<「宝蔵寺」の欅の巨樹>
●歩いた日:2020年6月18日(木)
●歩いた所
・神宮寺:中川原道南、館の西、館の北、家後、蓮沼、本郷野、下栗谷田、荒屋入、荒屋、中瀬古川敷、新屋野、本郷道南、本郷下、神宮寺、屋敷南
●歩いたログ(足跡)(道のり5.9km)
(以上の地図:国土地理院)
(📷012の地点)「岳見橋」手前側の下一帯の広い河川敷は、地域の人々の憩いの場、運動の場としてコミュニティー公園が整備されている。
橋のたもとから上流側の公園を望む。
(「中川原コニュニティー公園」)
堤防のすぐ下に遊水池がある。よく見ると向こう岸に釣りをしている人の姿がある。
池の向こう側の道沿いには桜の木が連なっており、桜の名所としても知られている。今年の春(4月23日)に妻と近場の桜見物に出かけた時は、この公園にも訪れ、「さくら・サクラ・・・、ふるさと仙北の桜」と題してブログにも掲載した。
桜並木のさらに奥には野球場、橋の下流側にはグランド・ゴルフ場がある。
左奥は「岳見橋」から眺めた「嶽山(神宮寺岳)」。
橋のすぐ近くの堤防上に公園の管理棟?があり、自動販売機が置いてある。そこで缶コーヒーを買い、一休み。そこから先ほど来た道を引き返すと、右手にもう一本街中に向かう道があるのでそちらに進む。少し行ったところで行く手にカメラを向ける。
📷013:「屋敷南」の道
道沿いに家が建ち並び、どう見ても古くからの道である。ログ地図を見ると、この道はまっすぐ街中を突き抜け、「奥羽本線」の跨線橋のすぐ西側を通っている道につながっている。昔はこの道が主要な道であったと思われる。
写真の道奥辺りまで行くと交差点脇に「宝蔵寺」の駐車場があり、その奥に鬱蒼と木々が茂っている。そこが「宝蔵寺」の境内のようだ。駐車場を通り抜け、境内の木立の脇を通る細い曲がりくねった道をしばらく行くと、「宝蔵寺」と書かれた石柱が建つ。そこから境内の方をのぞく。
📷014:「宝蔵寺」の「欅」の巨樹
「仙北平野」を歩いているとあちこちで大木を目にするが、これほどの大木は初めてである。まさに巨樹と呼ぶにふさわしい。
近くから眺める。
(「宝蔵寺」の「欅」の巨樹2)
幹の陰になって見えないが、この木の説明書きをした標柱が立つ。それには「大槻(欅)」(「槻(の木)」は「ケヤキ」の古名)とあり、樹高35m、胸高周囲10m、樹枝は直径28mのほぼ円形、樹齢500年とある。
ところで、駅にあった観光案内には樹齢約950年とあった。標柱の500年とかなり開きがある。どちらが本当?。ということで少し調べてみる。
「宝蔵寺」のHPによると、寺の創建は今から650年程前の文和3年(1354年)。「宝蔵寺」を建てた「富樫氏」が「加賀国」からこの地に移り住んだのが14世紀半ばであるので、移って来てすぐ寺を建てたことになるが、寺創建当時、この「欅」はすでにあったのか?。
「大仙市観光物産協会」のHPには「樹齢は寺伝でおよそ950年以上」とあり、「寺伝」と明記している。一方、標柱は正確さを期して史跡などを説明するもの、と考えると、寺伝によらず、専門家が木を見て樹齢を500年程と推測して書き入れたものではないだろうか。寺伝を軽視するつもりはないが、標柱の方が信ぴょう性が高いと思われるが・・・。
「富樫氏」がここからさらに「大曲土屋館」に移ったのは約500年前の1508年とあった。150年程居住したこの地に愛着があり、移る時に記念に植えていったと考えるのもロマンがあって面白い。
なお、この寺には少し縁があって何度か中に入ったことがあるが、「富樫氏」の移住先である「大曲」にも何軒もの檀家を持つようだ。
寺から引き返し旧「羽州街道」に出る。
(「宝蔵寺」の入口)
先ほどは裏の方から回って寺の境内に行ったが、旧「羽州街道」からの入口はここである。杉木立の中の薄暗い道を奥へ行き、右手に折れてさらに行ったところに先ほどの大「欅」がある。左手の大きな石に「白宮山 寳蔵寺」の字が見える。「中瀬古川敷」にあったのは「白山宮」、寺の山号が「白宮山」。何か関連があるのだろうか。
(その7に続く)
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