<「上斉内」から「鳥海山」を望む>
●歩いた日:2024年2月6日(土)
●歩いた所
・斉 内:樋口、高野、越後屋敷、鴨首、川原、上斉内、段ノ腰、宝竜、諏訪田、壱本柳
・小神成:北野
●歩いたログ(足跡)(道のり5.6km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
(📸006の「神成」)橋から引き返す。橋の南詰、河川公園の駐車場の一角に「みずほの里ロードマップ」が建っている。
(「みずほの里ロードマップ」)
「みずほの里ロード」は「東山(奥羽山脈)」の麓を南北に走る大規模な農道である。マップによると、「仙北市」の「わらび座劇場」の近くを最北端とし、「横手市」の市街地を最南端とする39.7㎞に及ぶ道である。「仙北平野」歩きではこれまでに何か所か部分的に歩いている。
駐車場のすぐ脇にまだ新しい石碑が建つ。平成5年10月に「神成橋」が開通した記念に建てられた歌碑とある。
ここから車へ戻ることにするが、同じ道を歩かないようにするためには、雪に覆われた田んぼ中のあぜ道を戻るしかない。雪道に足を踏み入れて見ると、幸い、ほとんど足が沈まない。西へしばらく行ったところで振り返る。
(「川原」のあぜ道の足跡)
奥から来たところ。上端左寄りに「神成橋」。
大きな足跡は私の足跡で、最後の数歩は後退りして来た。というのも、何とたくさんの足跡が付いているだろう、と思いながら、振り返って眺めたところである。
ここは民家から離れていることもあり、かなり動物が出没しているようだ。最近は冬でも熊の目撃情報があるので、熊のような大きな足跡は・・、無いな。少し安心してまた西に進む。
ところで、このあぜ道がある一帯の字地名がなかなか分からなかった。調べているうちに、ここからかなり下流のところに「川原」と記されている。因みにその範囲を確認すると、写真に写る辺りも含めて、「斉内川」の南側、改修前の河川敷だったと思われる、約4㎞にわたる細長い地域である。
さらに西に進み、ポツンと建つ一軒の大きな屋敷を回り込んで、雪の無い道を南に進む。
📸007:「越後屋敷」の一角
もう一軒の大きな屋敷の北側を水が勢いよく流れている。ログ地図でこの水路を上流へとたどっていくと、「斉内川」から取水している農業用水路のようだ。子供の頃に見たような水路の造りで、何とはなしに懐かしさを感じる。かなり昔に整備された水路と思われる。
水路の岸に青いポールが見える。杉木立の根元を走る細い水路に水を取り入れるゲートである。このようにして次々に分水するのであろう。
冬なのに、なぜこんなに水を流しているのだろうか。流雪のためだろうか。それにしても夏は涼しそうだなぁ~!。
引き続き南に少し行くと、田んぼ中を右手(西)にまっすぐ延びる道がある。
📸008:「上斉内」を望む
その道の奥に、屋敷林を持つ家々が建ち並ぶ。「上斉内」の集落である。前掲写真に写る用水路を整備することで、この辺りは早くから田んぼが拓かれ、集落が形成されたのだろうか。後でS23年の航空写真で確かめてみたい。
道を西に向かってしばらく進む。道左手前方(南西)に「鳥海山」がきれいに見える。
(「上斉内」から「鳥海山」を望む)
冬にこんなにくっきり「鳥海山」が見えるのは珍しい。
下に見える赤い屋根の大きな建物は、「高野」の「太田東小学校」の隣にある石材会社の建物のようだ。
(⑤に続く)
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