●歩いた日:2017年4月14日(金)
●歩いた所:八幡、南谷地、大荒田、浮池、鶴巻(以上「六郷」)、羽貫谷地(大字)、正婦堰、湯殿屋敷、築立、出川添(以上「畑屋」)
●歩いた足跡(ログ)(道のり:6.4km)
(以上の地図:国土地理院)
集落を一回りする道の東の端に大きなコンクリートの工作物があるのでカメラに収める。
📷005:「築立」の大きな工作物
そういえば、こうした工作物はこの辺を歩いていて何度か目にしたことを思い出す。高さが3m以上ある大きなものである。どこでも土地改良区の看板があったので、農業用水の施設と思われるが、どんな役割を果たしているのか、後で知り合いの専門家に訊いてみたい。
写真右奥に白い「和賀岳」が写る。工作物の左に墓がある。ここは、各家とも屋敷の一角に墓がある。
一回りしたところで歩いて来た方向にカメラを向ける。
📷006:「築立」の一角
写真のY字路を左に進み、一回りして右の小道を出てきたところである。
高い木の向こう、小道の脇にも墓があり、刻まれた文字をみると「寛文」、「寛政」の年号がある。調べると、「寛文」は江戸時代の前期に当たり、相当古くから続く家であることがわかる。
先ほどの十字路に引返し南に向かう。少し進んで西の方にカメラを向ける。
📷007:「築立」と「西山」を望む
右側に写る家々も「築立」の一角である。屋根の上に「神宮寺岳」がのぞかれ、中央には「姫神山」が写る。ここから見る「姫神山」の頂上は丸っこく優しい感じがする。
小さくてわかりづらいが、中央やや左の木立の向こうに「イオン大曲店」の白っぽい建物が見える。
さらに進むと昔に見たような小さな流れがあり、思わずカメラを向ける。
📷008:古き懐かしい「流れ」
農業用水路としての役割も果たせないような、曲がりくねった小さな流れである。両側の田んぼはきちんと区画整理されているのに、この流れはなぜ改修されずに、昔のままの姿を残しているのであろうか。
それにしても、こんな光景を見ると子供の頃にタイムスリップしたような気になり、懐かしい感じがする。流れの両側に細長い葉が顔を出しているが、「ハナショウブ」(「花菖蒲」)と思われ、花の咲く時期に改めて眺めてみたい気になる。奥にある木立もいい趣を添えている。
昔からの流れと思われるので、S23年航空写真に写っていないか、是非確かめたくなった。
(その4に続く)
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