内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

原発事故時の危機管理、再点検を提案する (その1)

2011-05-31 | Weblog
原発事故時の危機管理、再点検を提案する (その1)
 東京電力は、5月15日、東日本大地震に際し地震と津波により福島原発1号機については、非常用の冷却機能(送水用発電機)の機能が停止し、3時間後の3月11日午後7時半頃には原子炉(中心部の圧力容器)内の冷却水が減少し核燃料棒がすべて水面から露出し空焚き状態となり、午後9時頃には炉心の最高温度が2,800度ほどに達し、核燃料棒の溶解が始まったことを公表した。そして翌12日午前6時50分頃には核燃料棒の大部分が圧力容器の底に融け落ちたとした。核燃料棒のメルトダウン(溶解)である。その後2号機、3号機についても溶解があった可能性を示唆した。
 その上で東京電力側は、原子炉の冷却に腐心して来ており、核燃料棒がメルトダウンしたことがその後の作業には影響していない旨説明している。
 とんでもない。地震、津波後、6時間後には炉心が2,800度程に達し、核燃料棒のメルトダウン(溶解)が開始していたことは原子炉にとって致命的な大事故である。核燃料棒のメルトダウン(溶解)により多量の放射能が圧力容器の空中及び冷却水に放出されていると共に、鉄製の圧力容器内が摂氏2,800度以上になっており、放射能を含む大爆発にも繋がりかねない状態であった。
 この状態は、直ちに原子炉事故の最高レベルの緊急事態と言える。原子炉事故の深刻さを示す国際評価尺度(INES)の7段階の内、最高レベルの「深刻な事故」にも相当する。
 しかし東京電力より報告された情報に基づき、経済産業省が所管する原子力安全・保安院は、大震災事故の翌3月12日にレバル4の「局所的な影響を伴う事故」と公表し、次いで1号機、3号機が水素爆発を起こした後、3月18日にレベル5の「事業所外にリスクを伴う事故」に引き上げた。そして大震災後1ヶ月経った4月12日にレベル6の「大事故」を飛び越して最高レベルの7「深刻な事故」に引き上げた。
 現在2号機、3号機の核燃料棒もメルトダウンしていたことが明らかとなり、また1号機の炉内に海水を注入したことにつき、注入を指示した、指示しなかった等の問題が、政治問題化し野党側が政権の責任を追及する構えだ。確かに福島原発被災事故への対応を検証することは大切であるが、「想定外」の被災事故への対応であり、いわばシナリオの無い危機への対応であるのでその場その場の判断、対応とならざるを得ないことも理解すべきであろう。しかし現時点でより大切なことは「責任追及」などではなく、福島原発の早期の安定化と放射能汚染拡散防止などと並んで、現存の原子力発電所の防災措置の改善と危機管理体制の点検、改善であろう。
 1、原発事故時の危機管理体制の欠如
 福島原発の被災事故後、同日夜までにレベル6の「大事故」か最高レベル7の「深刻な事故」と認定、公表し、直ちに首相官邸に福島原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、経済産業省、防衛省、国土交通省、総務省など関係大臣・担当幹部、主要原子力委員と共に、東京電力関係幹部などを集結させ、政府が中心となって危機管理に当たるべきであった。
 原子炉の核燃料棒がメルトダウンする恐れのある状況は、一民間電力会社が対応できる範囲を遥かに越えた国家危機と認識すべきであろう。放射能飛散による影響の重大性と共に、核防護措置一つを取っても民間会社の能力を超え、防衛省の核防護ユニットや米国その他の核先進国の核スペシャリストや軍の核対応ユニットなどの支援を得なければ対応は困難であろう。このような状況になることを想定していなかったのであろうが、それ自体が安易であり、レベル6を越える原発事故時の危機管理体制を緊急に点検する必要がある。地震、津波等の被災事故だけでなく、海などからの国際テロ攻撃などにも備える必要があろう。
 基本的に「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが十分でなかった上、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。そもそも原発被災事故については、「想定外」であったこと自体が国民にとっては信じられないことであった。2004年12月のスマトラ沖地震と巨大津波が発生した際、特に日本の三陸沿岸の脆弱さが指摘されていた。これらの防災対策や原子炉事故への危機管理体制は、旧自民・公明政権の下で築かれたものであり、旧政権や行政各部、原子力委員会は国民に説明責任がある。その下で今回の対応の責任は現民主党政権と行政各部にあり、その責任は重い。しかし「想定外」の被災事故への対応であり、現場はシナリオのないまま必死に対応していたと思われるので、その努力は公正に評価する必要があろう。東京電力自体が地震、津波に被災した被害者であり、今回の事故は「福島原発被災事故」と表記するべきであろう。
 現在日本には原発が54基存在し、福島原発が被災事故に遭ったことから、東海地震源にある静岡県の浜岡原発が全面停止され、防災上の点検がなされることになったが、止むを得ないことであろう。その他の既存の原発については、経済性や当面の安定的な電力確保などの観点から、活用しないとの選択肢は事実上困難であるので、それを前提として、それぞれ必要に応じ防災上の改善、強化がなされるべきであろう。同時にこれら原発の原子炉に重大な事故が発生した場合の危機管理体制につき、ソフト、ハード両面において備えを整えて置くことが急務だ。
 福島原発被災事故の対策本部は、被災直後から東電本社にあり、現地よりの情報が集中され対応に当たっている。それ自体は良いのだが、4月12日に最高レベルの7「深刻な事故」に指定されて以降も対策本部は東電本社にあり、所管する経産大臣が東電本社に赴いている。原発に「深刻な事故」が発生していると政府が認定していながら、何故担当大臣が1ヶ月半も民間企業に出向いているのだろうか。本来であれば、被災後、核燃料棒が溶解し始めている可能性が予測された段階で速やかに首相官邸に原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、政府主導で危機管理に当たるべきであろう。情報もリアルタイムで現地より直接危機管理センターに入る体制としなければ情勢把握や速やかな対応も困難だ。
更に今回の原発被災事故で、遺憾ながら日本の原子力発電所が海からの攻撃などにほぼ無防備であることが全世界に伝えられる結果となった。国際テロ等による攻撃にも備えを検討しなくてはならない。
 また原子力産業を促進する立場の経産省に、原子力の安全、保安を担当する原子力安全・保安庁があること自体も「利害の衝突」の観点から再検討されなくてはならない。原子力の安全については嘗て科学技術庁が担当していたが、省庁の統廃合の課程で原子力安全・保安は経産省に、科学研究等は文部科学省に振り分けられた。しかしこれには無理があり、総務省などに移管することが望ましい。(2011.05.27)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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原発事故時の危機管理、再点検を提案する (その1)

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原発事故時の危機管理、再点検を提案する (その1)
 東京電力は、5月15日、東日本大地震に際し地震と津波により福島原発1号機については、非常用の冷却機能(送水用発電機)の機能が停止し、3時間後の3月11日午後7時半頃には原子炉(中心部の圧力容器)内の冷却水が減少し核燃料棒がすべて水面から露出し空焚き状態となり、午後9時頃には炉心の最高温度が2,800度ほどに達し、核燃料棒の溶解が始まったことを公表した。そして翌12日午前6時50分頃には核燃料棒の大部分が圧力容器の底に融け落ちたとした。核燃料棒のメルトダウン(溶解)である。その後2号機、3号機についても溶解があった可能性を示唆した。
 その上で東京電力側は、原子炉の冷却に腐心して来ており、核燃料棒がメルトダウンしたことがその後の作業には影響していない旨説明している。
 とんでもない。地震、津波後、6時間後には炉心が2,800度程に達し、核燃料棒のメルトダウン(溶解)が開始していたことは原子炉にとって致命的な大事故である。核燃料棒のメルトダウン(溶解)により多量の放射能が圧力容器の空中及び冷却水に放出されていると共に、鉄製の圧力容器内が摂氏2,800度以上になっており、放射能を含む大爆発にも繋がりかねない状態であった。
 この状態は、直ちに原子炉事故の最高レベルの緊急事態と言える。原子炉事故の深刻さを示す国際評価尺度(INES)の7段階の内、最高レベルの「深刻な事故」にも相当する。
 しかし東京電力より報告された情報に基づき、経済産業省が所管する原子力安全・保安院は、大震災事故の翌3月12日にレバル4の「局所的な影響を伴う事故」と公表し、次いで1号機、3号機が水素爆発を起こした後、3月18日にレベル5の「事業所外にリスクを伴う事故」に引き上げた。そして大震災後1ヶ月経った4月12日にレベル6の「大事故」を飛び越して最高レベルの7「深刻な事故」に引き上げた。
 現在2号機、3号機の核燃料棒もメルトダウンしていたことが明らかとなり、また1号機の炉内に海水を注入したことにつき、注入を指示した、指示しなかった等の問題が、政治問題化し野党側が政権の責任を追及する構えだ。確かに福島原発被災事故への対応を検証することは大切であるが、「想定外」の被災事故への対応であり、いわばシナリオの無い危機への対応であるのでその場その場の判断、対応とならざるを得ないことも理解すべきであろう。しかし現時点でより大切なことは「責任追及」などではなく、福島原発の早期の安定化と放射能汚染拡散防止などと並んで、現存の原子力発電所の防災措置の改善と危機管理体制の点検、改善であろう。
 1、原発事故時の危機管理体制の欠如
 福島原発の被災事故後、同日夜までにレベル6の「大事故」か最高レベル7の「深刻な事故」と認定、公表し、直ちに首相官邸に福島原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、経済産業省、防衛省、国土交通省、総務省など関係大臣・担当幹部、主要原子力委員と共に、東京電力関係幹部などを集結させ、政府が中心となって危機管理に当たるべきであった。
 原子炉の核燃料棒がメルトダウンする恐れのある状況は、一民間電力会社が対応できる範囲を遥かに越えた国家危機と認識すべきであろう。放射能飛散による影響の重大性と共に、核防護措置一つを取っても民間会社の能力を超え、防衛省の核防護ユニットや米国その他の核先進国の核スペシャリストや軍の核対応ユニットなどの支援を得なければ対応は困難であろう。このような状況になることを想定していなかったのであろうが、それ自体が安易であり、レベル6を越える原発事故時の危機管理体制を緊急に点検する必要がある。地震、津波等の被災事故だけでなく、海などからの国際テロ攻撃などにも備える必要があろう。
 基本的に「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが十分でなかった上、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。そもそも原発被災事故については、「想定外」であったこと自体が国民にとっては信じられないことであった。2004年12月のスマトラ沖地震と巨大津波が発生した際、特に日本の三陸沿岸の脆弱さが指摘されていた。これらの防災対策や原子炉事故への危機管理体制は、旧自民・公明政権の下で築かれたものであり、旧政権や行政各部、原子力委員会は国民に説明責任がある。その下で今回の対応の責任は現民主党政権と行政各部にあり、その責任は重い。しかし「想定外」の被災事故への対応であり、現場はシナリオのないまま必死に対応していたと思われるので、その努力は公正に評価する必要があろう。東京電力自体が地震、津波に被災した被害者であり、今回の事故は「福島原発被災事故」と表記するべきであろう。
 現在日本には原発が54基存在し、福島原発が被災事故に遭ったことから、東海地震源にある静岡県の浜岡原発が全面停止され、防災上の点検がなされることになったが、止むを得ないことであろう。その他の既存の原発については、経済性や当面の安定的な電力確保などの観点から、活用しないとの選択肢は事実上困難であるので、それを前提として、それぞれ必要に応じ防災上の改善、強化がなされるべきであろう。同時にこれら原発の原子炉に重大な事故が発生した場合の危機管理体制につき、ソフト、ハード両面において備えを整えて置くことが急務だ。
 福島原発被災事故の対策本部は、被災直後から東電本社にあり、現地よりの情報が集中され対応に当たっている。それ自体は良いのだが、4月12日に最高レベルの7「深刻な事故」に指定されて以降も対策本部は東電本社にあり、所管する経産大臣が東電本社に赴いている。原発に「深刻な事故」が発生していると政府が認定していながら、何故担当大臣が1ヶ月半も民間企業に出向いているのだろうか。本来であれば、被災後、核燃料棒が溶解し始めている可能性が予測された段階で速やかに首相官邸に原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、政府主導で危機管理に当たるべきであろう。情報もリアルタイムで現地より直接危機管理センターに入る体制としなければ情勢把握や速やかな対応も困難だ。
更に今回の原発被災事故で、遺憾ながら日本の原子力発電所が海からの攻撃などにほぼ無防備であることが全世界に伝えられる結果となった。国際テロ等による攻撃にも備えを検討しなくてはならない。
 また原子力産業を促進する立場の経産省に、原子力の安全、保安を担当する原子力安全・保安庁があること自体も「利害の衝突」の観点から再検討されなくてはならない。原子力の安全については嘗て科学技術庁が担当していたが、省庁の統廃合の課程で原子力安全・保安は経産省に、科学研究等は文部科学省に振り分けられた。しかしこれには無理があり、総務省などに移管することが望ましい。(2011.05.27)
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原発事故時の危機管理、再点検を提案する (その1)

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 東京電力は、5月15日、東日本大地震に際し地震と津波により福島原発1号機については、非常用の冷却機能(送水用発電機)の機能が停止し、3時間後の3月11日午後7時半頃には原子炉(中心部の圧力容器)内の冷却水が減少し核燃料棒がすべて水面から露出し空焚き状態となり、午後9時頃には炉心の最高温度が2,800度ほどに達し、核燃料棒の溶解が始まったことを公表した。そして翌12日午前6時50分頃には核燃料棒の大部分が圧力容器の底に融け落ちたとした。核燃料棒のメルトダウン(溶解)である。その後2号機、3号機についても溶解があった可能性を示唆した。
 その上で東京電力側は、原子炉の冷却に腐心して来ており、核燃料棒がメルトダウンしたことがその後の作業には影響していない旨説明している。
 とんでもない。地震、津波後、6時間後には炉心が2,800度程に達し、核燃料棒のメルトダウン(溶解)が開始していたことは原子炉にとって致命的な大事故である。核燃料棒のメルトダウン(溶解)により多量の放射能が圧力容器の空中及び冷却水に放出されていると共に、鉄製の圧力容器内が摂氏2,800度以上になっており、放射能を含む大爆発にも繋がりかねない状態であった。
 この状態は、直ちに原子炉事故の最高レベルの緊急事態と言える。原子炉事故の深刻さを示す国際評価尺度(INES)の7段階の内、最高レベルの「深刻な事故」にも相当する。
 しかし東京電力より報告された情報に基づき、経済産業省が所管する原子力安全・保安院は、大震災事故の翌3月12日にレバル4の「局所的な影響を伴う事故」と公表し、次いで1号機、3号機が水素爆発を起こした後、3月18日にレベル5の「事業所外にリスクを伴う事故」に引き上げた。そして大震災後1ヶ月経った4月12日にレベル6の「大事故」を飛び越して最高レベルの7「深刻な事故」に引き上げた。
 現在2号機、3号機の核燃料棒もメルトダウンしていたことが明らかとなり、また1号機の炉内に海水を注入したことにつき、注入を指示した、指示しなかった等の問題が、政治問題化し野党側が政権の責任を追及する構えだ。確かに福島原発被災事故への対応を検証することは大切であるが、「想定外」の被災事故への対応であり、いわばシナリオの無い危機への対応であるのでその場その場の判断、対応とならざるを得ないことも理解すべきであろう。しかし現時点でより大切なことは「責任追及」などではなく、福島原発の早期の安定化と放射能汚染拡散防止などと並んで、現存の原子力発電所の防災措置の改善と危機管理体制の点検、改善であろう。
 1、原発事故時の危機管理体制の欠如
 福島原発の被災事故後、同日夜までにレベル6の「大事故」か最高レベル7の「深刻な事故」と認定、公表し、直ちに首相官邸に福島原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、経済産業省、防衛省、国土交通省、総務省など関係大臣・担当幹部、主要原子力委員と共に、東京電力関係幹部などを集結させ、政府が中心となって危機管理に当たるべきであった。
 原子炉の核燃料棒がメルトダウンする恐れのある状況は、一民間電力会社が対応できる範囲を遥かに越えた国家危機と認識すべきであろう。放射能飛散による影響の重大性と共に、核防護措置一つを取っても民間会社の能力を超え、防衛省の核防護ユニットや米国その他の核先進国の核スペシャリストや軍の核対応ユニットなどの支援を得なければ対応は困難であろう。このような状況になることを想定していなかったのであろうが、それ自体が安易であり、レベル6を越える原発事故時の危機管理体制を緊急に点検する必要がある。地震、津波等の被災事故だけでなく、海などからの国際テロ攻撃などにも備える必要があろう。
 基本的に「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが十分でなかった上、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。そもそも原発被災事故については、「想定外」であったこと自体が国民にとっては信じられないことであった。2004年12月のスマトラ沖地震と巨大津波が発生した際、特に日本の三陸沿岸の脆弱さが指摘されていた。これらの防災対策や原子炉事故への危機管理体制は、旧自民・公明政権の下で築かれたものであり、旧政権や行政各部、原子力委員会は国民に説明責任がある。その下で今回の対応の責任は現民主党政権と行政各部にあり、その責任は重い。しかし「想定外」の被災事故への対応であり、現場はシナリオのないまま必死に対応していたと思われるので、その努力は公正に評価する必要があろう。東京電力自体が地震、津波に被災した被害者であり、今回の事故は「福島原発被災事故」と表記するべきであろう。
 現在日本には原発が54基存在し、福島原発が被災事故に遭ったことから、東海地震源にある静岡県の浜岡原発が全面停止され、防災上の点検がなされることになったが、止むを得ないことであろう。その他の既存の原発については、経済性や当面の安定的な電力確保などの観点から、活用しないとの選択肢は事実上困難であるので、それを前提として、それぞれ必要に応じ防災上の改善、強化がなされるべきであろう。同時にこれら原発の原子炉に重大な事故が発生した場合の危機管理体制につき、ソフト、ハード両面において備えを整えて置くことが急務だ。
 福島原発被災事故の対策本部は、被災直後から東電本社にあり、現地よりの情報が集中され対応に当たっている。それ自体は良いのだが、4月12日に最高レベルの7「深刻な事故」に指定されて以降も対策本部は東電本社にあり、所管する経産大臣が東電本社に赴いている。原発に「深刻な事故」が発生していると政府が認定していながら、何故担当大臣が1ヶ月半も民間企業に出向いているのだろうか。本来であれば、被災後、核燃料棒が溶解し始めている可能性が予測された段階で速やかに首相官邸に原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、政府主導で危機管理に当たるべきであろう。情報もリアルタイムで現地より直接危機管理センターに入る体制としなければ情勢把握や速やかな対応も困難だ。
更に今回の原発被災事故で、遺憾ながら日本の原子力発電所が海からの攻撃などにほぼ無防備であることが全世界に伝えられる結果となった。国際テロ等による攻撃にも備えを検討しなくてはならない。
 また原子力産業を促進する立場の経産省に、原子力の安全、保安を担当する原子力安全・保安庁があること自体も「利害の衝突」の観点から再検討されなくてはならない。原子力の安全については嘗て科学技術庁が担当していたが、省庁の統廃合の課程で原子力安全・保安は経産省に、科学研究等は文部科学省に振り分けられた。しかしこれには無理があり、総務省などに移管することが望ましい。(2011.05.27)
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原発事故時の危機管理、再点検を提案する (その1)

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 東京電力は、5月15日、東日本大地震に際し地震と津波により福島原発1号機については、非常用の冷却機能(送水用発電機)の機能が停止し、3時間後の3月11日午後7時半頃には原子炉(中心部の圧力容器)内の冷却水が減少し核燃料棒がすべて水面から露出し空焚き状態となり、午後9時頃には炉心の最高温度が2,800度ほどに達し、核燃料棒の溶解が始まったことを公表した。そして翌12日午前6時50分頃には核燃料棒の大部分が圧力容器の底に融け落ちたとした。核燃料棒のメルトダウン(溶解)である。その後2号機、3号機についても溶解があった可能性を示唆した。
 その上で東京電力側は、原子炉の冷却に腐心して来ており、核燃料棒がメルトダウンしたことがその後の作業には影響していない旨説明している。
 とんでもない。地震、津波後、6時間後には炉心が2,800度程に達し、核燃料棒のメルトダウン(溶解)が開始していたことは原子炉にとって致命的な大事故である。核燃料棒のメルトダウン(溶解)により多量の放射能が圧力容器の空中及び冷却水に放出されていると共に、鉄製の圧力容器内が摂氏2,800度以上になっており、放射能を含む大爆発にも繋がりかねない状態であった。
 この状態は、直ちに原子炉事故の最高レベルの緊急事態と言える。原子炉事故の深刻さを示す国際評価尺度(INES)の7段階の内、最高レベルの「深刻な事故」にも相当する。
 しかし東京電力より報告された情報に基づき、経済産業省が所管する原子力安全・保安院は、大震災事故の翌3月12日にレバル4の「局所的な影響を伴う事故」と公表し、次いで1号機、3号機が水素爆発を起こした後、3月18日にレベル5の「事業所外にリスクを伴う事故」に引き上げた。そして大震災後1ヶ月経った4月12日にレベル6の「大事故」を飛び越して最高レベルの7「深刻な事故」に引き上げた。
 現在2号機、3号機の核燃料棒もメルトダウンしていたことが明らかとなり、また1号機の炉内に海水を注入したことにつき、注入を指示した、指示しなかった等の問題が、政治問題化し野党側が政権の責任を追及する構えだ。確かに福島原発被災事故への対応を検証することは大切であるが、「想定外」の被災事故への対応であり、いわばシナリオの無い危機への対応であるのでその場その場の判断、対応とならざるを得ないことも理解すべきであろう。しかし現時点でより大切なことは「責任追及」などではなく、福島原発の早期の安定化と放射能汚染拡散防止などと並んで、現存の原子力発電所の防災措置の改善と危機管理体制の点検、改善であろう。
 1、原発事故時の危機管理体制の欠如
 福島原発の被災事故後、同日夜までにレベル6の「大事故」か最高レベル7の「深刻な事故」と認定、公表し、直ちに首相官邸に福島原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、経済産業省、防衛省、国土交通省、総務省など関係大臣・担当幹部、主要原子力委員と共に、東京電力関係幹部などを集結させ、政府が中心となって危機管理に当たるべきであった。
 原子炉の核燃料棒がメルトダウンする恐れのある状況は、一民間電力会社が対応できる範囲を遥かに越えた国家危機と認識すべきであろう。放射能飛散による影響の重大性と共に、核防護措置一つを取っても民間会社の能力を超え、防衛省の核防護ユニットや米国その他の核先進国の核スペシャリストや軍の核対応ユニットなどの支援を得なければ対応は困難であろう。このような状況になることを想定していなかったのであろうが、それ自体が安易であり、レベル6を越える原発事故時の危機管理体制を緊急に点検する必要がある。地震、津波等の被災事故だけでなく、海などからの国際テロ攻撃などにも備える必要があろう。
 基本的に「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが十分でなかった上、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。そもそも原発被災事故については、「想定外」であったこと自体が国民にとっては信じられないことであった。2004年12月のスマトラ沖地震と巨大津波が発生した際、特に日本の三陸沿岸の脆弱さが指摘されていた。これらの防災対策や原子炉事故への危機管理体制は、旧自民・公明政権の下で築かれたものであり、旧政権や行政各部、原子力委員会は国民に説明責任がある。その下で今回の対応の責任は現民主党政権と行政各部にあり、その責任は重い。しかし「想定外」の被災事故への対応であり、現場はシナリオのないまま必死に対応していたと思われるので、その努力は公正に評価する必要があろう。東京電力自体が地震、津波に被災した被害者であり、今回の事故は「福島原発被災事故」と表記するべきであろう。
 現在日本には原発が54基存在し、福島原発が被災事故に遭ったことから、東海地震源にある静岡県の浜岡原発が全面停止され、防災上の点検がなされることになったが、止むを得ないことであろう。その他の既存の原発については、経済性や当面の安定的な電力確保などの観点から、活用しないとの選択肢は事実上困難であるので、それを前提として、それぞれ必要に応じ防災上の改善、強化がなされるべきであろう。同時にこれら原発の原子炉に重大な事故が発生した場合の危機管理体制につき、ソフト、ハード両面において備えを整えて置くことが急務だ。
 福島原発被災事故の対策本部は、被災直後から東電本社にあり、現地よりの情報が集中され対応に当たっている。それ自体は良いのだが、4月12日に最高レベルの7「深刻な事故」に指定されて以降も対策本部は東電本社にあり、所管する経産大臣が東電本社に赴いている。原発に「深刻な事故」が発生していると政府が認定していながら、何故担当大臣が1ヶ月半も民間企業に出向いているのだろうか。本来であれば、被災後、核燃料棒が溶解し始めている可能性が予測された段階で速やかに首相官邸に原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、政府主導で危機管理に当たるべきであろう。情報もリアルタイムで現地より直接危機管理センターに入る体制としなければ情勢把握や速やかな対応も困難だ。
更に今回の原発被災事故で、遺憾ながら日本の原子力発電所が海からの攻撃などにほぼ無防備であることが全世界に伝えられる結果となった。国際テロ等による攻撃にも備えを検討しなくてはならない。
 また原子力産業を促進する立場の経産省に、原子力の安全、保安を担当する原子力安全・保安庁があること自体も「利害の衝突」の観点から再検討されなくてはならない。原子力の安全については嘗て科学技術庁が担当していたが、省庁の統廃合の課程で原子力安全・保安は経産省に、科学研究等は文部科学省に振り分けられた。しかしこれには無理があり、総務省などに移管することが望ましい。(2011.05.27)
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 その上で東京電力側は、原子炉の冷却に腐心して来ており、核燃料棒がメルトダウンしたことがその後の作業には影響していない旨説明している。
 とんでもない。地震、津波後、6時間後には炉心が2,800度程に達し、核燃料棒のメルトダウン(溶解)が開始していたことは原子炉にとって致命的な大事故である。核燃料棒のメルトダウン(溶解)により多量の放射能が圧力容器の空中及び冷却水に放出されていると共に、鉄製の圧力容器内が摂氏2,800度以上になっており、放射能を含む大爆発にも繋がりかねない状態であった。
 この状態は、直ちに原子炉事故の最高レベルの緊急事態と言える。原子炉事故の深刻さを示す国際評価尺度(INES)の7段階の内、最高レベルの「深刻な事故」にも相当する。
 しかし東京電力より報告された情報に基づき、経済産業省が所管する原子力安全・保安院は、大震災事故の翌3月12日にレバル4の「局所的な影響を伴う事故」と公表し、次いで1号機、3号機が水素爆発を起こした後、3月18日にレベル5の「事業所外にリスクを伴う事故」に引き上げた。そして大震災後1ヶ月経った4月12日にレベル6の「大事故」を飛び越して最高レベルの7「深刻な事故」に引き上げた。
 現在2号機、3号機の核燃料棒もメルトダウンしていたことが明らかとなり、また1号機の炉内に海水を注入したことにつき、注入を指示した、指示しなかった等の問題が、政治問題化し野党側が政権の責任を追及する構えだ。確かに福島原発被災事故への対応を検証することは大切であるが、「想定外」の被災事故への対応であり、いわばシナリオの無い危機への対応であるのでその場その場の判断、対応とならざるを得ないことも理解すべきであろう。しかし現時点でより大切なことは「責任追及」などではなく、福島原発の早期の安定化と放射能汚染拡散防止などと並んで、現存の原子力発電所の防災措置の改善と危機管理体制の点検、改善であろう。
 1、原発事故時の危機管理体制の欠如
 福島原発の被災事故後、同日夜までにレベル6の「大事故」か最高レベル7の「深刻な事故」と認定、公表し、直ちに首相官邸に福島原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、経済産業省、防衛省、国土交通省、総務省など関係大臣・担当幹部、主要原子力委員と共に、東京電力関係幹部などを集結させ、政府が中心となって危機管理に当たるべきであった。
 原子炉の核燃料棒がメルトダウンする恐れのある状況は、一民間電力会社が対応できる範囲を遥かに越えた国家危機と認識すべきであろう。放射能飛散による影響の重大性と共に、核防護措置一つを取っても民間会社の能力を超え、防衛省の核防護ユニットや米国その他の核先進国の核スペシャリストや軍の核対応ユニットなどの支援を得なければ対応は困難であろう。このような状況になることを想定していなかったのであろうが、それ自体が安易であり、レベル6を越える原発事故時の危機管理体制を緊急に点検する必要がある。地震、津波等の被災事故だけでなく、海などからの国際テロ攻撃などにも備える必要があろう。
 基本的に「想定を越えた災害」が起こったとは言え、福島原子力発電所における大規模地震や津波災害への備えが十分でなかった上、原子炉に危機的な異変が起こった後の対応振りや備えがハード、ソフト双方の面で十分でなかったことが明らかになった。そもそも原発被災事故については、「想定外」であったこと自体が国民にとっては信じられないことであった。2004年12月のスマトラ沖地震と巨大津波が発生した際、特に日本の三陸沿岸の脆弱さが指摘されていた。これらの防災対策や原子炉事故への危機管理体制は、旧自民・公明政権の下で築かれたものであり、旧政権や行政各部、原子力委員会は国民に説明責任がある。その下で今回の対応の責任は現民主党政権と行政各部にあり、その責任は重い。しかし「想定外」の被災事故への対応であり、現場はシナリオのないまま必死に対応していたと思われるので、その努力は公正に評価する必要があろう。東京電力自体が地震、津波に被災した被害者であり、今回の事故は「福島原発被災事故」と表記するべきであろう。
 現在日本には原発が54基存在し、福島原発が被災事故に遭ったことから、東海地震源にある静岡県の浜岡原発が全面停止され、防災上の点検がなされることになったが、止むを得ないことであろう。その他の既存の原発については、経済性や当面の安定的な電力確保などの観点から、活用しないとの選択肢は事実上困難であるので、それを前提として、それぞれ必要に応じ防災上の改善、強化がなされるべきであろう。同時にこれら原発の原子炉に重大な事故が発生した場合の危機管理体制につき、ソフト、ハード両面において備えを整えて置くことが急務だ。
 福島原発被災事故の対策本部は、被災直後から東電本社にあり、現地よりの情報が集中され対応に当たっている。それ自体は良いのだが、4月12日に最高レベルの7「深刻な事故」に指定されて以降も対策本部は東電本社にあり、所管する経産大臣が東電本社に赴いている。原発に「深刻な事故」が発生していると政府が認定していながら、何故担当大臣が1ヶ月半も民間企業に出向いているのだろうか。本来であれば、被災後、核燃料棒が溶解し始めている可能性が予測された段階で速やかに首相官邸に原発被災事故危機管理センターを立ち上げ、政府主導で危機管理に当たるべきであろう。情報もリアルタイムで現地より直接危機管理センターに入る体制としなければ情勢把握や速やかな対応も困難だ。
更に今回の原発被災事故で、遺憾ながら日本の原子力発電所が海からの攻撃などにほぼ無防備であることが全世界に伝えられる結果となった。国際テロ等による攻撃にも備えを検討しなくてはならない。
 また原子力産業を促進する立場の経産省に、原子力の安全、保安を担当する原子力安全・保安庁があること自体も「利害の衝突」の観点から再検討されなくてはならない。原子力の安全については嘗て科学技術庁が担当していたが、省庁の統廃合の課程で原子力安全・保安は経産省に、科学研究等は文部科学省に振り分けられた。しかしこれには無理があり、総務省などに移管することが望ましい。(2011.05.27)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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「お釈迦様(ブッダ)のルーツの謎」話題の新刊

2011-05-31 | Weblog
「お釈迦様(ブッダ)のルーツの謎」話題の新刊
 ブッダはお釈迦様の名で親しまれているが、「お釈迦様のルーツの謎―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」
(東京図書出版会)が発行されています。
 ブッダ誕生を巡る歴史的、文化的背景を描き、ブッダ青年期の居城カピラヴァスツの核心に迫る興味ある著作です。
カピラバスツ城は未だにネパール説とインド説があり、国際的に決着がついていません。本著はその核心に迫ります。
 漫画ややアニメなどでは描かれていないブッダの歴史の真実が描かれています。ブッダのルーツ、シャキヤ族は何処
から来たか、王子時代の居城であったカピラバスツの場所は何処だったのか、そしてシャキヤ王国がジャングルに消え
ることになったシャキヤ族の悲劇など、謎の核心が描かれています。
 更にシッダールタ王子が29才で王子の地位を捨て、悟りの道に出発した歴史的、社会的な背景や今日的な意味にも触
れられています。その過程で、複数の先代ブッダ(過去仏)が実在の人物であったことが明らかになっており、この地
域に「古代ブッダ文化」が存在し、そのような歴史的な背景から現在のゴータマ・ブッダが誕生したことが明らかにな
っています。
 ブッダの半世紀ほど後に中国の孔子が現れ、更にその約半世紀後にギリシャのソクラテス、プラトンの思想が現れて
おり、ユーラシア大陸の思想の流れが浮き彫りになっており、世界の思想や信仰の流れとして大変興味深いところです。
 本著は、中外日報3月8日号で紹介され、また東京新聞の月刊生活情報紙「暮らすめいと」5月号に著者いんたビュー
が掲載され、また多くの読者からブッダの歴史書として最も興味深かったとの評価が寄せられています。
 また5月21日オンエアーされTVクイズ番組た「世界不思議発見」でネパールのブッダ生誕地ルンビニなどが取り上
げられましたが、この本をベースとした「TV番組企画ーブッダのルーツ遺跡に迫る」とその際に制作会社に提供した
情報が活用されています。


「お釈迦様のルーツの謎
    ―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」

 小嶋 光昭著 内外政策評論、元駐ネパール大使他
        表紙挿絵 藤井 雷画
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「お釈迦様(ブッダ)のルーツの謎」話題の新刊

2011-05-31 | Weblog
「お釈迦様(ブッダ)のルーツの謎」話題の新刊
 ブッダはお釈迦様の名で親しまれているが、「お釈迦様のルーツの謎―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」
(東京図書出版会)が発行されています。
 ブッダ誕生を巡る歴史的、文化的背景を描き、ブッダ青年期の居城カピラヴァスツの核心に迫る興味ある著作です。
カピラバスツ城は未だにネパール説とインド説があり、国際的に決着がついていません。本著はその核心に迫ります。
 漫画ややアニメなどでは描かれていないブッダの歴史の真実が描かれています。ブッダのルーツ、シャキヤ族は何処
から来たか、王子時代の居城であったカピラバスツの場所は何処だったのか、そしてシャキヤ王国がジャングルに消え
ることになったシャキヤ族の悲劇など、謎の核心が描かれています。
 更にシッダールタ王子が29才で王子の地位を捨て、悟りの道に出発した歴史的、社会的な背景や今日的な意味にも触
れられています。その過程で、複数の先代ブッダ(過去仏)が実在の人物であったことが明らかになっており、この地
域に「古代ブッダ文化」が存在し、そのような歴史的な背景から現在のゴータマ・ブッダが誕生したことが明らかにな
っています。
 ブッダの半世紀ほど後に中国の孔子が現れ、更にその約半世紀後にギリシャのソクラテス、プラトンの思想が現れて
おり、ユーラシア大陸の思想の流れが浮き彫りになっており、世界の思想や信仰の流れとして大変興味深いところです。
 本著は、中外日報3月8日号で紹介され、また東京新聞の月刊生活情報紙「暮らすめいと」5月号に著者いんたビュー
が掲載され、また多くの読者からブッダの歴史書として最も興味深かったとの評価が寄せられています。
 また5月21日オンエアーされTVクイズ番組た「世界不思議発見」でネパールのブッダ生誕地ルンビニなどが取り上
げられましたが、この本をベースとした「TV番組企画ーブッダのルーツ遺跡に迫る」とその際に制作会社に提供した
情報が活用されています。


「お釈迦様のルーツの謎
    ―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」

 小嶋 光昭著 内外政策評論、元駐ネパール大使他
        表紙挿絵 藤井 雷画
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「お釈迦様(ブッダ)のルーツの謎」話題の新刊

2011-05-31 | Weblog
「お釈迦様(ブッダ)のルーツの謎」話題の新刊
 ブッダはお釈迦様の名で親しまれているが、「お釈迦様のルーツの謎―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」
(東京図書出版会)が発行されています。
 ブッダ誕生を巡る歴史的、文化的背景を描き、ブッダ青年期の居城カピラヴァスツの核心に迫る興味ある著作です。
カピラバスツ城は未だにネパール説とインド説があり、国際的に決着がついていません。本著はその核心に迫ります。
 漫画ややアニメなどでは描かれていないブッダの歴史の真実が描かれています。ブッダのルーツ、シャキヤ族は何処
から来たか、王子時代の居城であったカピラバスツの場所は何処だったのか、そしてシャキヤ王国がジャングルに消え
ることになったシャキヤ族の悲劇など、謎の核心が描かれています。
 更にシッダールタ王子が29才で王子の地位を捨て、悟りの道に出発した歴史的、社会的な背景や今日的な意味にも触
れられています。その過程で、複数の先代ブッダ(過去仏)が実在の人物であったことが明らかになっており、この地
域に「古代ブッダ文化」が存在し、そのような歴史的な背景から現在のゴータマ・ブッダが誕生したことが明らかにな
っています。
 ブッダの半世紀ほど後に中国の孔子が現れ、更にその約半世紀後にギリシャのソクラテス、プラトンの思想が現れて
おり、ユーラシア大陸の思想の流れが浮き彫りになっており、世界の思想や信仰の流れとして大変興味深いところです。
 本著は、中外日報3月8日号で紹介され、また東京新聞の月刊生活情報紙「暮らすめいと」5月号に著者いんたビュー
が掲載され、また多くの読者からブッダの歴史書として最も興味深かったとの評価が寄せられています。
 また5月21日オンエアーされTVクイズ番組た「世界不思議発見」でネパールのブッダ生誕地ルンビニなどが取り上
げられましたが、この本をベースとした「TV番組企画ーブッダのルーツ遺跡に迫る」とその際に制作会社に提供した
情報が活用されています。


「お釈迦様のルーツの謎
    ―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」

 小嶋 光昭著 内外政策評論、元駐ネパール大使他
        表紙挿絵 藤井 雷画
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「お釈迦様(ブッダ)のルーツの謎」話題の新刊

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 ブッダはお釈迦様の名で親しまれているが、「お釈迦様のルーツの謎―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」
(東京図書出版会)が発行されています。
 ブッダ誕生を巡る歴史的、文化的背景を描き、ブッダ青年期の居城カピラヴァスツの核心に迫る興味ある著作です。
カピラバスツ城は未だにネパール説とインド説があり、国際的に決着がついていません。本著はその核心に迫ります。
 漫画ややアニメなどでは描かれていないブッダの歴史の真実が描かれています。ブッダのルーツ、シャキヤ族は何処
から来たか、王子時代の居城であったカピラバスツの場所は何処だったのか、そしてシャキヤ王国がジャングルに消え
ることになったシャキヤ族の悲劇など、謎の核心が描かれています。
 更にシッダールタ王子が29才で王子の地位を捨て、悟りの道に出発した歴史的、社会的な背景や今日的な意味にも触
れられています。その過程で、複数の先代ブッダ(過去仏)が実在の人物であったことが明らかになっており、この地
域に「古代ブッダ文化」が存在し、そのような歴史的な背景から現在のゴータマ・ブッダが誕生したことが明らかにな
っています。
 ブッダの半世紀ほど後に中国の孔子が現れ、更にその約半世紀後にギリシャのソクラテス、プラトンの思想が現れて
おり、ユーラシア大陸の思想の流れが浮き彫りになっており、世界の思想や信仰の流れとして大変興味深いところです。
 本著は、中外日報3月8日号で紹介され、また東京新聞の月刊生活情報紙「暮らすめいと」5月号に著者いんたビュー
が掲載され、また多くの読者からブッダの歴史書として最も興味深かったとの評価が寄せられています。
 また5月21日オンエアーされTVクイズ番組た「世界不思議発見」でネパールのブッダ生誕地ルンビニなどが取り上
げられましたが、この本をベースとした「TV番組企画ーブッダのルーツ遺跡に迫る」とその際に制作会社に提供した
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    ―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」

 小嶋 光昭著 内外政策評論、元駐ネパール大使他
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 ブッダはお釈迦様の名で親しまれているが、「お釈迦様のルーツの謎―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」
(東京図書出版会)が発行されています。
 ブッダ誕生を巡る歴史的、文化的背景を描き、ブッダ青年期の居城カピラヴァスツの核心に迫る興味ある著作です。
カピラバスツ城は未だにネパール説とインド説があり、国際的に決着がついていません。本著はその核心に迫ります。
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から来たか、王子時代の居城であったカピラバスツの場所は何処だったのか、そしてシャキヤ王国がジャングルに消え
ることになったシャキヤ族の悲劇など、謎の核心が描かれています。
 更にシッダールタ王子が29才で王子の地位を捨て、悟りの道に出発した歴史的、社会的な背景や今日的な意味にも触
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域に「古代ブッダ文化」が存在し、そのような歴史的な背景から現在のゴータマ・ブッダが誕生したことが明らかにな
っています。
 ブッダの半世紀ほど後に中国の孔子が現れ、更にその約半世紀後にギリシャのソクラテス、プラトンの思想が現れて
おり、ユーラシア大陸の思想の流れが浮き彫りになっており、世界の思想や信仰の流れとして大変興味深いところです。
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 ブッダはお釈迦様の名で親しまれているが、「お釈迦様のルーツの謎―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」
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カピラバスツ城は未だにネパール説とインド説があり、国際的に決着がついていません。本著はその核心に迫ります。
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から来たか、王子時代の居城であったカピラバスツの場所は何処だったのか、そしてシャキヤ王国がジャングルに消え
ることになったシャキヤ族の悲劇など、謎の核心が描かれています。
 更にシッダールタ王子が29才で王子の地位を捨て、悟りの道に出発した歴史的、社会的な背景や今日的な意味にも触
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 ブッダの半世紀ほど後に中国の孔子が現れ、更にその約半世紀後にギリシャのソクラテス、プラトンの思想が現れて
おり、ユーラシア大陸の思想の流れが浮き彫りになっており、世界の思想や信仰の流れとして大変興味深いところです。
 本著は、中外日報3月8日号で紹介され、また東京新聞の月刊生活情報紙「暮らすめいと」5月号に著者いんたビュー
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 ブッダはお釈迦様の名で親しまれているが、「お釈迦様のルーツの謎―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」
(東京図書出版会)が発行されています。
 ブッダ誕生を巡る歴史的、文化的背景を描き、ブッダ青年期の居城カピラヴァスツの核心に迫る興味ある著作です。
カピラバスツ城は未だにネパール説とインド説があり、国際的に決着がついていません。本著はその核心に迫ります。
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から来たか、王子時代の居城であったカピラバスツの場所は何処だったのか、そしてシャキヤ王国がジャングルに消え
ることになったシャキヤ族の悲劇など、謎の核心が描かれています。
 更にシッダールタ王子が29才で王子の地位を捨て、悟りの道に出発した歴史的、社会的な背景や今日的な意味にも触
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っています。
 ブッダの半世紀ほど後に中国の孔子が現れ、更にその約半世紀後にギリシャのソクラテス、プラトンの思想が現れて
おり、ユーラシア大陸の思想の流れが浮き彫りになっており、世界の思想や信仰の流れとして大変興味深いところです。
 本著は、中外日報3月8日号で紹介され、また東京新聞の月刊生活情報紙「暮らすめいと」5月号に著者いんたビュー
が掲載され、また多くの読者からブッダの歴史書として最も興味深かったとの評価が寄せられています。
 また5月21日オンエアーされTVクイズ番組た「世界不思議発見」でネパールのブッダ生誕地ルンビニなどが取り上
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 ブッダはお釈迦様の名で親しまれているが、「お釈迦様のルーツの謎―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」
(東京図書出版会)が発行されています。
 ブッダ誕生を巡る歴史的、文化的背景を描き、ブッダ青年期の居城カピラヴァスツの核心に迫る興味ある著作です。
カピラバスツ城は未だにネパール説とインド説があり、国際的に決着がついていません。本著はその核心に迫ります。
 漫画ややアニメなどでは描かれていないブッダの歴史の真実が描かれています。ブッダのルーツ、シャキヤ族は何処
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ることになったシャキヤ族の悲劇など、謎の核心が描かれています。
 更にシッダールタ王子が29才で王子の地位を捨て、悟りの道に出発した歴史的、社会的な背景や今日的な意味にも触
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域に「古代ブッダ文化」が存在し、そのような歴史的な背景から現在のゴータマ・ブッダが誕生したことが明らかにな
っています。
 ブッダの半世紀ほど後に中国の孔子が現れ、更にその約半世紀後にギリシャのソクラテス、プラトンの思想が現れて
おり、ユーラシア大陸の思想の流れが浮き彫りになっており、世界の思想や信仰の流れとして大変興味深いところです。
 本著は、中外日報3月8日号で紹介され、また東京新聞の月刊生活情報紙「暮らすめいと」5月号に著者いんたビュー
が掲載され、また多くの読者からブッダの歴史書として最も興味深かったとの評価が寄せられています。
 また5月21日オンエアーされTVクイズ番組た「世界不思議発見」でネパールのブッダ生誕地ルンビニなどが取り上
げられましたが、この本をベースとした「TV番組企画ーブッダのルーツ遺跡に迫る」とその際に制作会社に提供した
情報が活用されています。


「お釈迦様のルーツの謎
    ―王子時代の居城カピラバスツは何処に?-」

 小嶋 光昭著 内外政策評論、元駐ネパール大使他
        表紙挿絵 藤井 雷画
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