戦後に爆発的にヒットした名曲「青い山脈」は服部良一氏が大阪から京都に移動するJRの車窓から北摂の山並みを見ながら生み出れた曲だそうです。先日の戸高さんの講演で初めて知りました。
戸高さんご自身20年ほど前に服部さんの自叙伝を読まれて知られたそうで、意外と知られていないのではないでしょか?
戸高さんも「少年時代、北摂の山々に分け入って遊んだ日々が一番楽しい時期でした。戦後高度成長に向かってがむしゃらに走り続けたとき家族や地域社会や自然の恵みの存在を忘れていました。「ぶらツチ」でそれらを思い起こし、人と自然のより良いあり方を探るヒントになればと思っています」と講演を締めくくられていました。
戸高さんご自身20年ほど前に服部さんの自叙伝を読まれて知られたそうで、意外と知られていないのではないでしょか?
戸高さんも「少年時代、北摂の山々に分け入って遊んだ日々が一番楽しい時期でした。戦後高度成長に向かってがむしゃらに走り続けたとき家族や地域社会や自然の恵みの存在を忘れていました。「ぶらツチ」でそれらを思い起こし、人と自然のより良いあり方を探るヒントになればと思っています」と講演を締めくくられていました。
朝日新聞に毎月1回最終月曜日折り込まれる高槻ミニコミ紙「きつつき21」をご覧の方はご存知と思いますが、ぶらっと我が町を訪れてスケッチする。
名付けて「ぶらツチ」
表紙の挿絵を担当されています画家戸高明義さんの講演会に参加しました。
左上の芥川と三好山のスケッチ「山に登る途中竹に耳を当てると地中の水が上がっていく音が生き生きと聞こえ、素晴らしい生命の営みに感動しました」とおっしゃるように、愛情あふれる、優しい心和む絵だと思いました。
右上の巡礼橋のスケッチは小さくて素朴で見逃すような橋なのに少年期を富田で
すごされた思い出が詰まった橋なのでしょう!
名は体を現すではないですが、絵は人柄を現すで絵のとうりやさしいお話しぶりで
時々駄洒落(失礼しました!)ユゥモアーを交えながらの1時間あっという間でした。
これからも高槻、茨木でスケッチに行かれるそうです。お見かけになられましたら
お声かけ下さいとの事でした。
きつつきご覧になりたい方は、朝日新聞をご購読いただくか富田の笹井新聞舗に予備が御座います。