●歩いた日:2016年10月2日(日)
●ログ(道のり:8.1km)
📷007:「九日町」の道
昔の航空写真でもはっきり写っている道を南西に進み、「九日町」に入る。
途中、玉川の桜並木の道案内があるので、いったんこの道を折れて玉川べりの方へ向かう。堤防のところまで行ってみると、ほかの大きな混じって何本か桜と思われる木があるが、あまり目立たず、あまり管理もされていないようなので、少しがっかりして引返す。
またもとの道に戻ると、大きな竹林が目に着いたのでカメラを向ける。道路右側に竹の幹が写っているが、手前の大きな木の陰になってよくわからないのが少し残念。しかし、道の雰囲気はいい感じである。
「長野」の街には、ここ「九日町」のほか、「六日町」、「二日町」がある。「秋田・大仙市地名へのいざない」(著者は、中学生の時、私のクラスの担任だった戸沢敬三郎先生で、先生からいただいもの)によると、いずれも月に三回開かれる三斎市にちなむ地名で、「長野」が交易の盛んな地であったことが偲ばれる。
📷008:「善法寺」の大銀杏
さらに進んで水路を越えたところに、これまで見たことがない巨大な銀杏の木がそびえているので、迷わずカメラを向ける。
ここは寺の入口で、寺の名は「善法寺」。銀杏の向こう側に、大仙市指定文化財の標柱があり、それによると、「善法寺」が開基された1528年に植えられたと伝えられている、とあるので、樹齢は500年近いことになる。
大きな銀杏の木や奥の杉林、脇の水路、曲がり具合など、情緒ただよう風情である。
📷009:「長野神社」
道を右と左に2度折れると学校の脇に出る。「中仙小学校」である。日曜日のグランドで、中学生とおぼしき少年たちが守り、大人のチームが打席に立つ、試合形式の野球練習が行われている。コーチがハンドスピーカーで、一球投げるごとにピッチャーや守備陣に注意を与えている。最近、「角館高校」や「大曲工業」の野球部が強くなったのは、中学生へのこうした指導も要因になっているかも知れない、などとふっと思った。
この辺りは「六日町」、グランド脇の道を進み、「二日町」に入るとまもなく、右手に鳥居があって、鬱蒼と茂る杉林の中へ参道が続いているので、デジカメに収める。鳥居前の両脇の石柱に「長野神社」と刻んである。
参道を進むと先ほどのグランドの裏手で、大きな神社が建っている。ここにも「菅江真澄の道」の標柱がある。標柱の隣に説明板があり、それには、「長野神社」は元々は「玉川」向かいの「長野山」(ログの地図に半分文字が見える)にあったこと、明治8年に「長野村」の村社になったこと、昭和21年に当地に移されたこと、などが記されている。
「長野山」は何年か前に登ったことがあるが、頂上には大きな木が何本かあり、祠や石碑があったような気がする。遠くから眺めると、頂上の大木が、乳首のように頂から突き出ており、「仙北平野」のどこからでも見ることができる。
神社から引返し、さらに進んで再び「旧角館街道」を進む。
📷010:「斉内川」と「小滝川」
「旧角館街道」に出て、「新町」を通り抜け、「斉内橋」を渡る。渡ったところで今来た方向にカメラを向ける。
広い流れが「斉内川」。「斉内川」に注ぐ細い流れが「小滝川」で、源は「白岩岳」のすぐ南にある「小滝山」である。どちらの流れも澄み切ってきれいである。
写真左奥の山が「長野山」で、突出した木立が見える。
この後、国道を歩くのは面白くないので、田んぼ中のあぜ道を進み、「狐塚」の集落を通り抜け、車に戻る。
(旧中仙町長野-1 終わり)
<これまでブログに掲載したログ(軌跡)の累計>
最初の記事なので、その1冒頭の位置図と同じですが、掲載記事がが増えていくと、赤い線がだんだん伸びていきます。「仙北平野」を赤い線でいっぱいにしたいと思っています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます