ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙北町横堀を往く-5⑥

2024年07月24日 | 旧仙北町を往く

<歩いたところのH28年の航空写真>

●歩いた日:2024年6月18日(火)

●歩いた所

 ・堀見内: 藍野、置上、北藍野、谷地、西福嶋、下東中屋布、堰端、福嶋、南福嶋、南谷地

 ・高 梨:八嶋、下八嶋、車瀬(旧仙北町高梨)

●歩いたログ(足跡)(道のり7.6km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

 (📸014の)橋を渡って右に折れ、川の左岸を西に向かう。(📸014の)写真に写る橋まで進む。

📸015:「堀高橋」から北を望む

 ここの橋は「堀高橋」。この近くに「堀高」という地名はないし、なんで「堀高橋?」と考えていたら、そうか、ここは「矢島川」が「堀見内」と「高梨」の境となっているので、一字ずつとって「堀高橋」なんだ、と思い当たる。安易といえば安易!。

 奥は「西福嶋」で、📸013にも写っていた風景。右端に英会話教室の家、その左に「仙北中学校」、そしてさらにその左に武道館と思われる大きな屋根の建物が見える。

 道奥の木立は「八幡神社」。

 橋から引き返し、また西に向かう。この道は普段車で何度も通っている道で、この先にも「矢島川」にかかる橋がある。その橋の少し手前に古い道跡がある。

(「車瀬」の一角)

 左、右とカーブして延びる現在の道のすぐ先が橋である。以前は、橋のすぐ手前までまっすぐ行って、そこから急にカーブして橋を渡っていたことになる。少しでもカーブと緩くするために、道を付け替えたようだ。

 古い道を進んで橋に至る。

(「置上橋」から東を望む)

 この日、七つ目の橋は、地名から採った「置上橋」。ただ、この橋は「置上」、「車瀬」、「藍野」の境付近の微妙な位置にある。「堀高橋」ならこちらの橋の方がぴったしのような感じがするが・・・。

 橋から振り返ると、車で走り易くなったようだ。でも、何度も車で通ったことがある道なのに、ぼーっと走っていたせいか、付け替えられたとは気が付かなかったなぁ~!!。

 この後、「認定こども園 みどり園」の入口前を通り、「相野橋」の手前で左に折れ、「川口川」沿いを歩いて車に戻る。

 今回は久しぶりに7kmを越える道のりを歩いた。

 最後にいつものように、歩いた地域の航空写真をご覧いただく。まずは最近のH28年の写真から。


 
 緑の絨毯を敷いたような田んぼが一面に広がる美しい写真。最近は外国人観光客が爆発的に増えているが、田んぼを見たことがない外国人が、こんな写真を見たらきっと驚嘆するに違いない。

 右上から「川口川」と「矢島川」が流れ下り、下端左寄りのところで「丸子川」に注いでいる。その合流点のすぐ近く、「こども園」脇の「P」が車を停めた場所で、ピンク色の線が今回歩いた道筋。

 写真中央に「八幡神社」の木立が写る。そこから東に少し行ったところに、📸004に写る体育館跡地と「仙北中学校」の校舎とグランドが写る。

 体育館跡地は、立ち寄った時には気付かなかったが、航空写真で見ると長方形の建物跡がはっきり分かる。左下寄りに、「仙北ふれあい文化センター」が写るが、現在はこの一角に体育館もあることから、こちらに移転したと考えられる。

 グランド脇を北に向かう道沿いに「メタセコイア」が写っている。

 右上、「下東中屋敷」の家の屋敷にあった松の木を確認することができる。

 中段右端、「福嶋」の集落の中に大きな屋敷林と、県道を挟んだその斜め向かいの広い空地を矢印で示した。この後見るS51年の写真と比較してみたい。

 中央下端、「当時の道」と記したところに注目いただきたい。「矢島川」にかかる「置上橋」の東側の道筋が、橋のところまで川に沿った道になっている。この道は、(「車瀬」の一角)などに写る、廃道となった古い道跡である。H28年以降に付け替えられたことが分かる。

(⑦に続く)


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