ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町横沢・長信田を往く-2④

2023年11月27日 | 旧太田町を往く

<「小曽野」方面を望む>

●歩いた日:2023年10月8日(日)

●歩いた所

 ・国見(横 沢):桜後、川端、大釣木、新橋、小釣木、砂溜、佐幣神

 ・斉内(長信田):橇目、大久保、下堤、狐塚、鶴ヶ窪

●歩いたログ(足跡)(道のり6.1km)


 (以上の地図:国土地理院)

 (「佐幣神」の住宅)団地の周りを一周した後、昔の県道(📸006の道)に出、東に向かう。大きな水路が道を横断しているところで振り返る。

📸008:「佐幣神」の住宅団地

 白い建物が住宅団地。平屋と二階建ての住宅が建ち並ぶ。

 その団地の手前の道を左から右に進んで昔の県道に出、手前に来たところ。

 水路に目をやる。

📸008:「仙北平野1号幹線用水路」

 人の身長ほどもあろうかと思われる深さの水路である。田んぼが水を必要とする春から夏にかけては、水路いっぱいに水が流れることだろう。

 この大きな水路は「仙北平野1号幹線用水路」である。「玉川」で取水し、広大な「仙北平野」の田んぼを潤すこの水路は、手元の古い(S61年)地図を見ると「上堰用水路」と記されている。

 この日は、この水路が「斉内川」を横断するところで「上堰跡」の標柱に出会うが、「仙北平野1号幹線用水路」は「江戸時代」に開削された「上堰」を改修する形で整備されたことが伺われる。

 ところで、先に「佐幣神」という地名は「上堰の鎮守、塞三柱神社」に由来することを書いたが、かつては「上堰」であったこの用水路のほとりにこんな石碑が立つ。

📸008:「仙北平野1号幹線用水路」のほとりの石碑

 屋根をかけて大切に保存されている石碑。拡大して見ると「塞三柱大神」と刻まれている。この地域の人々にとって「上堰」がどれほど大事なものであったかを示す証である。

 さて、大きな水路は昔の「国見村」と「斉内村」の境のようで、水路を越えて「斉内」の「橇目」を東に進む。

 「橇目」は珍しい地名だが、「地名へのいざない」によると、「ソリ」は反り返った地形、「メ」は場所の意で、あわせて傾斜地、「斉内川」と崖地ある。また、一般的には焼畑の開墾地の意味、ともある。

 秋なのに緑一色になっている田んぼに目をやる。

(穂を出した「ヒコバエ」)

 今年の秋は例年になく気温の高い日が続き、稲の切り株から「ヒコバエ」が旺盛に伸び、少し早く稲刈りをした田んぼは、田植えして間もない頃のように緑色に覆われている。こんなに穂を出すことは珍しい。

 今年、新聞記事でこんなタイトルを目にして驚いた。「一度の田植えで二度の収穫」。素人の洒落ではなくて、農学研究者の提言である。今年のような天候が続くのであれば、早く収穫できる稲を植えて8月に稲刈りし、「ヒコバエ」をさらに大きくしてもう一度稲刈りをする、というもの。二度刈り取りすることによって、現在の1.5倍、900kg程の米が収穫できるとの試算も載せてあった。喜ぶべきことなのか・・・!!。

 道が左に緩くカーブする手前で振り返る。

📸009:「橇目」の道

 右手前は古い道沿いに連なる「橇目」の家々、左奥は住宅団地を含む「佐幣神」の家々。

 同じ場所から東を望む。

📸009:「小曽野」方面を望む

 木立の間に見え隠れする家々は「小曽野」の集落。その奥は「大台スキー」と屏風のような「大台」。

(⑤に続く)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★2023年秋、銀杏並木と旧地主邸② | トップ | ★旧太田町横沢・長信田を往く... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧太田町を往く」カテゴリの最新記事