ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙北町横堀を往く-5⑦(終)

2024年07月28日 | 旧仙北町を往く

<歩いたところのS23年の航空写真>

●歩いた日:2024年6月18日(火)

●歩いた所

 ・堀見内: 藍野、置上、北藍野、谷地、西福嶋、下東中屋布、堰端、福嶋、南福嶋、南谷地

 ・高 梨:八嶋、下八嶋、車瀬(旧仙北町高梨)

●歩いたログ(足跡)(道のり7.6km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

(古い航空写真と比較するため、前回掲載したH28年の航空写真を再掲する)

 次にS51年の写真で、歩いたところの南西の部分。


 
 左下の「P」が車を停めた場所。現在「こども園」がある場所、「仙北ふれあい文化センター」がある場所は一面の田んぼである。

 田んぼは現在より小区画だが、全部整備されている。従って、道路網は現在とほとんど同じである。ただ、橙色で記入した「現在の道」の部分は、当時は「矢島川」の北側を通っており、「こども園」近くの「置上橋」もない。

 左上、ピンク色で示した線は、この後見るS23年当時の「県道305号」の道筋で、その一部が残っている(H28年の写真でも確認できる)。「川口川」の河川改修に伴い付け替えられたようだ。

  中央上段、現在は解体された体育館が写っている。入口左手の「第一武道館」と思われる建物も確認できる。

 「仙北中学校」の校舎をご覧いただきたい。現在の校舎に建替えられる前の校舎である。生徒数も現在より格段に多かったので、校舎の規模も現在の倍くらいあるようだ。

 「メタセコイア」の看板に、「旧校舎校門傍らに植樹された」とあったが、この写真を見ると、まさにその脇が校門だったことがわかる。卒業生には懐かしい写真ではないだろうか。

 次に、S51年の、歩いたところの北東部分の写真。

 上段に注目いただきたい。家屋の番号は、S23年の写真との比較を容易にするために付したものである。「1」の家の東側に見える木立が、今回写真に収めた松の木である。

 青色の線は、S23年の写真からその当時の「川口川」の川筋を記入したものである。改修前の川はこの辺りでひと際大きく蛇行していたことが分かる。

 右下隅に「福嶋」の大きな屋敷林と、現在空地になっている屋敷が写る。空き地になっている屋敷を見ると、道端に建物が建っており、屋敷の一角と思われるところに大きな木がそびえている。

 最後にS23年の写真。

 蛇行しながら流れ下る「川口川」と「矢島川」がひと際目を引く。

 右下、「矢島川」の南側の田んぼは整然と整備されている。「矢島川」の南側は「旧高梨村」で、東北三大地主と言われた「池田氏」が村長を務めた村である。その財力で周辺農村よりいち早く田んぼを整備したということだろうか。

 中段左寄りに「八幡神社」の木立が写る。ピンク色の線は現在の「国道305号」の道筋で、「竜門寺橋」がかかるところでもある。S51年の写真のところで書いたように、S23年当時は「八幡神社」のところから南西方向に向かい、川を横断していたことがわかる。

 緑線で囲んだところが「仙北中学校」の敷地。当時は田んぼである。学校のHPによると、「仙北中学校は」は「高梨」、「横堀」の両中学校が統合してS33年に開校している。ここが両地区の真ん中辺に当たるのだろう。

 右上、S51年の写真と比較し、位置を特定できる家々に同じ番号を付した。「1」の家のすぐ西側で、「川口川」が一段と大きく蛇行していたことがわかる。

 番号を付した家の位置、「福嶋」の屋敷林の位置などから、ピンク色で現在の道筋を書き入れて見た。すると、現在の「中屋敷橋」は、道路の整備、川の改修などによって当時の橋よりも少し南にかけ替えられたようだ。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:663.7㎞)

 次回からは、今回歩いたところの、さらに東側を歩いた記事を「横堀を往く-6」として掲載していく予定です。


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