昨年末より休止していた熊野古道(中辺路)散歩を再開した。
富田川の中流、滝尻王子を右岸に見ながら国道311号線をひた走り、逢坂トンネルを抜けて、道の駅「熊野古道中辺路」より大坂本王子を目指して足を進める。
大坂本王子社跡
大坂(逢坂峠)の東側の麓にあるからこの王子社名が付いたようだ。
坂尻の谷川の側に大坂本王子跡はあった。今は杉林の中であるが、社跡とみられる石や大木の切り株が残されていた。石造の笠塔婆が王子跡をとどめているようだ。
天仁2年(1109)熊野参詣をした藤原宗忠は「坂中に蛇形の懸かった大樹がある。昔、女人が化成したと伝えられる」と日記に書いてあるそうだ。静寂さがなにか霊気を漂わせてくれる。
谷川のせせらぎを聴きながら、杉木立の中を牛馬童子に向けて歩く。
箸折峠の牛馬童子像と役行者像
熊野御幸の花山法皇が、この峠で昼食の為に萱の枝を折って箸にし食事を取ろうとしたところ、茎から露がしたたり落ちた。法皇は「これは血か、露か?」と物哀しげに側近に尋ねたと云われる。
それ以来、麓の里は「近露」、そしてこの峠を「箸折峠」と呼ばれるようになったと云われている。
牛馬童子像と役行者像が並んでいる。また花山法皇の経塚とされる石塔が立つ。牛馬童子像は花山法皇の熊野詣での姿を刻んだものと伝えられ、箸折峠のシンボルとなっている。
牛馬童子像の背後に、鎌倉時代の建立と推定される宝篋印塔「近露の宝塔」がある。これは花山法皇が熊野御幸の際、経典をこの地に埋納したとの伝説にもとづいて建てられたものだそうだ。
箸折峠の急な下り坂から、滑りやすい石畳の道を下ると、もうすぐ近露の里だ。この先の日置川に掛かる北野橋を渡ると近露王子が見える。
近露王子社跡
熊野詣の宿場として賑わった近露の里の中に鎮座し、産土神としても祀られていたという近露王子社は、王子社の中でも最も早く現れた王子社のひとつだそうで、鎌倉末期の熊野縁起では准五体王子社に崇められている。
皇太子殿下(天皇陛下)の行啓(平成4年5月27日)の碑も伺える。
近露王子を出ると、近露伝馬所跡の看板がある。伝馬所とは紀州藩が官吏の通行の便宜と公用の文書、荷物の輸送のために設置した役所で、此処には馬が12頭常備されていたそうだ。
近くの路傍からは可憐な花が優しく迎えてくれた。
比曽原王子社跡
藤原宗忠が熊野参詣した天仁2年(1109)には、近露王子社から中川王子社までの間に王子社は見られず、この王子社はそれ以降に設けられたようだ。
車道脇の山斜面、杉木の元に緑泥片岩の比曽原王子の碑があった。これは江戸中期には既に社殿が無かった為に立てられたものだそうだ。
里の桜もちらほら咲き始めていた。
次回は継桜王子から
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