<「宮内神社」>
●歩いた日:2024年9月25日(水)
●歩いた所
・三本扇:儘下川原、宮内、高野、古屋敷、堤、杉向、上立石、野沢、小柳、一本木、狐柳、高花、上川原、篠沢、今宿、三本柳
・本堂城回:吉清水、川口道北 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属す。
●歩いたログ(足跡)(道のり7.2km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
昔からの道らしく、右左にカーブする道をさらに進む。「県道305号」に出るすぐ手前でもう一度振り返る。
📸015:「狐柳」の風景
奥から来たところ。右手にひと際高い木立が見える。歩いて来る途中、その木立の方に目をやると、そこには赤い屋根の小さな社が建っていた。「狐柳」の鎮守様が祀られている場所で、高い木立はシンボル・ツリーのような存在なのだろう。
「県道305号」に出て西に向かう。この辺り、県道の右手(北側)は「今宿」、左手(南側)は「三本柳」である。
余談だが、ここ「三本扇」には「杉向」、「小柳」、「一本木」、「狐柳」、「三本柳」と「木」にまつわる地名が多い。偶然だろうか。
しばらく進むと、南から延びる道との丁字路に至る。
📸016:「今宿」の一角
丁字路ところに、農村集落で時折目にする酒店がある。スーパーやコンビニ全盛時代に、しぶとく?営業を継続している「ムラ」の酒屋さんだ。
こんな店を見かけると、その近くには酒店を支えるだけの酒好きの人が多いのかなと、つい思ってしまう。酒のほか、たばこ・塩(小売所のプレートを掲げている。今も免許制なのかな?)や生活雑貨なども売っているようだ。
さらに、郵便ポストが設置され、宅配便の取扱所にもなっており、地域の人々にとってはなくてはならない存在のようだ。
店の真向かいに墓地がある。墓地の位置は昔から変わっていないと思われるので、墓地のそばを県道が通り、県道沿いに店ができた、ということだろう。
「県道305号」をまた西に進む。少し行くと左手(南)に延びる道の先に大きな鳥居が見えるので、左折して鳥居の正面まで進む。
📸017:「宮内神社」
鳥居に「宮内神社」の扁額がかかる。また鳥居の右手奥にも「宮内神社」と刻まれた真新しい石柱が建つ。
社殿を見ると、銀色の屋根なのに屋根のてっぺんと下の縁が朱色に塗られている。神社の屋根といえば朱色と決まっているようなものだが、このように塗り分けているのには何か訳があるのだろうか。
ところで、銀色の屋根は、後で見る航空写真ではよく目立っているので都合がよい。
鳥居をくぐって参道を進むと、参道の両側に二本の大きな「銀杏」の木が聳える。この「銀杏」の木のそばにも「大仙市指定文化財」の標柱が立つ。
それによると、「寛政7年(1795年)」に「宮内村」の肝煎が寄進して植えたものと伝えられている、とある。樹齢230年程ということになる。また、標柱には、この神社は「三本扇」地区の村氏神である、との記述もある。
大きな社殿の前まで進む。
(「宮内神社」2)
村氏神だけあって大きな社殿である。見上げるとりっぱな龍の彫り物が飾られている。「仙北平野」歩きでこんな彫り物に初めて出会った。
境内には「菅江真澄の道」の標柱も立つ。
ところで、県道から鳥居前まで歩いて来た道は、鳥居前で大きくカーブして南西に延びており、その両側には県道沿い以上に家が建ち並んでいる。狭い道ではあるが、神社の鳥居前を通るこの道が古くからの道筋であると想像される。
県道まで引き返し、また西に向かう。しばらく進んで、両側の視界が急に開けたところまで来ると、県道はやがて下り坂になる。途中まで下ったところで振り返る。
📸018:「侭下川原」付近の「県道305号」
奥から来たところ。中段に写る段差は、スタート直後に眺めた河岸段丘の一部で、段丘上から段丘下に向かって下りて来たところである。
奥の段丘上は「宮内」で、下は「侭下川原」。
丁度段丘が走るところに、県道を挟んで二本の木が生い茂っている。二本とも「栗」の木である。民家の屋敷でもないところになぜ「栗」の木があるのだろう。
振り返って行く手を見ると、県道の右脇に我が「ラパン」が小さく見えている。県道はその先で上り坂になってまた段丘の上にあがり、「羽見内」の集落へと延びている。
(⑦に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます