内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

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Policy Essayist

― ブッダ誕生の聖地を読む ―   <連載 2>

2015-01-09 | Weblog

― ブッダ誕生の聖地を読む ―                    <連載 2>

 年末も近づいてくると、大晦日の零時近くに日本各地のお寺で除夜の鐘が鳴り、それぞれに煩悩を払って新年を迎える風景が思い浮かぶ。日本にはブッダ文化が広く根付いており、2011年6月には、東日本随一の平安時代の仏教美術の宝庫として知られる岩手県平泉町の中尊寺がUNESCOの世界文化遺産として登録された。奈良や京都には多くの仏教建築、文化財が世界遺産となっており、神社などと並んで日本文化の一部となっている。国勢調査においても、信仰の程度は別として仏教の系統が9,600万人、総人口の約74%にものぼる。

 ところが仏教の基礎を築いたブッダ(通称お釈迦様)の誕生地やシャキア王国の王子として育った城都カピラバスツなど、その歴史的、社会的な背景については、一部の仏教関係者を除いて一般には余り知られていない。確かに、ブッダの誕生地は「北インド」と習った人が多く、未だに多くの教科書にはそのように記載されている。更に城都カピラバスツ(通称カピラ城)については、今日でもネパール説とインド説があり、国際的にも決着していない。2,500年以上前の伝承上、宗教上の人物であるので、今更どちらでもよいような話ではあるが、日本文化や慣習、思想に関係が深いので、宗教、信仰とは別に、知識としてブッダ誕生の歴史的、社会的な背景やルーツを知ることは日本の文化や思想をよりよく知る上で必要なのであろう。

 このような観点、疑問から2011年に著書「お釈迦様のルーツの謎」を出版(東京図書出版、末尾に掲載)したが、今回はそれを基礎として、ブッダ教が日本にどのように伝来し、受け入れられたか、そしてブッダ思想が生まれたその歴史的、社会的な背景と今日的な意味の一端をご紹介してみたい。

 1、飛鳥時代の朝廷に受け入れられた仏教   <連載 1で掲載>

 2、ブッダの生誕地ルンビニ

 ブッダは、紀元前6世紀から5世紀にかけて現在のネパール南部ルンビニで誕生し、29歳までシャキア(釈迦)族の部族王国の王子としてカピラバスツ城で育ち、29才で悟りの道を求めて城を後にした。王子の名はシッダールタ・ゴータマ、そしてその部族名(シャキア)からお釈迦様の名で親しまれている。シッダールタ王子は後に悟りを開き、ブッダ(悟りを開いた者の意)となり、ブッダ教(仏教)の創始者になった。

 ルンビニは、1997年にUNESCOの世界文化遺産に登録されており、ブッダの生誕地としては国際的に認知されていると言ってよいだろう。

 ルンビニには、マヤデヴィ寺院、沐浴したとされる池やシッダールタ王子誕生を描写した石像などがある。

 しかし歴史的に重要なのは、アショカ王の石柱であり、そこに刻まれている碑文(パーリ語)により、19世紀末のブッダの生誕地論争に終止符が打たれた経緯がある。アショカ王(在位 紀元前269年より232年頃)は、ほぼインド全域を統一しマガダ国マウリア王朝の全盛期を築いたが、カリンガの闘いでの大虐殺への報いを恐れ、不戦と不殺生を誓い、ブッダ教に帰依したと言われている。同時にルンビニは、シッダールタ王子が育ったカピラバスツ城の位置を特定する上でも重要な基点となる。

 なお、日本の教科書での記述振りは1990年代末以降若干改善されて来ているものの、「ブッダの誕生地はネーパルのルンビニ」と記されている教科書は相対的に少なく、未だに「北インド」と書かれているものが多く、改定が課題となっている。 (2014.11.06.)(Copy Rights Reserved)            

 


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