ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙南村野荒町・金沢を往く⑨(終)

2023年06月24日 | 旧仙南村を往く

<「野荒町」付近のS23年の航空写真>

●歩いた日:2023年5月3日(水)

●歩いた所

 ・野荒町:伊豆林、前谷地、篭林、篭林後、町ノ内

 ・境 田:篭林

 ・金 沢:下野際、中野際、上野際、南明田地、碇、狐森、中谷地、味噌森、高畑、寺田

●歩いたログ(足跡)(道のり7.9km)


 

(以上の地図:国土地理院)

 最後にS23年の写真で、これも西側の部分から


 
 南北に走る現在の「国道13号」と、東から西に蛇行しながら流れ下る「出川」がくっきりと写る。

 この写真で一番目を引くのは、「出川」の北側の大部分は田んぼが拓かれておらず、畑、あるいは森林・原野が広がっていることである。前にも書いたように、「田沢疎水幹線用水路」が開削される前は、広大なこの地域を開田することができなかったためである。この畑や森林などの広がりを見ると、改めて「田沢疎水」の事業が及ぼした恩恵の大きさが実感される。

 「出川」の北の「国道13号」沿い(「野荒町」の「町ノ内」)には家が建ち並び、集落が形成されているが、集落の周りは畑のような状態で、さらにその周りには森林が広がっている。宿場でもないこの場所になぜ集落が形成されたのだろうか。

 左下隅に、S51年と同じ位置にかかる「伊豆林橋」が確認できる。そこから道をたどると「伊豆神社」、「皇太神宮」の木立も特定することができる。現在ある「皇太神宮」南側の広場について、本文で、「何かの跡地なのだろうか。航空写真では注意して見たい。」と書いたが、S51年の写真やこの写真をみても昔からの田んぼで、何かの跡地ではないようだ。

「出川」に印したピンク色の「⇈」のところは、S51年、H28年に残る蛇行跡の部分である。

 東側の部分。


 
 「出川」の北側に「上野際」、「中野際」、「下野際」の集落が並ぶ。「上野際」の上流では「出川」の両側に田んぼが広がっている。この辺りまでは「東山」の沢合から流れ出る水によって田んぼを拓くことができたようだ(「出川」は一番低いところを流れているので、その水を直接利用することはできなかったと考える)。

 当時はまだ完成していなかった「田沢疎水幹線用水路」を水色で書き入れた。この水路によって「上野際」~「下野際」の北側に広がる広大な畑や森林・原野が田んぼに生まれ変わったことになる。

 S51年の写真で、田んぼ中に浮き上がっていた痕跡のとおり、水路(というより小河川)が写っている。「出川」に注ぐこうした小河川がほかにも多く見られ、「出川」の南側の田んぼはこうした小河川があったことによって、早くから田んぼが拓かれていたのだろう。

 本文📸015に写る「古い橋」のところで、この橋を通る道が田んぼが区画整理される前のメインの道筋と推測したが、この写真ではそこに橋はなく、当然ながら道も通っていない。区画整理後にかけられた橋のようだ。

 ところで、H28年やS51年の写真を改めて見ると、こうした橋が三カ所にかかっている。「中・下野際」の集落の人たちが「出川」南側の田んぼに通うための橋のようにも見える。早くから拓かれたこの田んぼを基盤として「野際」の集落が誕生したとも推測されるのだが・・・。写真を眺めながらこんな想像をするのも楽しいことである。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:585.7km)

 今回歩いたのは緑色の線です。累計の道のりが600kmに近くなってきました。500kmからかなり時間がかかり、歩くペースがだいぶ遅くなっておりますが、1,000kmを目指して頑張っていきたいと思います。

 「出川」を遡って「東山」の根っこ(麓)に達しました。次回からは「出川」シリーズの最後を掲載する予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。


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