<歩いたログ(足跡)>
●歩いた日:2020年6月18日(木)
●歩いた所
・神宮寺:中川原道南、館の西、館の北、蓮沼、本郷野、下栗谷田、荒屋入、荒屋、中瀬
古川敷、新屋野、本郷道南、本郷下、神宮寺、屋敷南
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり5.9km)
(以上の地図:国土地理院)
「旧神岡町神宮寺」については、これまで3回記事を掲載しましたが、歩いたところはいずれも街の周辺部でした。常々、古い街並みや「八幡神社」、「宝蔵寺」という大きな寺社がある街中を歩いてみたいと思っておりましたので、6月中旬の晴れた日に出かけました。
「神宮寺」は、江戸時代には「羽州街道」が通り、「御役屋」が置かれ、古くから街が形成されていたところです。明治時代には郡役所が置かれ、M35年に村から町に昇格しております。
ところで、歩いた所の字地名に「神宮寺」(「大仙市神宮寺字神宮寺」)がありますが、ログ地図に地名として記されている「上町」、「中町」、「下町」、「新丁」、「新道」は、現在、字地名として出てきません。「旧羽州街道」沿いに当たるこの一帯はすべて「神宮寺」の字名になっており、地番も300番台まであります。住居表示の改正で変わったのかもしれませんが、地図に以前の地名?がそのまま記載してあるのも少し変な感じがします。しかし、「上町」、「中町」、「下町」などの地名は、ここが昔の中心地で、「御役屋」はこの辺りにあったことが推測できます。こういう地名は、字地名として残してほしかったと思います。
それでは本文に入ります。
「旧大曲市花館」から「玉川橋」を渡って、「雄物川」沿いを走る「旧羽州街道」に入る。現在、この道は大半が「雄物川」の堤防の内側を走る裏道のようになっている。「神宮寺」の街に入る少し手前に空地、「中川原道南」(この地名の「道」は「羽州街道」を指しているようだ)の一角に車を止めてスタート。
「旧羽州街道」を街の方に進み、右手から道が合流する丁字路で振り返る。
(「館の西」の一角)
道奥に小さく私の軽・ラパンが写る。道右手や車の奥に杉林が写る。ここは「神宮寺を往く-3」で歩いた道で、その時の記事にも書いたが、「玉川橋」たもとの「間倉」から「神宮寺」に至る「羽州街道」は、昼なお暗い杉林が続き、「ガンドウ林」と称したとある。写真の杉林はその一部が残ったものと思われる。
なお、「ガンドウ」は「龕灯(灯明)」あるいは「強盗(ガンドウ)提灯」の意味で、昼でも灯りがないと歩けない、と誇張して言ったもの。
写真左手の道に入ってすぐのところに石碑が立ち並ぶ。
📷001:「館の西」の一角2
「旧羽州街道」から分かれたこの道沿いに多くの石碑が立ち並んでいることから、この道もかなり古い道であると思われる。
石碑の脇に「小林甚吉頌徳碑」と書かれた白い標柱が立つ。説明文には「神宮寺は昔から鮭漁の名所として知られ、・・・、藩から漁業権を許されていた。しかし、明治になって危うくこの権利を失うことになり、新道の小林甚吉は私財を投げうち、昼夜を忘れて・・・」(標柱の陰の写真は撮って来なかった)とあるので、漁業権の回復に大きな貢献をした人だったのだろう。「雄物川」の中流域に当たるこの辺りは、今も鮭漁が続いており、途絶えたところでも漁を復活しようとする動きもある。
標柱から北にほんの少し進むと、「神宮寺バイパス」が開通する以前は「国道13号」だった広い道との十字路に出る。そこを左に折れて西に向かう。道の左手は鬱蒼として杉林で、やがて杉木立の間から「八幡神社」の大きな社殿が見えてくる。神社の裏手に当たるので、道のすぐ脇が本殿である。さらに進むと道の左手に小学校の校舎が建つ。
📷002:「神岡小学校」
木立に遮られて校舎の一部しか見えない。学校入口にある歩道沿いの花壇には「ベゴニア」の花が整然と植えられている。
ところでこの小学校、確か「神宮寺小学校」のはずだったが・・、と思って学校のHPを見てみると、H24年に「神宮寺小学校」と、「」北楢岡」にあった「北神小学校」が統合して「神岡小学校」になったとある。ちなみに旧「北神小学校」の校舎は「大仙市音楽交流館」となり、地域の音楽団体の練習会場などとして開放されているようだ。
(その2に続く)
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