ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙南村金沢・旧六郷町六郷東根を往く⑥(終)

2023年07月18日 | 旧仙南村を往く

<これまでブログに掲載したログ(足跡)の累計(累計の道のり591.1km)>

●歩いた日:2023年5月31日(水)

●歩いた所

 ・金沢  :狐森、乗上、南明田地、上野際、碇

 ・六郷東根:四天地、一ツ屋、北田中、南明田地、碇

  ※ 南明田地、碇は、金沢、六郷東根双方に(隣り合って)ある。

●歩いたログ(足跡)(道のり5.4km)

(以上の地図:国土地理院)

 最後にいつものように歩いたところの航空写真である。まずはH28年の写真。

 左下寄りに車を止めた(「P」)場所である「上野際会館」。歩いた道筋をピンクの線でなぞった。

 上部に山の斜面に入り込んだ「四天地」の集落。ログ地図でも分かるように、ここだけ山の傾斜が特に緩いので、本文でも記したように、「みずほの里ロード」の東側まで田んぼが斜面をかけ上がっている。

 その田んぼの中をくねくねとしたあぜ道のようなもの(「このカーブ」と指示したところ)に留意しておいていただきたい。

 ところで、「乗上」から「四天地」に至る山際に近い田んぼが、小さくて南北に細長い区画になっている。それだけここは傾斜が急であることを示している。

 本文で書いたが、「四天地」に太陽光パネルが設置されたのはごく最近で、H28年は草地のような中に赤い屋根の建物(畜舎か?)が建っている。

 「四天地」のすぐ南側の山間が「出川」の源で、そこから西、南、再び西へと流れ下る。

 古い航空写真(特にS23年の写真)との対比の目印となるよう、家屋や交差点にA~Eを書き入れた。

 左上隅から南に流れ、「P」と記入したすぐ上で「出川」に注ぐ「田沢疎水幹線用水路」を矢印で示した。

 次にS51年の写真。

 黄色の線は、当然ながら当時は開通していなかった「みずほの里ロード」とそれに接続する道を書き入れたもの。

 この写真でまず目を引くことは、田んぼの区画の大きさが現在とほとんど同じことである。現在まで大区画に再整備されなかったのは、傾斜地であることからさらに区画を大きくすることが困難(費用の面で)だったからだろう。

 田んぼが再整備されなかったこともあり、「みずほの里ロード」以外の道筋は現在と全く同じである。

 「四天地」の太陽光パネルが設置されている斜面は、H28年よりも広い範囲が切り拓かれている。その中に建つ建物は、H28年に写る赤い屋根の建物のすぐ下にあった建物のようである。

 どうでもいいことであるが、「C」の家屋をご覧いただきたい。そのすぐ北側を通る道からは少し離れたところに建っている。ここをH28年の写真で見ると、道端とS51年の家屋の場所の二か所に建っている。母屋が道端に移転し、小屋は元の位置にそのまま残されたようだ。

 「D」の三叉路近くから「E」の屋敷をつなぐあぜ道に留意しておいてほしい。この道は、この後見るS23年の写真にも写る古くからの道であるが、あるもの?の境となっている。

 最後にS23年の写真。

 古い写真ではあるが、「P」及び「A」から「E」の位置はすぐ特定できる。

 この写真でまず目に付くことは、上段中央から左下にかけては田んぼが広がっているものの、左上、「南明田地」以北は田んぼが拓かれておらず、畑あるいは原野・森林の様相を呈していることである。その田んぼ地帯と畑地帯の境が「D」-「E」のあぜ道である。

 すでに田んぼになっているところは、低地で、しかも山合から流れ出す少ない水でも稲作を行うことができた区域である。少し見づらいが、山裾に近い田んぼを見ると、非常に区画の小さい田んぼがひしめくように並んでいる。傾斜が急なところの棚田である。「四天地」では「B」のさらに上の方まで田んぼになっていたようだ。

 一方、少し高いところにある左上の区域が、今のような一面の田んぼになったのは、「田沢疎水幹線用水路」が開削されてからである。左上隅に示したが、工事中の「田沢疎水幹線用水路」の一部が写っている。S23年にようやくここまで工事が進んだことを示している。

 「出川」の流路に注目いただきたい。現在の「出川」は、「C」の西側辺りから東にカーブし、「A」の北側を接するように東に向かって山の中に入っている。

 一方、S23年の写真では、「C」から上流は少し見づらいが拡大して追っていくと・・。「C」からさらに北上した後に徐々に東に向きを変え、「四天地」の集落内を横断して山の中に入っている。今の「出川」と昔の「出川」の水源は異なっているのだろうか。そんなことはないと思うが???。

 ところで、集落付近の川筋、「このカーブ」と指し示したところは、よく観察すると、H28年の写真に写るあぜ道(こちらにも「このカーブ」と書き入れた)と同じ曲がり具合である。川跡があぜ道として残ったようだ。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:591.1km)

 「出川」シリーズが終わりました。次回からは一転して「大仙市」の「旧中仙町」、「旧太田町」を流れる「斉内川」シリーズになります。どうぞよろしくお願いいたします。


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