<最上流部の「出川」>
●歩いた日:2023年5月31日(水)
●歩いた所
・金沢 :狐森、乗上、南明田地、上野際、碇
・六郷東根:四天地、一ツ屋、北田中、南明田地、碇
※ 南明田地、碇は、金沢、六郷東根双方に(隣り合って)ある。
●歩いたログ(足跡)(道のり5.4km)
(以上の地図:国土地理院)
同じ場所(📸005の地点)から南西に目を向ける。
(「狐森」方面を望む)
中央の木立は、車を置いた「上野際会館」がある「狐森」。右端に写る集落は「中野際」。奥に「飯詰山」。
この写真でも、田んぼがかなりの傾斜地にあることがわかる。
左手、雲の下に「鳥海山」がうっすらと見える。
さらに北に進む。左手から合流する道を過ぎると、再び東に流路を変えた「出川」にかかる橋がある。
(最上流部の「出川」)
山あいの森林の中を流れ下る、最上流部の「出川」である。
ログ地図を見ても、源流の沢がそんなに大きくないようなので、これ位の幅、深さで間に合うのであろう。
橋から下流方向を望む。
(最上流部の「出川」2)
田んぼと同様、一気に流れ下るようなかなり急な傾斜になっている。
そして、田んぼに比べて川底がだいぶ低く、川の水を直接利用するのは困難なことがわかる。稲作のためには、別途山中から水を引いて来ているのだろう。
さて、この橋は「四天地橋」である。橋から少し北に進むと右手に入る道があり、その道沿いが橋の名称の由来となった「四天地」の集落である。
📸006:「四天地」の一角
「みずほの里ロード」よりもさらに高い、山の中腹のようなところに家が建ち並ぶ。住むにはこうした南西向きの斜面が快適かもしれない。
右上の建物は「四天地部落会館」。奥に太陽光発電のパネルが見える。
奥の、道がカーブしている辺りまで行くと、おじ(い?)さんが小屋の前で何やら作業をしている。話かけてみる。
「やあー、ここはいい眺めだなぁ~」と私。「んだ!。いい場所だ。それもあってここには昔から人が住んでいたんだ。そんで、寺が四つあったので四天地と云うらしいんだ!!」とおじさん。
「そこの発電パネルはここの人が建てたの?」と私。「いや、長野県の会社が建てたんだ」とおじさん。「そこは元は畑だったんだが(だったの)?」。「畑というより牧草地だったな」。
会話の後、パネルが建ち並ぶところまで行ってみる。
(「四天地」の一角2)
フェンスを巡らして中には入れないようにしている。鍵がかかっている入口脇に設置者の看板が立つ。それによると、先ほどのおじさんの話とは違って、設置者は「岐阜県」にある会社である。
設置されたパネルの上の方に、ログ地図にも示されている神社がある(赤い屋根が少しだけのぞいている)。お参りするには大変のようだが、なぜそこに神社を建てたのだろう。
(④に続く)
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