた所
 ・神宮寺:中川原道南、館の西、館の北、家後、蓮沼、本郷野、下栗谷田、荒屋入、荒屋、中瀬古川敷、新屋野、本郷道南、本郷下、神宮寺、屋敷南

●歩いたログ(足跡)(道のり5.9km)

(以上の地図:国土地理院)

 (📷006の地点から)旧「国道13号」に出て右(西)に折れたところに標柱が立つ。

(「本郷野」、「富樫館跡」の標柱)

 「富樫館跡」の標柱である。説明文には、「富樫氏」は南北朝時代(14世紀半ば頃)に「加賀国」(現「石川県」)から流れ着き、ここに館を築いて居住。「宝蔵寺」と「白山社」を建立。1508年に「大曲土屋館」に移り、さらに1570年には「大曲高畑」に移った、とある。
 以前のブログ、「旧大曲市大曲を往く-4(その3)で、「丸子橋」のたもとに立つ「土屋館」の標柱について触れており、「富樫氏」は、「高畑」に「孔雀城」を築いて移り住んだ1570年に、国指定重要文化財の「古四王神社」を建立したことを書いた。
 十字路から旧国道を西に少し進んで振り返る。

📷007:「本郷野」の旧「国道13号」

 青い案内標識のすぐ先が前掲の標柱が立つ十字路。標識のすぐ左手にあるサイロのような高い構築物に「福乃(友)」の字が見える。
 左手の大きな建物は「JA秋田おばこ神岡支店」の事務所、その奥は農業倉庫だが今は閉鎖されているようだ。ただ、左手前に写るATMには客が立ち寄っていたので、ここは閉じられていない。
 同じ場所から反対側を望む。

(「本郷野」の旧「国道13号」2)

 立っている所は「本郷野」だが、この先は「下栗谷田」、「荒屋入」、そして「荒屋」となるようだ。
 しばらく奥(西)に進むと、右手に野球場とグランド、そしてその奥に学校が見えてくる。

(「荒屋」、「平和中学校」の入口)

 木立に遮られているが、校門を入って少し行った左手にグランドがあり、その奥に校舎がある。グランドの向かい側(道右側)が野球場。
 左の門柱に「平和中学校」の文字が見える。地名の付かない学校名は珍しい。中学校はS27年に創立されたようだが、当時は昭和の合併前で「神宮寺町」と「北楢岡村」」に分かれていたので、地名を付するのをためらったのだろうか。あるいは戦後間もない時期で、平和を願って付けたのだろうか。恐らく両方の理由によるのだろう。
 「少年野球発祥の地」の「平和中学校」は野球の強豪校として何度か全県優勝をしている。最近は女子のバドミントンが毎年のように全県優勝あるいは上位入賞しているようだ。
 学校入口を過ぎてさらに行くと、街中を通って来た旧「羽州街道」と合流する。

📷008:「荒屋」付近の旧「国道13号」と旧「羽州街道」

 左手の旧国道を歩いて来たところ。右手が旧「羽州街道」。奥に街を見下ろすように「神宮寺岳」が聳える。

(その5に続く)


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