●歩いた日:2016年4月28日(木)
●歩いた所:大村、上野、横張田、関根、上谷地、堅田、中谷地、花園(後の二つは旧仙北町高梨)
●およその位置
●ログ(道のり:7.8km)
(以上の地図:国土地理院)
ブログ掲載の1か所目は、「旧中仙町長野」でしたが、同じ地域を続けるよりも、別のところを掲載した方が、読んでいただく皆さんに「次は何処だろう」という期待感?に応えることになるのではないかと思い、2か所目は、春に歩いた「旧大曲市四ツ屋」の一角にします。
歩いたところの大字(オオアザ)は「高関上郷」と云います。明治以前からの古い地名のようで、明治22年に合併して「四ツ屋村」の一部となったところです。ちなみに「高関下郷」は、「地名へのいざない」によると、「高関上郷」に隣接する今の「大仙市花館」の地域で、明治6年に「花館村」の名称に改めたとあります。
それでは、本文に入ります。
ログ地図の中央を南北に流れる川は「窪関川」で、「旧太田町」の「大台スキー場」付近を源にし、「大曲」市街で「丸子川」に合流している。「窪関川」に架かる「大村橋」の橋のたもとに車を置いてスタート。橋のすぐ上流に「頭首工」があるので、土手を伝ってまずはそこを見に行く。一枚目の写真はここで撮ったが、その写真の前に、この辺の航空写真(国土地理院)を2枚ご覧いただきたい。
上がS23年、下がS51年の写真で、ほぼ同じ範囲を切り取ったもの。
23年当時、「窪関川」はこの辺りで大きく蛇行しており、中央やや左上の逆三角形をした屋敷に接するように流れている。51年の写真は、改修が終わった後であるが、よく見ると、田んぼの中に昔の流れの跡が浮き上がっている(黒線で辿ってみた)。調べると、下流から進められてきた改修工事は、S38年にこの辺りまで達している。工事が終わって10年以上経っても、土は昔を記憶しており、稲はその記憶を蘇らせる。川跡は乾きにくく窒素分も多くて、稲の葉色が濃くなることによると考えられる。
📷001:「窪堰川」の段丘
さて、頭首工のほとりで北の方に目をやると、明らかに段丘とみられる地形がみえるのでカメラに収める。
写真手前の白っぽい家が、航空写真で逆三角形に写っていた屋敷の家である。この写真からも、段丘の下を「窪関川」が流れていたことがうかがえる。
奥に写る白いガードレールのところは、この後歩く「上野」の道である。
📷002:「旧角館街道」の分かれ
頭首工から引返し、途中少し寄り道して、「旧角館街道」に出る。この後向かう「上野」へ行く道の分岐点をカメラに収める。
細い斜めの道が昔の道で、その道脇に床屋さんのマークが見える。余談だが、この床屋さんは子供の頃に通ったところで、今も店を開いているのを見ると、何となくうれしい気がする。行くと必ず駄賃を貰えるのが何よりの楽しみだった。
(その2に続く)
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