人は「非日常」を求め外食や旅行をする。
楽しくそして自分が主役になれる時間。
しかし、訃報に接した時はどうだろう?
これも、非日常である。
誰しも経験したくない非日常は何時も隣り合わせ。
ここ数年はコロナで家族葬が一般であったが、未だ流行しているらしい。
先日、上司のお子様のお話をきいた。
お子様の配偶者のお父様が亡くなられ急いで喪の準備をしていたが家族葬になるので遠方からは大丈夫ですよと言われたそうです。
後日、お子様に葬儀の話をきいてビックリ!
費用が250万????
外国の方で生花を山ほど使う葬儀だったそうです。
多分、花屋が250万で葬儀代は花屋もったのか?否や?
華やかな最後も良いが、生まれてくるのも死んでいくのも独りである。
まわりの方の意向が反映されるのが葬儀ではないだろうか?
私は今まで少ないが色んな葬儀を経験した。
その町では大きな自宅葬。病死の友は家族葬で後日知り墓参り。
自殺若しくは?の友は子供も小さく胸が痛んだ。最後の献花で顔も見る事も出来ない状態の自分がいた。
友の母が交通事故死。これも突然でゴルフに行く途中だったそうだ。
築地の番頭の死。独り身で社長が喪主として。参列も少なく私も棺桶を運び火葬まで。知識と知恵・温情に暑い方でした。亡くなる前に見舞いに行きましたが何時もと変わらずの笑顔。
築地本願寺での社葬。丁稚で入った懐石料理店主人の葬儀。政界は時の総理と側近。女優さんや有名な方々が多く出席。
私は生前の思い出だけにと直葬をお願いしている。
非日常は裏表の世界。中間が毎日である。
どちらも大切な事では(^_-)-☆