内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

日・ロ平和条約締結への交渉加速を期待する (再掲)

2020-05-29 | Weblog
日・ロ平和条約締結への交渉加速を期待する (再掲)
                                   2018年11月26日
 日・ロ平和条約締結に向け、シンガポールで開催されたASEAN関連首脳会議に際し、2018年11月14日、安倍首相はロシアのプーチン大統領と会談した。この会談は2016年に持たれた両首脳の日本での会談において、「新しいアプローチで問題を解決する」との方針の下で、北方4島での共同経済活動を促進することで合意したことを受けて行われたものである。
 日本外務省が公表した会談概要では、事務当局を含めた全体会合(45分)の他、通訳のみでの両首脳の個別会談(40分)が行われた。全体会合では、平和条約問題の他、2国間経済関係の促進、国際的な安全保障分野での協力、北朝鮮非核化問題など幅広い分野で意見交換が行われている。
 日・ロ平和条約締結問題については、全体会合においては、北方4島における共同経済活動の促進につき協議されると共に、日本側より元島民の問題について提起されたが、北方4島返還問題を含む平和条約締結問題については突っ込んだ話し合いは行われず、両首脳による個別会談で行われた。
 首脳間個別会談の後、安倍首相は記者団に対し、「1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる。そのことをプーチン大統領と合意した。」と述べ、これが公表された会談概要にも記載されている。1956年に調印された日・ソ共同宣言においては、外交関係を回復し、平和条約締結交渉を継続することとし,‘条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡しする’旨記されている。
 日本は従来、4島一括返還を主張し、領土問題解決が平和条約締結の前提条件としていた。しかし1956年の共同宣言から62年、歴代政権が交渉を重ねてきたものの見通しが立っていない今日、長年の膠着状態を打破するため平和条約締結に向け1956年の共同宣言を基礎として条約交渉を実質的且つ具体的に加速することを支持する。
 日本としては、老齢化する旧島民や地権者の精神的負担を軽減すると共に、急速に存在感を増す中国との関係においても海を隔てた隣国ロシアとの平和条約を締結することがタイムリーと言えよう。他方ロシアにとっては、強大化する中国との関係において、クリミア半島併合以来米・欧との関係が悪化し、制裁を科され、G8(主要先進8カ国)からも外され、孤立感を深めているので、政治的にも経済的にも日本との平和条約締結は望ましいものと言えよう。
 1、ロシアは北方領土返還により日本の信頼を回復出来る
 プーチン大統領は、今回の首脳会談後、‘同宣言には、ソ連が2つの島を引き渡す用意があるということだけ述べられ、それらがどのような根拠により、どちらの主権に基づくかなどは述べられていない。慎重な議論が必要だ’と述べたと伝えられている。しかしロシア側は、北方4島を奪取した経緯と旧島民のみならず日本国民にとっての北方領土返還の意味を理解すべきであろう。それは北方領土の権益等の経済的な価値などではなく、日本のロシアに対する信頼性回復の問題なのである。
 プーチン大統領は、日本の北方領土は‘戦争の結果得たものである’と述べていたところであり、日本の領土であることは認識していると思われる。従って、‘日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡しする’ということは、2島を日本の主権下に‘引き渡す’と言うことに他ならない。無論、ロシア、その前身であるソ連がこれらの島に投じた資金や現実にロシア人が生活をしているので、それらに対する代償については、プーチン大統領が示唆している通り‘議論が必要’であろう。
日本人にとっては、北方領土は‘経済的代償’以上の意味合いがある。
 日本は、第2次世界大戦前の1941年4月、ソ連と中立条約を締結している。しかしソ連は、中立条約の破棄通告もなく(1年前の事前通告が規定)、1945年8月8日、突如日本に対し宣戦布告し、北方4島を奪取、占領した。
 ソ連は日本との重要な国際約束を破ったのである。従って、ロシアが平和条約を締結しても、北方4島をどのような形であろうと日本に返還しないということは、ソ連、従ってそれを継承しているロシアは、国際約束を遵守しない、都合により一方的に破棄することがあるということを意味し、日本人は、また世界は‘ロシアは信頼できない’という認識を持つであろう。平和条約を締結しても、‘信用できないロシア’との貿易・投資が積極的に進められるとも思えない。
 プーチン大統領は、北方領土問題は‘経済的代償’の問題以上に‘信頼性’の問題であることを十分に理解すべきであろう。他方‘経済的代償’については、日本側は可能な限り知恵を出すべきであろう。

 2、北方領土問題につき1956年の共同宣言を越えられるかが鍵
 今後平和条約交渉が実質的に加速し、条約締結の段階に至っても、北方領土に
ついては歯舞、色丹の2島返還だけに終わると、1956年の日・ソ共同宣言以来の62年間に亘る歴代政権の交渉努力は何だったのかとの批判に晒される恐れがある。
 従って今後の最大の鍵は、残る択捉、国後2諸島の取り扱いとなろう。同時に、歯舞、色丹の2島が返還されることになれば、この両島の地権者の問題は解決するが、択捉、国後2諸島において‘共同経済活動’が継続するとしても、この両島の地権者の地権回復が問題となろう。
 (1)残る択捉、国後2諸島の取り扱い
 択捉、国後2諸島については、‘1956年日・ソ共同宣言’の外になるので、今回の交渉で結論を出すことは困難と予想され、何らかの形で継続協議となる可能性がある。そのような可能性があるとしても、歯舞、色丹2島の返還を前提とした条約締結交渉を支持する。
 しかし択捉、国後について一定の方向性を出すことが望まれる。例えば次のような選択肢が考えられる。
 イ)現状のまま‘共同経済活動’を継続し、帰属につき代償を含め協議する。
 ロ)領有権は日本側に引き渡すが、ロシア側に一部を実質上無償で無期限租借する。
 ハ)択捉、国後2諸島については、‘日・ロ自由貿易地域’(仮称)として日・ロ両国の共同管理 
  する、など。
 いずれにしても両国が、両国国民の理解と信頼が得られるよう知恵を出すことが不可欠であろう。

 3、地権者の権利を認め、帰還を認めるか、補償が支払われるべき
 ソ連による北方4島占領当時、島民は3,124世帯、17,291人ほど(独法北方領土問題対策協会資料)であり、その生活や権利は回復しない。両国による領有権問題は別として、日・ロ共同経済活動と並行して、或いはその一環として、それら島民が故郷に住む権利を回復すべきであろう。また住むことを希望しないものに対し補償がなされるべきであろう。国家の領土権問題は、国家と国家の間の問題であり、シビリアンである個人の地権、所有権は個人の土地・財産所有権の問題であるので、責任ある国家としてはそれを尊重する義務がある。国家間の戦争において、戦闘に関与していない一般市民の生まれ育った故郷に平穏に住む権利を奪うことは、今日の国際通念において人道上も、人権の上でも容認されて良いものではない。
 旧島民による墓参活動が進展しているが、ロシア側、或いはロシア人在住者が日本人の墓地や鳥居などの旧跡を破壊、撤去せず、維持していることは日本人のルーツ、心情を認識、理解しているものとして評価できる。プーチン大統領も、ロシア人の生活だけでなく、日本の旧島民の気持ちは十分に分かるであろう。
 日・ロ間には‘平和条約’こそないが、事実上の平和が維持されている今日、4島に住んでいた日本の旧島民及びその家族が故郷に住む権利、そして地権の回復か代替地の提供、或いは補償が早期に行われることが強く期待される。多くの家族が土地登記をしている。
(2018.11.26.)(Copy Rights Reserved.)
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求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その2)

2020-05-29 | Weblog
 求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その2)
 総務省は、2013年2月19日、2012年の労働力調査の結果を発表し、就労者(役員を除く)の内、アルバイトや派遣、契約社員などの「非正規労働者」の割合が平均で35.2%(1,813万人)と3年連続で過去最高値を更新したと発表した。景気の回復や退職年齢の引き上げなどにより男子の比率は約20%と若干回復したものの、女子の比率は55%弱とやや悪化し、女性労働者にしわ寄せされた形となっている。 
また同省は、契約社員や派遣社員など期間が定められた期間雇用は全就労者の約26%(1,410万人)としており、期間雇用が予想以上に一般化していることが明らかになっている。そして全就労者の10%程度がパートやアルバイトなどなるが、生活スタイルの多様化は良いとしても、雇用や生活の安定性からすると課題は多い。
被雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合は 2014年には37.4%に達し、若干の上下動はあるものの、その後も37%台の高水準にある。
雇用労働者の3人に1人以上が「非正規労働者」であり、例外的な雇用形態ではなくなっている。今後若干景気が回復しても景気の不安定性を勘案するとこの状態はかなり長期に継続すると予想される。従って「非正規労働者」の問題は、かなり長期に亘って日本の雇用関係の一角を形成することになる。日本の雇用慣行においては、基本的に新卒採用を出発点とした終身雇用制がなお一般的であるため、中間的な本採用は少数であることを考慮すると、ほとんどの「非正規労働者」が生涯「非正規労働者」として過ごす可能性が高いこと、及び「正規労働者」との比較で賃金はもとより、健康保険、年金などの社会福祉などの労働条件において格差が常態化する可能性があるため、「非正規労働者」の定年年齢後の年金や医療などの社会福祉費が社会福祉予算を圧迫する可能性がある。
このように雇用労働者の3人に1人以上の人達が常態化する一方、非正規就労者は、自由な生活スタイルが可能となる一方、相対的に不安定な雇用、生活環境に置かれる可能性があるので、少子高齢化時代と低位安定成長を前提とした今後の日本社会を再構築していく上で、「非正規労働者」に区分されている就労者への諸制度の整備や基本的な雇用制度のあり方が重要な課題となっていると言えよう。
 その上、環太平洋経済連携(TPP)やEU等との経済連携により物・サービスの自由化が進み、労働力交流や対日投資も増加する中で、日本の労働生産性は先進工業国中最下位の状態が続いており、今後外国企業や外国人就業者に市場機会を奪われ、日本の産業が停滞して行くことが財界自身により危惧され始めている。日本の終身雇用制とそれに付随する新卒至上主義や定年制という雇用制度は、戦後の産業保護と円安為替レートにも支えられ、産業の安定的発展には寄与してきたものの、労働生産性は低迷しており、複雑多岐に亘る規制、規則、通達や労働慣行などによる労働生産性抑制要因と共に、「非正規就労者」が全体の平均賃金レベルを下げる結果を招いているのではないかとみられる。国際的競争がますます熾烈になると予想される今日、深刻な課題となっている。

1、望まれる職種・技能・技術を基準とした職階制雇用形態の普及 (その1 で掲載)
(1)閉鎖性の強い現在の「正規雇用」形態
(2)職種・技能を基準とした職能制雇用形態への転換、普及が不可欠
(3)定年制は各種の弊害を生んでいる

 2、国家公務員等の人事制度の改善が不可欠
 地方公務員、準公務員を含め、公務員の新規採用は基本的に新卒者を対象とし、受験資格の年齢制限を定めており、また定年までの終身雇用を前提とする「等級制」となっている。公務員の地位は法律で守られており、解雇は原則として困難であり、懲戒免職も例外的でしかない。技術職や専門職で若干の中間採用はあるが、多くはない。
 このような公務員の地位の一定の保護は、公平性、中立性が問われる公務の性格上必要であろう。しかし公務員、準公務員を含む公務員の強い閉鎖的人事制度は、私企業や私的組織なら兎も角として、社会人となってから行政に携わることを希望する国民の参加を排除する一方、どうしても内部的な組織の論理や前例などが優先し、社会の変化や新たなニーズへの対応を遅らせる要因ともなっている。
 従って公務員こそが、一括の新卒採用や年齢制限、終身雇用を前提し、年功序列に基づく「等級制」を廃止し、職種、技能・経験を基準とする「職階制」に移行することが望ましい。現在、教育においても経済社会活動においても広く人材は育っていると共に、一旦社会人となっても行政に携わってみたい国民に対し門戸を広く開けて置く、「国民参加型」行政組織とすることが望ましい。
(1) 幻に終わった「国家公務員の職階制に関する法律」
 職階制は、職種に必要な資格要件に基づき職級を定め、同一の職位や職にある者に対し同一の幅の俸給を定める制度であり、欧米諸国や国連など国際機関で広く採用されている。
 日本においても戦後検討され、人事院か職階制について立案し、国家公務員法(昭和22年10月公布)の第29条2項、4項においては、「一般職に属する官職に関する職階制」を規定し、官職の分類の原則及び職階制の実施について規定され、施行された。しかし「職階制」は、日本において旧来よりの終身雇用制に合致しないことから、職階制は凍結された(昭和27年4月人事院、規則六)。そして旧来通り等級制が実施されてきたことから、公務員人事の総理府人事局での一括管理などの改革の一環の中で、2009年4月の国家公務員法の一部改正で職階制関連規定(同法第29条から第32条)は削除されている(削除された関連条項 参考)。また地方公務員についても職階制は導入されていない。

(参考)国家公務員法から削除されていた職階制関連条項(2009年4月)
(職階制の確立)
第29条  職階制は、法律でこれを定める。
2  人事院は、職階制を立案し、官職を職務の種類及び複雑と責任の度に応じて、
分類整理しなければならない。
3  職階制においては、同一の内容の雇用条件を有する同一の職級に属する官職に
ついては、同一の資格要件を必要とするとともに、且つ、当該官職に就いている者
に対しては、同一の幅の俸給が支給されるように、官職の分類整理がなされなけれ
ばならない。
4  前3項に関する計画は、国会に提出して、その承認を得なければならない。
5  一般職の職員の給与に関する法律(昭和二十五年法律第95号)第6条の規定
による職務の分類は、これを本条その他の条項に規定された計画であって、かつ、
この法律の要請するところに適合するものとみなし、その改正が人事院によつて勧
告され、国会によつて制定されるまで効力をもつものとする。
(職階制の実施)
第30条  職階制は、実施することができるものから、逐次これを実施する。

2  職階制の実施につき必要な事項は、この法律に定のあるものを除いては、人事
院規則でこれを定める。
(官職の格付)
第31条  職階制を実施するに当たっては、人事院は、人事院規則の定めるところに
より、職階制の適用されるすべての官職をいずれかの職級に格付しなければならない。
2  人事院は、人事院規則の定めるところにより、随時、前項に規定する格付を再
審査し、必要と認めるときは、これを改訂しなければならない。
(職階制によらない官職の分類の禁止)
第32条  一般職に属するすべての官職については、職階制によらない分類をすること
はできない。

 昭和22年の国家公務員法に規定されていた「職階制」は、“公務の民主的且つ能率的な運営を促進する”ことを目的としていたものである。それが長期に亘り実施されることなく、旧来より実施されて来た新卒採用、定年までの終身雇用を基本とした「等級制」が既成事実化され、法律上容認されたことになる。無論「等級制」には、雇用者、被雇用者双方にとって雇用の安定性確保等のメリットはあるが、雇用形態の閉鎖性、硬直性は‘国民に開かれた公務’を遂行する上でデメリットも多い。
(2)国民に開かれた公務員制度を可能にする「職階制」
 雇用者は、民間であれば私企業であり団体であるが、公務員の雇用者は国民から選ばれて政権に就いた内閣や地方の首長となるが、民主制においては内閣や首長は国民の選択により変わる。従って選挙によって雇用者である内閣や首長が変わり、政策や方針、施策が変わるが、被雇用者である公務員の閉鎖性、硬直性が円滑な政策転換のブレーキや障害となる可能性がある。特に課長(室長等を含む)以上の管理職がそうである。
 政策レベルの問題以外でも、公務員の雇用形態の閉鎖性は、一旦社会人となった国民が行政に携わる道を実態的に閉ざすという弊害となっている。就労人口の35%強を占める「非正規労働者」にしても「正規労働者」にしても、一定年齢以上になると公務員になれる可能性はほとんどない。「職階制」とすれば、政権交代等に際し、政党間の政権交代にしても、与党内での首班交代にしても、新体制の政策や方針に共鳴できない公務員は他の分野や民間等に転職し易くなる。そのためにも、民間でも職階制が普及することが望まれる。逆に、公務員だけが「職階制」でも、民間で職階制が普及しない場合は、公務員が辞めたくても行き場がないので、「職階制」は維持できなくなる。恐らく、過去に公務員の職階制がいつの間にか排除されたのも、民間での「職階制」導入が進まなかったからではなかろうか。また米欧からの人材が日本の労働市場に参入しにくくするとの意図もあったのかもしれない。いずれにせよ、公務員を職種・技能に基づく「職階制」とすれば、配転はより容易かつ円滑に行われるであろう。国家公務員については日本国民であることが原則になっている。

 このような観点から、公務員の雇用体制も、政権交代をより円滑に行えるよ
う閉鎖的で硬直的な終身雇用の等級制から国民に開かれた職階制にすべく、政府が率先して実施努力をすべき時期なのであろう。
 また企業、団体も二流の就労者とも見られている「非正規雇用」形態をなくすため、また低迷する労働生産性を高め、世界の多国籍企業との競争力を回復するためにも、職階制に転換、普及することが望まれる。
(2020.1.7.)(不許無断転載)(All Rights Reserved)
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求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その1)

2020-05-29 | Weblog
 求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その1)
 総務省は、2013年2月19日、2012年の労働力調査の結果を発表し、就労者(役員を除く)の内、アルバイトや派遣、契約社員などの「非正規労働者」の割合が平均で35.2%(1,813万人)と3年連続で過去最高値を更新したと発表した。景気の回復や退職年齢の引き上げなどにより男子の比率は約20%と若干回復したものの、女子の比率は55%弱とやや悪化し、女性労働者にしわ寄せされた形となっている。 
また同省は、契約社員や派遣社員など期間が定められた期間雇用は全就労者の約26%(1,410万人)としており、期間雇用が予想以上に一般化していることが明らかになっている。そして全就労者の10%程度がパートやアルバイトなどなるが、生活スタイルの多様化は良いとしても、雇用や生活の安定性からすると課題は多い。
被雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合は 2014年には37.4%に達し、若干の上下動はあるものの、その後も37%台の高水準にある。
雇用労働者の3人に1人以上が「非正規労働者」であり、例外的な雇用形態ではなくなっている。今後若干景気が回復しても景気の不安定性を勘案するとこの状態はかなり長期に継続すると予想される。従って「非正規労働者」の問題は、かなり長期に亘って日本の雇用関係の一角を形成することになる。日本の雇用慣行においては、基本的に新卒採用を出発点とした終身雇用制がなお一般的であるため、中間的な本採用は少数であることを考慮すると、ほとんどの「非正規労働者」が生涯「非正規労働者」として過ごす可能性が高いこと、及び「正規労働者」との比較で賃金はもとより、健康保険、年金などの社会福祉などの労働条件において格差が常態化する可能性があるため、「非正規労働者」の定年年齢後の年金や医療などの社会福祉費が社会福祉予算を圧迫する可能性がある。
このように雇用労働者の3人に1人以上の人達が常態化する一方、非正規就労者は、自由な生活スタイルが可能となる一方、相対的に不安定な雇用、生活環境に置かれる可能性があるので、少子高齢化時代と低位安定成長を前提とした今後の日本社会を再構築していく上で、「非正規労働者」に区分されている就労者への諸制度の整備や基本的な雇用制度のあり方が重要な課題となっていると言えよう。
 その上、環太平洋経済連携(TPP)やEU等との経済連携により物・サービスの自由化が進み、労働力交流や対日投資も増加する中で、日本の労働生産性は先進工業国中最下位の状態が続いており、今後外国企業や外国人就業者に市場機会を奪われ、日本の産業が停滞して行くことが財界自身により危惧され始めている。日本の終身雇用制とそれに付随する新卒至上主義や定年制という雇用制度は、戦後の産業保護と円安為替レートにも支えられ、産業の安定的発展には寄与してきたものの、労働生産性は低迷しており、複雑多岐に亘る規制、規則、通達や労働慣行などによる労働生産性抑制要因と共に、「非正規就労者」が全体の平均賃金レベルを下げる結果を招いているのではないかとみられる。国際的競争がますます熾烈になると予想される今日、深刻な課題となっている。

1、望まれる職種・技能・技術を基準とした職階制雇用形態の普及
3人に1人以上もの就労者が「非正規雇用」になっている現在、「正規雇用」
に対し「非正規」と呼称することは多くの就労者を差別化することになり、労働市場を「正規」と「非正規」に2分することは好ましくない。これらの就労者はいずれも日本経済にとって不可欠な人材であるので、安定した労働形態として制度を整え、「正規」「不正規」の区別を無くし、労働市場に適正に位置付けて行く必要があろう。
 その解決策の1つが職種・技能・技術を基準とした職能制雇用形態への転換、普及である。
(1)閉鎖性の強い現在の「正規雇用」形態
現在日本の「正規雇用」は、多くの場合新卒者採用を原則として定年まで同じ企業、組織で就労する終身雇用の形態となっており中間採用は多くはない。
 終身雇用は、企業経営側にとっては、組織、従って経営陣への忠誠心を維持し易く、組織の安定性を確保し易いと言えよう。また中小企業など、創業家を中心とする家族経営においては家族主義的な組織管理を行い易いメリットがある。雇用されている側も定年まで定職に就けるという安定性を享受できる。しかし家族主義的な雇用形態は、新規の人材を外部から導入することを阻み、内外の経済環境やグローバルに拡大、激化する競争関係に迅速、的確に対応できず、競争力を失うなどのデメリットも多い。雇用されている側も、組織内で希望の職種や仕事に就けるのはわずかである。その上景気の後退期には人員整理が困難であるため、迅速な対応が出来ず、企業の存続を脅かすことにもなる。
 職種によっては新卒採用に拘泥する必要はなく、必要な職種、技能を補充するために中間採用を機動的に活用する方が急速に変化する内外市場へのダイナミックな対応が可能となろう。
(2)職種・技能を基準とした職能制雇用形態への転換、普及が不可欠
 職種・技能を基準とした職階制雇用においては、新卒か否かや年齢にとらわれず、職種ごとの技能や経験年数により採用することになるので、採用した人材が即戦力となる。新卒採用者を除き、研修費やリードタイムでの諸経費の節約にもなる。一方就労者側も一定期間の就労の後、より良い労働環境を求めて企業や地域を変更することが出来るので、双方にとって弾力的な雇用形態となる。「正規」「非正規」の区別も不要となる。欧米諸国で広く採用されている。
 現在就労者の35%以上を占める「非正規就労者」にとっては、たまたま学校卒業時期に不況であったため「非正規雇用」となり、日本の終身雇用制の下では今後長期にその状態が続くことになると予想される。これらの人達にチャンスを与え、より多くの人が安定した職が得られるように雇用形態を多様化、弾力化すると共に、正規の雇用形態とすることが望ましい。これは、ほとんどの就労者が健康保険や年金などの社会保険の恩恵を受けられる体制にする上でも重要である。呼称も「正規雇用」「非正規雇用」とすることは適当でなく、「一般職」「職能技術職」とすれば足りることであろう。
 無論、どのような雇用形態とするかは企業の経営管理方針、選択によるが、職種・技能を基準とした職能制雇用形態の普及により、「正規」「非正規」の区別をなくし、「一般職」と「職能技術職」に移行させることが望ましい。
(3)定年制は各種の弊害を生んでいる
正規雇用形態は、多くの場合、入口の新卒者採用と共に出口である定年制とセットになっており、その上で年功序列の体系となっているので、年齢が決定的な要因になっている。しかし長寿化により、退職後余命が顕著に長くなっており、退職後の過ごし方が大きな問題になると共に、年金財源を圧迫する主要因にもなっている。
平均寿命は、日本の戦後復興が本格化し始め、諸制度が整備し始めた1960年で男性65.3歳、女性で70.2 歳であったが、2010年には男性79.6 歳、女性86.4歳と顕著に伸びている。1960年代の定年年齢を55歳とすると、定年後余命は10年程度となる。2010年には定年が60歳として、定年後余命は19.6年と2倍に伸びており、女性についてはもっと長くなっている。従って現在、定年後の過ごし方と年金財源の不足が社会問題となるのは当然と言えよう。最大の問題は、経験や技能・技術を持ち、働く意欲がある者を、寿命が延びているにも拘らず、年齢により一律に労働市場から排除してしまう上、年金への依存を高めることであろう。長寿化を前提とすると、定年後の期間が従来よりも著しく長くなっているので、現在では「定年制度」は事実上の‘年限解雇’の制度となっているとも言える。
このような状況に対応し、現在年金支給年齢を65歳とし、その穴埋めとして60歳定年の延長や再雇用、或いは定年の撤廃が選択肢として検討されており、当面の対策としてはして良いのであるが、寿命はさらに伸びる可能性があり、定年制を維持する限りイタチごっことなり、抜本的な対策とはならない。顕著な寿命の伸長に対し、雇用制度や諸慣行、社会保障制度などへの対応が追いついていないと言えよう。基本的に年齢に過度に執着しない雇用モデルが必要になっていると言えよう。
「正規就労者」もいずれは定年となるが、職能職階制を導入すれば、一定年齢以降についても、働く意欲があり健康であれば、自らが選択する職種、技能で組織に留まることが出来るようにすることが可能となろう。定年制を維持すれば、寿命が延びたことにより定年年齢となっても働けるが職のない人口が多くなる一方、年金支給年齢を65歳に引き上げても年金給付期間は以前よりも長期間となるため、年金の財源を圧迫し続けることになる。恣意的に定められている定年が各種の社会的な障害となっていると言えよう。
女性の社会進出の促進にしても、いろいろな問題が議論されているが、終身雇用の下での年功序列的な等級制度が続く限り、現実問題としてはなかなか進まないと見られている。多くの場合、出産や子育などで、一定期間年功序列のエスカレーターから外れてしまうからだ。女性の社会進出の促進のためにも、職種・技能に基づく職階制への転換が望まれる。

 2、国家公務員等の人事制度の改善が不可欠 (その2に掲載)
(1)幻に終わった「国家公務員の職階制に関する法律」
(2)国民に開かれた公務員制度を可能にする「職階制」
(2020.1.7.)(不許無断転載)(All Rights Reserved.)
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アジア地域包括的経済連携(RCEP)、中国への条件付与が不可欠

2020-05-29 | Weblog
アジア地域包括的経済連携(RCEP)、中国への条件付与が不可欠
 2011年11月にASEAN諸国の提唱により協議が始まったアジア地域包括的経済連携(RCEP)は、2019年11月4日、バンコクで開催され首脳会議において、インドを除く15カ国が2020年中の協定署名に向けた手続きを進めることで合意した。
 アジア地域包括的経済連携(RCEP)は、ASEAN10カ国に加え、日本、韓国中国、インドとオーストラリア、ニュージランドの16カ国を対象として関税の自由化、サービス分野における規制緩和や投資障壁の撤廃を目的として協議が行われて来た。しかしインドは、中国の市場アクセスへの懸念につき対応されておらず、自国の農業・酪農、消費部門が影響を受けるとして参加を見送った。インドのモディ首相は、今回のRCEP合意について、関税の違いや貿易赤字、非関税障壁など、「インド国民の利益に照らし合わせ、肯定的な答えは得られなかった」との考えと伝えられている。
 中国、インドを含むRCEPが実現すれば、世界の人口の約半分に当たる34億人、世界のGDPの約3割の20兆ドル、世界の貿易総額の約3割10兆ドルを占めるメガ地域経済圏となる。
インドを除く15カ国は、インドの参加を期待しつつも、2020年中の15カ国での発足を模索しているが、基本的に次の問題が内在しており、慎重な対応が求められる。
 1、「社会主義市場経済」を標榜する中国との差は埋められるか
 中国は「社会主義市場経済」を標榜しており、自由主義市場経済と異なり、基本的に中央統制経済を維持している。従って石油ガス、銀行その他の戦略性や公共性のある多数の基幹産業が政府(国務院)か共産党管理下の「国有企業」であり、補助金を含め政府や党からの実質的な支援を受けている。政府や党が100%株式を所有する中央企業などのように、その下に中央企業が持ち株会社として管理監督する子会社が多数存在する。従って表面上‘株式会社’となっていても国が保有或いは統制している企業体が存在する。
 このように国家や共産党に補助金や直接管理で保護されている企業や産業が存在し、国内産業は保護、規制しつつ、海外市場や海外投資については自由貿易、多国間主義を求めるのは、衡平を著しく失する。このような企業、産業からの輸出については、輸入国側、投資受け入れ国が、輸出国側の補助金等の保護の度合いにより相応の関税を課す事を含め、一定の防護措置をとることを認めるべきであろう。そうでなければフェアーな競争とは言えない。スポーツに例えれば、筋肉増強剤を使用している選手と競争しているようなものだ。
 この観点からすると、米国による中国に対する関税措置や貿易交渉姿勢は‘保護主義’などではなく、公正な要請と言えよう。
 1990年代に入り急速に経済成長した中国は、2001年12月、世界貿易機関(WTO)に加入した。当時のおおよその見方は、13億人の巨大市場である中国貿易が自由化され、世界市場が拡大する一方、中国経済自体も国際経済秩序に組み込まれ、市場経済化を加速させるものと期待された。
その期待の一部は達成されたが、WTOへの加入により最も利益を得たのが中国であり、いわば独り勝ちの状況となっている。
 中国は、WTO加入に際し金融の自由化、諸法制の整備などの是正が求められ、若干の改善は見られている。しかし中国は、体制上『社会主義市場経済』を標榜しそれを堅持しているので、先進工業諸国が採用している‘自由主義経済’や‘市場経済’とは異なり、上記の通り、国営基幹産業を含め、基本的に国家統制経済であり、国家の統制や国家補助、国家管理が強い。また実体上、元の為替レートや株価への統制や管理も行われ得る体制となっている。中国は、米国の通商交渉姿勢について、国際会議や記者会見等において、‘米国は保護主義的であり、自由貿易を支持する’などとしているが、国内で中央統制経済を維持しつつ、世界では自由貿易とは身勝手と言える。ASEAN諸国も、当面は中国経済の恩恵を受けているが、RCEPが発足すると国内産業が圧迫され、不利益の方が際立つ可能性がある。現在、世界貿易機関(WTO)の改革が検討されているが、国家補助を受けている企業や産業が世界市場に参入する場合の条件、外国為替や株式市場への直接的国家介入の節度、技術や特許など知的財産の国際的保護などが課題と言えよう。
 中国は、国民総生産(GDP)において、既に米国に次ぐ世界第2位の経済大国となり、成長率が低下したと言っても年率6~7%の成長を維持し、2019年の世界経済成長率3.2%(OECD予測)の倍以上の成長率が予想されている。しかし中国は、国内で中央統制経済を維持する一方、世界での自由貿易を主張している。第2次世界戦争後の世界経済は、米国の経済力を軸とするものであり、70年代後半以降多極化の動きが見られるものの、基本的には米国経済が牽引力となって来た。しかしこのままでは、『社会主義市場経済』を採用している中国が、相対的に高い成長率を維持し続け、世界第1の経済大国となり、世界経済の中心となる可能性が高い。米国を中心とする国際経済秩序に、異質の経済体制を採る中国が加わり、単純化すれば、中国と米国という2つの経済圏による秩序に変容することになろう。
 トランプ政権はその変化を認識し、経済分野のみならず、‘安全保障と外交政策’上の脅威ともなるとして、目に見える短期的な利益を模索しつつも、中・長期の国際経済秩序を見据えて中国に対応し始めていると言えよう。日本を含め世界は、この流れを見逃してはならない。
 アジア地域の自由貿易地域となろうとしているRCEPを発足させるためには、本来であれば社会主義市場経済という特異な体制をとっている中国に対する参加条件を検討することが不可欠のようだ。中国を国際社会につなぎ止めて置くことは必要だが、WTOの過ちを繰り返してはならない。

 2、インド不参加のRCEPは‘閉ざされた地域グループ’を生む
インドのモディ首相は、RCEP合意について、関税の相違や貿易赤字、非関税障壁などへの対応において「肯定的な答えは得られなかった」とし、合意出来ないとの姿勢である。特に、中国の安価な製品のほか、オーストラリアやニュージランドからの安価な農産品などが国内産業を圧迫することを懸念している。
 中国への懸念は、補助金を含む産業保護という中央統制経済から発生することであるので、体制上の変化が無い限り、インドはRCEPに参加することはないであろう。RCEPがインド抜きで発足すると‘排他的な地域グループ’を生むこととなるので好ましくない。
 他方インドの参加を促すためには、中国の補助金その他の産業保護の状況に応じて関税や投資規制等と設けることを認めることとするか、それとも中国が自由主義市場経済への転換を図るかあろう。それ無くしてRCEPを発足させることは時期尚早と言えよう。(2019/12/23)
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トランプ米大統領の対中通商交渉の基本姿勢を支持すべし!

2020-05-29 | Weblog
トランプ米大統領の対中通商交渉の基本姿勢を支持すべし!
 トランプ米大統領は、2018年3月、‘中国が米国の知的財産権を侵害している’として、最大で600億ドル(約6.3兆円)規模の中国製品に対し関税を課すことを目指す大統領覚書に署名した。またこの覚書中で、中国で米国を含め外国企業が合弁事業を行う際、現地企業への技術ライセンス供与が求められていることなどについて、世界貿易機関(WTO)に提訴するようUSTRに指示して以降、米・中間の通商交渉が継続している。
 なお、トランプ大統領(夫妻)の国賓としての訪日(5月25日ー28日)を心より歓迎し、有意義な滞在であることを期待する。
 両国間交渉において貿易分野では、2018年12月までに一定の進展があったと見られているが、中国の国営企業の中央管理や実質的補助、中国への企業進出に際する中国企業への技術ライセンス供与などについては中国側が原則の問題として反発し、膠着状態となっている。これに対し米国は、更なる協議の進展を促すため、25%の関税引き上げの対象を漸次広げほぼすべての中国製品にすることを表明し、6月1日出荷分より適用される見通しだ。更に米国は安全保障上の理由から、中国政府の影響が及ぶと見られるフアーウエイなどの電子機器を政府機関が使用しない方針を明らかにした。
これに対し中国側も、‘貿易戦争は希望しない’としつつも、‘攻められれば対抗する’として米国製品への報復関税を拡大する姿勢を示している。
 1、中国は対米貿易収支の大巾黒字を是正すべし
 米国の2018年の貿易赤字は全世界で8787億(約98兆円)と過去最大を更新したが、各国別ではその約48%が対中赤字となっている。中国は近年米国の最大の貿易相手国となっている上、米国の対中国貿易赤字が2000年に日本を抜いて以来、最大の赤字国の状態が継続しているので、米国が膨大な対中貿易赤字を是正したいとすることは当然と言えば当然であろう。
 トランプ大統領は、‘アメリカ・ファースト’を標榜し、国内の労働市場の確保を重視し、各国との通商関係において‘フェアーで相互の利益’の確保を主張している。これが行き過ぎると保護主義的な傾向に陥ることから批判の対象となっているが、‘フェアーで相互の利益’は通商関係だけでなく国家関係一般に通じる原則、基準であり、米国が膨大な貿易赤字の是正を求めるのも当然の姿勢と言えるところであるので、中国側として誠意ある対応が望まれる。
 米・中貿易交渉の動向は、中国ほどではないが対米貿易黒字国であるカナダ、メキシコ、EU、ドイツなどと共に日本への影響が直接、間接に予想されるが、中国が国内において実質的に中央統制経済を維持しつつ、世界の自由市場の利益を享受し続けることは公正でも公平でもなく、長期的に国際経済秩序を歪めることになるので、中国による是正を求める米国の姿勢を支持すべきであろう。
 しかしトランプ大統領も次の諸点は理解すべきであろう。
 1)米国のように成熟した市場経済では、物の貿易に加え、蓄積された膨大な資本を背景としてより多くの利潤が期待出来る海外に投資することが多くなり、貿易収支が赤字でも資本収支が黒字となりこれを補てんするので、貿易収支を切り離して見るのではなく、国際収支全体で考えるべきである。
 2)米国からの海外への資本投資や資本逃避は米国人ビジネスマン自身が行っているので、米国内への再投資を促すことは米国自身の問題である。
 3)米国の中国、アジア等への直接投資は、多くの場合本社機能やハイテク技術を備える生産工程全体で行われる形が多くみられ、いわば根こそぎ投資となり米国内にほとんど何も残らず、米国の企業家自身が米国労働者の雇用機会を奪っていると言える。それらの海外製品が米国にも輸出されると、米国の貿易収支の悪化要因となる一方、米国の投資家に多額の利益がもたらされていることを理解すべきであろう。
トランプ大統領は、米国内での製造活動を増進させたいというのであれば、輸出国を批判するだけではなく、米国自身の問題として企業家の投資態度の改善、転換も図るべきであろう。

 2、早すぎた中国の世界貿易機関(WTO)加入
 1990年代に入り急速に経済成長した中国は、2001年12月、WTOに加入した。当時のおおよその見方は、13億人の巨大市場である中国貿易が自由化され、世界市場が拡大する一方、中国経済自体も国際経済秩序に組み込まれ、市場経済化を加速させるものと期待された。
その期待の一部は達成されたが、WTOへの加入により最も利益を得たのが中国であり、いわば独り勝ちの状況となっている。
 中国は、WTO加入に際し金融の自由化、諸法制の整備などの是正が求められ、若干の改善は見られている。しかし中国は、体制上『社会主義市場経済』を標榜しそれを堅持しているので、先進工業諸国が採用している‘自由主義経済’や‘市場経済’とは異なり、国営基幹産業を含め、基本的に国家統制経済であり、国家の統制や国家補助、国家管理が強い。また実体上、元の為替レートや株価への統制や管理も行われ得る体制となっている。中国は、米国の通商交渉姿勢について、国際会議や記者会見等において、‘米国は保護主義的であり、自由市場を支持する’などとしているが、国内で中央統制経済を維持しつつ、世界では自由市場とは身勝手であり、中国はまだ国際市場における自由を論じる資格はなさそうだ。
 中国は、既に米国に次ぐ世界第2位の経済大国となり、成長率が低下したと言っても年率6~7%の成長を維持し、2019年の世界経済成長率3.2%(OECD予測)の倍以上の成長率が予想されている。しかし中国の経済体制は、2019年3月の全人代でも確認された通り、中国の特色ある『社会主義市場経済』であり、中央統制経済の実態は維持される。中国は、国内で中央統制経済を維持する一方、世界での自由市場を主張している。第2次世界戦争後の世界経済は、米国の経済力を軸とするものであり、70年代後半以降多極化の動きが見られるものの、基本的には米国経済が牽引力となって来た。しかしこのままでは、『社会主義市場経済』を採用している中国が、相対的に高い成長率を維持し続け、世界第1の経済大国となり、世界経済の中心となる可能性が高い。米国を中心とする国際経済秩序に、異質の経済体制を採る中国が加わり、単純化すれば、中国と米国という2つの経済圏による秩序に変容することになろう。
 トランプ政権はその変化を認識し、経済の分野のみならず、‘安全保障と外交政策’上の脅威ともなるとして、短期的な利益を犠牲にして中・長期の国際経済秩序を見据えて中国に対応し始めていると言えよう。
 米国が中国に対し、単に2国間貿易赤字の問題だけではなく、知的財産権保護や技術移転の強制問題、或いは為替管理の問題などを重要視し、中国側に是正を求めているのはそのためであろう。次世代通信5Gのトップを走る中国のファーウエイ社の通信機器の政府関係機関による購入や子会社を含め同社系列企業に電子機器部品の提供を禁止する措置も、米・中通商交渉における‘対中牽制’などという戦術的な対応ではなく、中・長期の影響を考慮しての対応であろう。
 2001年の中国のWTO加盟に際し、経済・金融改革、是正につき10年程度の期限を付すべきであった。国際社会の期待は裏切られた今日、加盟時に求められた是正・改革、諸条件につき、早急に厳密な審査を行うべきであろう。その上で、達成されていないか、不十分なものについては、5年から10年ほどの期限を付し、是正を求めるべきであろう。
(2019.5.20.All Rights Reserved)
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新型コロナウイルス克服には検査と医療体制の拡充・整備が基本

2020-05-29 | Weblog
新型コロナウイルス克服には検査と医療体制の拡充・整備が基本
 現在世界で猛威を振るっている新型コロナウイルス肺炎は、感染力と致死率が高く、世界の感染者総数は215万人超、死亡者は14万人超(4月17日現在)に達している。日本も、国内感染者9,297人、死亡者136人(同日現在)となっている。
 このような伝染病を克服するためには、2つの対応が必要だ。
 1つは、伝染病の罹患者(陽性者)を早期に特定した上、隔離し、治療することが基本であろう。
 第2は、伝染病が急速に広がり、罹患者が急増し、死者が増えることにより、社会活動、経済活動全般が停滞し、国民生活に大きな影響を与えるので、そのための救済、救援処置が必要となることである。
1、 新型コロナウイルス肺炎の封じ込めに何が必要か
(1)早期発見と情報の迅速な伝達、共有
 新型コロナウイルス肺炎は、中国武漢市で発生が確認され伝染が拡大したが、武漢市を初めとする中国の対応と情報の内外への発信の遅れが、中国国内での対応ばかりではなく、世界への伝染拡大を招いたと言えよう。
 また国連の専門機関である世界保健機関(WHO)の世界的伝染病(パンデミック)とする宣言が遅かったと言えよう。
 今回のコロナウイルス肺炎は、「新型」であったので未知なことも多く、対応が遅れたとしても誰の責任でもなく、仕方が無いことと思われる。しかし中国の地方組織を含め、情報統制を行っていることが遅れの一因であり、遺憾であるが、中国が猛省し、今後発生源の特定や何故対応が遅れたかの検証、病原菌の特性などにつき、国連はじめ関係各国への迅速な情報や資料の提供を望みたい。
 (2)検査の充実と罹患者(陽性者)の特定、隔離、治療が対応の基本
 このような感染力の強い伝染病への対応については、速やかに罹患者を特定し、隔離、治療するのが基本中の基本であろう。少なくてもそのように学んだ。
 今回の場合、新型であったため、検査キットの準備がなく、1月下旬の初期段階では1日800件程度しか検査できない状況であったので、武漢等への渡航経験者などを除き、検査は受けられず、‘自宅療養’の状態となったことは仕方なかったとしても、その後迅速に検査体制の拡充・整備、陽性者を症状を選別した上で隔離・治療体制の拡充、整備を優先的に進めるべきであった。そのために予備費などを含め予算を優先的に充てるべきであったと思われる。
 一部に、検査して陽性患者が増えると病院が受け入れられないようになり、イタリアなどのように「医療崩壊」を起こすとの意見があった。何もしなければそうであろう。検査を前提として、陽性者の症状に応じ、症状がないか軽微な者の隔離場所(第1次隔離)、重度でないが治療を要する患者(第2次隔離)、及び重度者(第3次隔離)などに分けて、収容場所を新・増設する。場所は、廃校となった学校や施設や場合により適当場所に簡易施設を建設するなど対応は出来るはずだ。また医療用マスク、防護着衣や人工呼吸器類を拡充・整備すると共に、検査キットやワクチン、治療薬等の開発を図る。そのために予算を優先的に使用すべきだ。
 医師、看護師等の人材については、まず医療従事者が感染しないよう配慮する一方、OBの再リクルート、研修医の動員や、必要に応じ医大生をボランテイアー・ベースで募り、緊急・危険手当を含め然るべく報酬を支給して手当てするなど、対応は可能であろう。予備費を当てると共に予算手当を優先的に行うべきであろう。
 現在のように、無症状の保菌者が自由に行動できる状態ではコロナウイルスの伝染を克服することは出来ない。コロナウイルス禍は長期に残存する可能性が高いが、将来、緊急事態宣言を解除、緩和する時には、無症状の保菌者への対応が必要となろう。そのためにも検査の充実は不可欠だ。
 2、経済社会活動、国民生活への影響をどう緩和、救済するか
 経済的被害については、個人にせよ企業・団体にせよ、誰もが被害者であるので、まずはそれぞれの経済的能力に従って耐え、対応し克服する努力が必要だろう。そのような個々の意識と努力がなければ克服は難しい。財源が限られている以上、政府や地方自治体が行えることには限度がある。
 公的な経済的支援を必要とするのは、職業が安定していない人や解雇される人であり、企業・団体では中小零細企業・団体や観光・飲食・娯楽・サービス業などの分野で、コロナウイルス禍で著しく影響、被害を受けるところが中心となろう。仕事を失った者に対しては、雇用保険によるセーフテイーネットがあるものの、その対象となっていない人々や地域、分野によって被害は一律ではない。重要なことは、経済・社会活動が制限、縮小され、生活が困窮し、被害を受けている人々に支援が迅速に届くような措置が望まれる。
(2020.4.17.)
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大学の世界ランキング・アップに何が必要か?  (再掲)

2020-05-27 | Weblog
 大学の世界ランキング・アップに何が必要か?  (再掲)
 2014年度予算の各省庁要求を政府概算要求を査定する時期になったが、文部科学省は、世界大学ランキング100校入りを支援するために、国公私立の10大学に対し毎年100億円の助成を予算要求すると伝えられている。
 現在、世界大学ランキング100校には日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。ランキング・アップには指導環境など色々な要素が必要だが、各大学の学者、研究者が“独創的な研究を行い、研究論文が内外の研究者などから引用されること”が決定的な要素となる。要するに、各大学に所属する教授ほか研究者の「独創的な研究実績」と「語学力など、対外的な発信能力」が問われていることになる。
 文科省は、10校を選定し、海外の大学との共同研究や著名な研究者の招聘を支援するなどしている。これのような研究交流や人的交流自体は良いことではあるが、新たに毎年100億円もの予算を投入して相当長期を掛けてもどの程度の効果が出るか疑問である。そもそも教育のあり方の転換や教師、研究者の資質や姿勢など、大学院の普及などの制度面、人材面の改善、即ち教育ソフト面の転換がより重要に思える。
 1、 外国大学との共同研究や研究者招聘の効果は局部的、限界的
 外国の共同研究や著名研究者の日本への招聘については、各大学の判断で実施することは大いに良いことであるが、今更という印象を受ける上、その効果は長期を要し、例えば10年間としても1,000億円の予算負担となり、費用対効果の面で疑問が残る。
 外国大学との共同研究でも、iPS細胞分野など日本側に何らかの比較優位のある分野でなければ、各分野で先端を行っているような外国人研究者は日本との共同研究は希望しないであろう。著名な外国人研究者の招聘にしても高額の招聘費が必要となろうし、日本での研究にメリットを感じなければ希望しないであろう。いずれの場合も、日本側に相当高度な研究水準と語学力がなければ得るものは少ないと判断されるであろう。
 招聘事業で一つの例を挙げよう。日本は、1985年9月のプラザ合意で急速な円高を容認し、それにより日本企業の海外進出が急増した。それに伴い海外で活動できる人材や知識等が必要となり、日本の「国際化」が必要とされた。その対策の1つとして90年代初頭より、政府は「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)を開始し、当初は米国を中心とする英語圏から青年を招聘し、地方公共団体と共同して各地の学校等に英語教師として配属し、英語教育の普及を行った。その後英語圏以外も加えたほか、役割も地方公共団体の国際交流促進のための助言等の分野に広げ、当初の4カ国から40カ国ほどに拡大し招聘している。この事業は既に20年以上実施しているので、日本各地において外国語を習得し、或いは地方レベルでの国際交流を担える人材が可なり育っていることが期待される。確かに一定の効果はあったが、最大の効果は、日本に招聘された外国人の日本語能力が顕著に向上している上、各地の伝統文化だけでなく、アニメを含む若者文化や日本食、工芸品、匠の技などへの理解と評価も向上し、それが世界各地に伝えられ、日本の伝統文化、技術の水準の高さと共に、現代の庶民文化、若者文化への興味が世界に広がったことであろう。知日派、好日派外国人が増え、日本各地の草の根文化や工芸技術への評価が顕著に高まったが、本事業の本来の目的である日本での英語の普及や能力向上については、20年以上継続しているにも拘らず、それ程の効果は得られていない面がある。逆にこの制度が恒常化したことにより、地域の国際交流や外国人との関係についてはJETで招聘された外国人に実体上任され、JETへの依存性が高まり、地域住民自体の語学力向上や国際化には余り寄与していないとの弊害も見られる。
 外国大学との共同研究や研究者の日本への招聘事業が長期化することになると、JETプログラムと類似の結果となり、日本の学術研究のレベルや創造性、独創性を高め、それが世界に評価、引用されることにどれだけ貢献することになるのか疑問なしとしない。
 また新たな事業予算の追加も良いが、中・長期的な少子化の趨勢に対応し、教育姿勢と共に、国・公立学校を地域別に統廃合し、また国・公立と私立との学費格差や研究助成格差等を縮小することなど、高等教育制度自体を再点検する必要がありそうだ。また暗記重視の教育方針、試験制度から発想力や創造性、独創性を重視した教育姿勢や試験(評価)制度に優先度と資源の再配分を行い、その中で新たなニーズ、事業を加えて行くなどの工夫と先見性が必要と言えよう。中・長期的な少子化、人口減の中での長寿化社会において、新規事業や学校・学部を増加し続け、教育予算を更に拡大することは現実的に困難と見られる。
 2、 最も必要とされる研究成果の英語等による発表能力
 知的活動の分野において、日本の研究成果や論文等が世界の多くの学者、研究者によって評価、引用されるようになるためには、創造性、独創性を重視した教育姿勢、試験(評価)制度と入学試験や公務員を含む就職試験のあり方(新卒者偏重、出身大学主義の採用試験制度など)と大学院レベルへの高等教育の普及と修了者への処遇の改善など、教育姿勢や教育・採用試験制度という教育ソフト面の改善が不可欠と言えよう。
 しかし現実論として学者、研究者による研究成果が国際的に評価されるためには、研究成果が国際的な外国語(英語で可)による成果の発表が不可欠である。どんなに良い研究成果や作品でも日本語だけでは国際的に評価されない。外国と国境を接していない日本では外国語に接する機会は少ないので、当面英語での研究成果の発表を日常化することが望まれる。理工系や医学分野等では研究成果の英語等による発表はある程度行われているが、社会科学や人文科学分野では余り行われてない。
 そのためには、学生や学者、研究者等の2年以上の主要国への留学を飛躍的に増加させることが最も効果的であろう。学生、研究者等の海外留学を促進するため、例えば海外留学(高校・専門レベルで1年、大学・大学院レベルで2年など)での取得単位を国内単位としての認定を促進することと、海外留学奨学金(原則無利子、成績優秀者等には無償など)を新設、拡充することが望まれる。その上で海外からの留学生、研究者の受け入れを促進することが、日本の研究成果の海外への発信力を高める早道と言えよう。
 もっとも日本の英語教育は、中学、高校の6年間に必修科目として行われているが、海外に行って、日本で6年間英語を習っていて英語がしゃべれないと言うと、信じられないというような顔をされる。英語を「語学」という学問の範疇で教え、試験科目にしていることが、コミュニケーション手段としての言葉なることを妨げているようだ。子供が言葉を反復しながら覚えるように、まず英語を耳で聞き、口でしゃべるようにして行き、必要に応じ高学年になってスペリングや文法などへと高めて行けば良いことであろう。外国語を世界とのコミュニケーション手段として行く上では、試験なども「語学」試験としての必須科目とはせず、生きたコミュニケーション手段として選択科目にするなどの改善が必要のようだ。
 3、創造性、独創性を重視した教育・入試制度など、意識と制度の転換が不可欠 海
外への外国語での研究成果の発信力向上に加え、研究成果の創造性、独創性が求められることは言うまでもない。日本の教育方針や制度、試験制度は、卒業後の公務員・企業の就職試験に至るまで基本的に一貫して記憶力、暗記力に重点を置いている。“応用問題”も採用されてはいるが、これも既存知識や研究の“応用”であり、発想力や創造性、独創性を涵養するものではない。
 教える側も、既存の知識や理論等を教え与えることが主眼となっている。無論基本的な知識を蓄積することは重要ではあるが、米欧等においては、研究者や学者が研究論文を可なり頻繁に出さないとポジションを維持することが困難になるので、理工系や医学系に限らず、社会科学、人文科学系においても独創的な研究論文の発表に常に努力している。日本の場合、詰め込み授業に追われることが多く、また基本的に年功序列の昇進となるので研究成果を出す必要が必ずしもない上、自発的な留学のための休暇・休職なども取り難く、また一定年数勤務後の研究休暇(サバテイカル休暇)なども普及していない。
 従って日本の大学が国際的に高い評価を得るためには、教育姿勢や教育方針・制度など、教育ソフト面の改善、転換が不可欠と言える。
 4、 発想力、創造性を加味した就職試験の拡大の必要性
 中学、高校、大学等への進学は、最終的には公務員採用試験を含め、就職への有利性が考慮されるので、就職、採用試験が暗記、記憶力に重点が置かれている限り、学校教育でも暗記、記憶力に重点が置かれることになる。確かに学生が教師と黒板に向かい合う対峙型となり、学生はそれを記録し、記憶するという教育方式が中心となっている。
 それはそれとして良いのだが、もっと小グループで学生と教師の質疑、意見交換、小論文作成等により、双方交通の授業方式を促進し、学生の個々人の個性引き出し、表現できる授業形態が増えることが望ましい。それにより現在欠けていると見られている議論する能力やコミュニケーション能力も向上するものと期待される。
 そのためには採用、就職試験でも暗記、記憶力、応用力に加え、発想力や創造力、独創性を評価することが望まれる。それを短時間で採点することは難しいので、学校側の評価を取り入れることが現実的であろう。
 5、 大学院レベルの高等教育の普及と修士・博士号取得者への公正な処遇
 日本は“学歴主義”と言われることがあるが、実際は、国家公務員等を含め採用が新規卒業者を対象に行われるので、どうしても出身校が差になると共に、いわゆる“終身雇用”形態となっているため、大学院への進学率は、欧米先進工業国等に比して非常に低いのが現状だ。
 人口千人当たりの大学院学生数では、日本の2人に対し、米国9人、英、仏の各8人、韓国が6人となっている(資料:教育指標の国際比較平成23年版)。また25歳以上の大学院入学者は、諸外国では平均2割程度に達するが、日本では2%以下であり、大学院への社会人入学者が非常に少ない。これを反映して、日本の大学院の規模は諸外国に比して小さく、“高度人材を育成する基盤が弱い”と見られている(経済産業省研究資料)。
 また日本の企業役員等(従業員500人以上)の最終学歴では、米国の上場企業管理職等に占める大学院修了者の比率は、人事部長クラスで約62%、営業、経理部長クラスで約45%であるのに対し、日本の大学院卒の比率は5.9%と極端に低い(経済産業省研究資料)。米国では、高校の校長になるためには修士号取得が必要なことが多い。また国連など、国際公務員の幹部クラスは修士号、博士号取得者が多いが、日本の国家公務員の政策職の幹部には大学院修了者はほとんどいない。日本では博士課程修了者の就職率も6割前後に留まっている。上記の通り主要諸国では大学院修了者への評価く、高いキャリアー・アップの要件になっている一方、日本における新卒採用の偏重と大学院修了者の社会的進出の低さが、大学院の規模や大学院進学率の阻害要因になっていると言える。
 日本における高度人材の育成を図るため、大学院制度のあり方が課題と言えよう。
 日本は今後少子化と人口減、長寿化社会を迎える一方、グローバリゼーションの流れの中で、物、人、資金の自由化が更に進み、日本への海外資本による直接投資も増加することになるので、高度技術における国際競争力の維持、促進のみならず、日本国内において経営レベルでも国際競争に晒されることになると予想されるので、経営レベルを含め高度人材の育成が課題となると予想される。
 このような内外の社会変化に対応して、大学・大学院での制度や教育のあり方を再点検する時期にあると言えよう。しかし上記の通り、大学・大学院での教育や研究は、企業や行政組織及び関係団体のニーズに影響を受けることになるので、社会全体の理解と協力を得つつそのレベル・アップを図って行くことが期待される。(2013.9.28.)(All Rights Reserved.)
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学校の新学年9月開始を推奨する 

2020-05-27 | weblog
学校の新学年9月開始を推奨する 
 2010年年初よりの新型コロナウイルスの伝染被害が広がり、予防のため3月の小・中・高校の休校に続き、4月7日の約1ヶ月間の緊急事態宣言により、大学、専門学校を含め入学式が延期されるなど、教育の場が長期に休校状態になっている。5月6日までの緊急事態宣言は、全面的に解除される見通しは無く、休校状態が延長される可能性もある。
 これから夏までの教育をそれぞれのレベルでどうするかは工夫の余地があるが、知事の間にグローバリゼイションの中で、この際新学期を9月にしてはとの提案が出されている。
 学校の新学年9月開始については大学レベルでも検討されており、これを支持する大学も少なくないが、小・中・高、専門学校等についても、次の理由で新学期の9月開始を早急に検討し、実施の方向で学校改革を行う絶好のチャンスではなかろうか。それが出来れば、大学の新学期9月開始への障害はほとんど無くなるであろう。
1、 教育の場の国際化
 現在人的な国際交流が一般的となり、日本人の海外留学、外国人の日本留学なども頻繁になっているが、新学期が9月の諸国が多いため、留学するにも、また母国に帰り教育を続ける場合にも、円滑な継続が困難となっており、これが日本の教育の国際化の妨げになっている。それは日本の大学の国際的な水準の低さの原因ともなっている。最近の世界大学ランキング100校には、日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。新学年の開始時期が国際的な基準に沿っていなければ、それだけで国際的評価は得れないであろう。
 現在、小学校から大学まで、進入学はストップしており、再開の見通しは立っていない。小中学校から大学まで新学期を9月に揃えるチャンスと言えよう。それまでの間をどう活用するかは別途考えれば良い。
 新学年開始を9月とすれば、日本の学校から海外の学校への転出、転入が円滑となるので、海外留学や外国人の日本への留学等も障害が少なくなり、日本からの海外留学、外国人の日本留学を促進し易くなろう。
 入試試験は7月中・下旬から8月に実施可能であり、また高校野球も維持できる。

 2、学年途中の長期の夏季休暇は非効率で子供に負担
1か月半前後の夏休み中に、多くの宿題、課題が課されているが、学習の継続性を保つためなどと思われ、旧来から行われている。しかし最近では宿題、課題の種類や量が多いため、「宿題代行業」が全国に普及している状況のようだ。このような状況では、学年途中での長期の休みによる学習中断の弊害は補い切れていない。それどころか、9月の学期初めに宿題、課題を学校に提出しなくてはならないので、夏休みの終盤は子供たちにプレッシャーやストレスを与えている。夏休み後の新学期を前にして子供の自殺が一番多いと言われているが、楽しく、自由に能力を伸ばせる夏休みが、悲劇の種ともなっているようだ。個人レベルで学習塾などを利用している生徒も多いようだが、それは夏季休暇が学年途中の学習中断になっているからに他ならない。
 9月に新学年開始とすれば、子供たちは夏の間は学校から課される宿題などから解放され、自由に能力を伸ばせるし、家族とゆっくりと過ごし、また新学年に向けてそれぞれの準備や新しい習い事なども始められるだろう。少なくても子供たちにプレッシャーやストレスを与えることは少なくなろう。他方、休みの間の生徒への指導や安全対策などは必要となろう。

3、新卒者の就職活動と採用試験や予算編成などの時期の調整は可能
 新卒者の就職試験については、3年終了後の8月頃採用広報開始、翌年1月に選考(面接)開始とすることは可能であろう。
 また予算編成については、米国同様10月1日を新予算年度開始とすると、翌年度の政府予算につき各省庁の概算要求案の予算当局への提出を10月か11月までとし、翌年4月下旬までに政府原案の決定、4月下旬国会提出、5月の連休明けに国会での予算審議開始、9月下旬までに国会(8月は原則国会休会)での予算採択を軸に行政府と国会の間で調整、検討することは可能であろう。
このスケジュールで行くと、国会の予算審議は1か月間の夏季休会を挟んでほぼ3か月間取ることも可能となるので、十分な審議が出来るようになる。日本の場合、議院内閣制のため、指名された政権が予算の政府原案を作り国会での承認を求めるが、政府原案が修正されることはほとんどない。衆議院で採択されたものが参議院で否決されても、30日ルールで衆議院が優越することになり、両院協議会で修正協議されることもない。国家、国民の生活に大きな影響を与える予算であり、また有権者の4割前後は無党派層であるので、政府原案は政府原案として、国会での審議を通じ、或いは参議院で異なる要請を出した場合などには両院協議会を通じる衆・参両院の調整が行えるようにし、広く国民の関心が反映出来るようにすることが望まれる。そのために一元的に予算を検討できるよう、国会内に衆・参合同の予算管理局のような組織を設置する必要が出て来よう。
 10月1日が新会計年度となると、諸法令を修正しなくてはならず、行政事務当局や国会事務局の手間は掛かると予想されるが、決めればそれに従って対応する問題であろう。世界が更にグローバル化し、諸国間の交流もボーダーレスになって行くと共に、少子化の中で就労者の確保、学生の確保等の上で年長者や女性の就労機会の拡大と共に、外国人の人材や学生の受け入れがよりスムーズに行えるようにすることが望ましいので、9月新学年制が望ましい。環太平洋経済連携取り決め(TPP)が11カ国で発足しているのでなおさらのことであろう。
但しグローバル化は、今回の新コロナウイルス問題で明らかになったように、伝染病なども伝播し易くし、危険も孕んでいるので、このような場合には、グローバルな動きを一時止めるメカニズムも必要になっている。(2020.4.29.)(All Rights Reserved.)
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学校の新学年9月開始を推奨する 

2020-05-27 | Weblog
学校の新学年9月開始を推奨する 
 2010年年初よりの新型コロナウイルスの伝染被害が広がり、予防のため3月の小・中・高校の休校に続き、4月7日の約1ヶ月間の緊急事態宣言により、大学、専門学校を含め入学式が延期されるなど、教育の場が長期に休校状態になっている。5月6日までの緊急事態宣言は、全面的に解除される見通しは無く、休校状態が延長される可能性もある。
 これから夏までの教育をそれぞれのレベルでどうするかは工夫の余地があるが、知事の間にグローバリゼイションの中で、この際新学期を9月にしてはとの提案が出されている。
 学校の新学年9月開始については大学レベルでも検討されており、これを支持する大学も少なくないが、小・中・高、専門学校等についても、次の理由で新学期の9月開始を早急に検討し、実施の方向で学校改革を行う絶好のチャンスではなかろうか。それが出来れば、大学の新学期9月開始への障害はほとんど無くなるであろう。
1、 教育の場の国際化
 現在人的な国際交流が一般的となり、日本人の海外留学、外国人の日本留学なども頻繁になっているが、新学期が9月の諸国が多いため、留学するにも、また母国に帰り教育を続ける場合にも、円滑な継続が困難となっており、これが日本の教育の国際化の妨げになっている。それは日本の大学の国際的な水準の低さの原因ともなっている。最近の世界大学ランキング100校には、日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。新学年の開始時期が国際的な基準に沿っていなければ、それだけで国際的評価は得れないであろう。
 現在、小学校から大学まで、進入学はストップしており、再開の見通しは立っていない。小中学校から大学まで新学期を9月に揃えるチャンスと言えよう。それまでの間をどう活用するかは別途考えれば良い。
 新学年開始を9月とすれば、日本の学校から海外の学校への転出、転入が円滑となるので、海外留学や外国人の日本への留学等も障害が少なくなり、日本からの海外留学、外国人の日本留学を促進し易くなろう。
 入試試験は7月中・下旬から8月に実施可能であり、また高校野球も維持できる。

 2、学年途中の長期の夏季休暇は非効率で子供に負担
1か月半前後の夏休み中に、多くの宿題、課題が課されているが、学習の継続性を保つためなどと思われ、旧来から行われている。しかし最近では宿題、課題の種類や量が多いため、「宿題代行業」が全国に普及している状況のようだ。このような状況では、学年途中での長期の休みによる学習中断の弊害は補い切れていない。それどころか、9月の学期初めに宿題、課題を学校に提出しなくてはならないので、夏休みの終盤は子供たちにプレッシャーやストレスを与えている。夏休み後の新学期を前にして子供の自殺が一番多いと言われているが、楽しく、自由に能力を伸ばせる夏休みが、悲劇の種ともなっているようだ。個人レベルで学習塾などを利用している生徒も多いようだが、それは夏季休暇が学年途中の学習中断になっているからに他ならない。
 9月に新学年開始とすれば、子供たちは夏の間は学校から課される宿題などから解放され、自由に能力を伸ばせるし、家族とゆっくりと過ごし、また新学年に向けてそれぞれの準備や新しい習い事なども始められるだろう。少なくても子供たちにプレッシャーやストレスを与えることは少なくなろう。他方、休みの間の生徒への指導や安全対策などは必要となろう。

3、新卒者の就職活動と採用試験や予算編成などの時期の調整は可能
 新卒者の就職試験については、3年終了後の8月頃採用広報開始、翌年1月に選考(面接)開始とすることは可能であろう。
 また予算編成については、米国同様10月1日を新予算年度開始とすると、翌年度の政府予算につき各省庁の概算要求案の予算当局への提出を10月か11月までとし、翌年4月下旬までに政府原案の決定、4月下旬国会提出、5月の連休明けに国会での予算審議開始、9月下旬までに国会(8月は原則国会休会)での予算採択を軸に行政府と国会の間で調整、検討することは可能であろう。
このスケジュールで行くと、国会の予算審議は1か月間の夏季休会を挟んでほぼ3か月間取ることも可能となるので、十分な審議が出来るようになる。日本の場合、議院内閣制のため、指名された政権が予算の政府原案を作り国会での承認を求めるが、政府原案が修正されることはほとんどない。衆議院で採択されたものが参議院で否決されても、30日ルールで衆議院が優越することになり、両院協議会で修正協議されることもない。国家、国民の生活に大きな影響を与える予算であり、また有権者の4割前後は無党派層であるので、政府原案は政府原案として、国会での審議を通じ、或いは参議院で異なる要請を出した場合などには両院協議会を通じる衆・参両院の調整が行えるようにし、広く国民の関心が反映出来るようにすることが望まれる。そのために一元的に予算を検討できるよう、国会内に衆・参合同の予算管理局のような組織を設置する必要が出て来よう。
 10月1日が新会計年度となると、諸法令を修正しなくてはならず、行政事務当局や国会事務局の手間は掛かると予想されるが、決めればそれに従って対応する問題であろう。世界が更にグローバル化し、諸国間の交流もボーダーレスになって行くと共に、少子化の中で就労者の確保、学生の確保等の上で年長者や女性の就労機会の拡大と共に、外国人の人材や学生の受け入れがよりスムーズに行えるようにすることが望ましいので、9月新学年制が望ましい。環太平洋経済連携取り決め(TPP)が11カ国で発足しているのでなおさらのことであろう。
但しグローバル化は、今回の新コロナウイルス問題で明らかになったように、伝染病なども伝播し易くし、危険も孕んでいるので、このような場合には、グローバルな動きを一時止めるメカニズムも必要になっている。(2020.4.29.)(All Rights Reserved.)
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求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その2)

2020-05-25 | Weblog
 求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その2)
 総務省は、2013年2月19日、2012年の労働力調査の結果を発表し、就労者(役員を除く)の内、アルバイトや派遣、契約社員などの「非正規労働者」の割合が平均で35.2%(1,813万人)と3年連続で過去最高値を更新したと発表した。景気の回復や退職年齢の引き上げなどにより男子の比率は約20%と若干回復したものの、女子の比率は55%弱とやや悪化し、女性労働者にしわ寄せされた形となっている。 
また同省は、契約社員や派遣社員など期間が定められた期間雇用は全就労者の約26%(1,410万人)としており、期間雇用が予想以上に一般化していることが明らかになっている。そして全就労者の10%程度がパートやアルバイトなどなるが、生活スタイルの多様化は良いとしても、雇用や生活の安定性からすると課題は多い。
被雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合は 2014年には37.4%に達し、若干の上下動はあるものの、その後も37%台の高水準にある。
雇用労働者の3人に1人以上が「非正規労働者」であり、例外的な雇用形態ではなくなっている。今後若干景気が回復しても景気の不安定性を勘案するとこの状態はかなり長期に継続すると予想される。従って「非正規労働者」の問題は、かなり長期に亘って日本の雇用関係の一角を形成することになる。日本の雇用慣行においては、基本的に新卒採用を出発点とした終身雇用制がなお一般的であるため、中間的な本採用は少数であることを考慮すると、ほとんどの「非正規労働者」が生涯「非正規労働者」として過ごす可能性が高いこと、及び「正規労働者」との比較で賃金はもとより、健康保険、年金などの社会福祉などの労働条件において格差が常態化する可能性があるため、「非正規労働者」の定年年齢後の年金や医療などの社会福祉費が社会福祉予算を圧迫する可能性がある。
このように雇用労働者の3人に1人以上の人達が常態化する一方、非正規就労者は、自由な生活スタイルが可能となる一方、相対的に不安定な雇用、生活環境に置かれる可能性があるので、少子高齢化時代と低位安定成長を前提とした今後の日本社会を再構築していく上で、「非正規労働者」に区分されている就労者への諸制度の整備や基本的な雇用制度のあり方が重要な課題となっていると言えよう。
 その上、環太平洋経済連携(TPP)やEU等との経済連携により物・サービスの自由化が進み、労働力交流や対日投資も増加する中で、日本の労働生産性は先進工業国中最下位の状態が続いており、今後外国企業や外国人就業者に市場機会を奪われ、日本の産業が停滞して行くことが財界自身により危惧され始めている。日本の終身雇用制とそれに付随する新卒至上主義や定年制という雇用制度は、戦後の産業保護と円安為替レートにも支えられ、産業の安定的発展には寄与してきたものの、労働生産性は低迷しており、複雑多岐に亘る規制、規則、通達や労働慣行などによる労働生産性抑制要因と共に、「非正規就労者」が全体の平均賃金レベルを下げる結果を招いているのではないかとみられる。国際的競争がますます熾烈になると予想される今日、深刻な課題となっている。

1、望まれる職種・技能・技術を基準とした職階制雇用形態の普及 (その1 で掲載)
(1)閉鎖性の強い現在の「正規雇用」形態
(2)職種・技能を基準とした職能制雇用形態への転換、普及が不可欠
(3)定年制は各種の弊害を生んでいる

 2、国家公務員等の人事制度の改善が不可欠
 地方公務員、準公務員を含め、公務員の新規採用は基本的に新卒者を対象とし、受験資格の年齢制限を定めており、また定年までの終身雇用を前提とする「等級制」となっている。公務員の地位は法律で守られており、解雇は原則として困難であり、懲戒免職も例外的でしかない。技術職や専門職で若干の中間採用はあるが、多くはない。
 このような公務員の地位の一定の保護は、公平性、中立性が問われる公務の性格上必要であろう。しかし公務員、準公務員を含む公務員の強い閉鎖的人事制度は、私企業や私的組織なら兎も角として、社会人となってから行政に携わることを希望する国民の参加を排除する一方、どうしても内部的な組織の論理や前例などが優先し、社会の変化や新たなニーズへの対応を遅らせる要因ともなっている。
 従って公務員こそが、一括の新卒採用や年齢制限、終身雇用を前提し、年功序列に基づく「等級制」を廃止し、職種、技能・経験を基準とする「職階制」に移行することが望ましい。現在、教育においても経済社会活動においても広く人材は育っていると共に、一旦社会人となっても行政に携わってみたい国民に対し門戸を広く開けて置く、「国民参加型」行政組織とすることが望ましい。
(1) 幻に終わった「国家公務員の職階制に関する法律」
 職階制は、職種に必要な資格要件に基づき職級を定め、同一の職位や職にある者に対し同一の幅の俸給を定める制度であり、欧米諸国や国連など国際機関で広く採用されている。
 日本においても戦後検討され、人事院か職階制について立案し、国家公務員法(昭和22年10月公布)の第29条2項、4項においては、「一般職に属する官職に関する職階制」を規定し、官職の分類の原則及び職階制の実施について規定され、施行された。しかし「職階制」は、日本において旧来よりの終身雇用制に合致しないことから、職階制は凍結された(昭和27年4月人事院、規則六)。そして旧来通り等級制が実施されてきたことから、公務員人事の総理府人事局での一括管理などの改革の一環の中で、2009年4月の国家公務員法の一部改正で職階制関連規定(同法第29条から第32条)は削除されている(削除された関連条項 参考)。また地方公務員についても職階制は導入されていない。

(参考)国家公務員法から削除されていた職階制関連条項(2009年4月)
(職階制の確立)
第29条  職階制は、法律でこれを定める。
2  人事院は、職階制を立案し、官職を職務の種類及び複雑と責任の度に応じて、
分類整理しなければならない。
3  職階制においては、同一の内容の雇用条件を有する同一の職級に属する官職に
ついては、同一の資格要件を必要とするとともに、且つ、当該官職に就いている者
に対しては、同一の幅の俸給が支給されるように、官職の分類整理がなされなけれ
ばならない。
4  前3項に関する計画は、国会に提出して、その承認を得なければならない。
5  一般職の職員の給与に関する法律(昭和二十五年法律第95号)第6条の規定
による職務の分類は、これを本条その他の条項に規定された計画であって、かつ、
この法律の要請するところに適合するものとみなし、その改正が人事院によつて勧
告され、国会によつて制定されるまで効力をもつものとする。
(職階制の実施)
第30条  職階制は、実施することができるものから、逐次これを実施する。

2  職階制の実施につき必要な事項は、この法律に定のあるものを除いては、人事
院規則でこれを定める。
(官職の格付)
第31条  職階制を実施するに当たっては、人事院は、人事院規則の定めるところに
より、職階制の適用されるすべての官職をいずれかの職級に格付しなければならない。
2  人事院は、人事院規則の定めるところにより、随時、前項に規定する格付を再
審査し、必要と認めるときは、これを改訂しなければならない。
(職階制によらない官職の分類の禁止)
第32条  一般職に属するすべての官職については、職階制によらない分類をすること
はできない。

 昭和22年の国家公務員法に規定されていた「職階制」は、“公務の民主的且つ能率的な運営を促進する”ことを目的としていたものである。それが長期に亘り実施されることなく、旧来より実施されて来た新卒採用、定年までの終身雇用を基本とした「等級制」が既成事実化され、法律上容認されたことになる。無論「等級制」には、雇用者、被雇用者双方にとって雇用の安定性確保等のメリットはあるが、雇用形態の閉鎖性、硬直性は‘国民に開かれた公務’を遂行する上でデメリットも多い。
(2)国民に開かれた公務員制度を可能にする「職階制」
 雇用者は、民間であれば私企業であり団体であるが、公務員の雇用者は国民から選ばれて政権に就いた内閣や地方の首長となるが、民主制においては内閣や首長は国民の選択により変わる。従って選挙によって雇用者である内閣や首長が変わり、政策や方針、施策が変わるが、被雇用者である公務員の閉鎖性、硬直性が円滑な政策転換のブレーキや障害となる可能性がある。特に課長(室長等を含む)以上の管理職がそうである。
 政策レベルの問題以外でも、公務員の雇用形態の閉鎖性は、一旦社会人となった国民が行政に携わる道を実態的に閉ざすという弊害となっている。就労人口の35%強を占める「非正規労働者」にしても「正規労働者」にしても、一定年齢以上になると公務員になれる可能性はほとんどない。「職階制」とすれば、政権交代等に際し、政党間の政権交代にしても、与党内での首班交代にしても、新体制の政策や方針に共鳴できない公務員は他の分野や民間等に転職し易くなる。そのためにも、民間でも職階制が普及することが望まれる。逆に、公務員だけが「職階制」でも、民間で職階制が普及しない場合は、公務員が辞めたくても行き場がないので、「職階制」は維持できなくなる。恐らく、過去に公務員の職階制がいつの間にか排除されたのも、民間での「職階制」導入が進まなかったからではなかろうか。また米欧からの人材が日本の労働市場に参入しにくくするとの意図もあったのかもしれない。いずれにせよ、公務員を職種・技能に基づく「職階制」とすれば、配転はより容易かつ円滑に行われるであろう。国家公務員については日本国民であることが原則になっている。

 このような観点から、公務員の雇用体制も、政権交代をより円滑に行えるよ
う閉鎖的で硬直的な終身雇用の等級制から国民に開かれた職階制にすべく、政府が率先して実施努力をすべき時期なのであろう。
 また企業、団体も二流の就労者とも見られている「非正規雇用」形態をなくすため、また低迷する労働生産性を高め、世界の多国籍企業との競争力を回復するためにも、職階制に転換、普及することが望まれる。
(2020.1.7.)(不許無断転載)(All Rights Reserved)
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求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その1)

2020-05-25 | Weblog
 求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その1)
 総務省は、2013年2月19日、2012年の労働力調査の結果を発表し、就労者(役員を除く)の内、アルバイトや派遣、契約社員などの「非正規労働者」の割合が平均で35.2%(1,813万人)と3年連続で過去最高値を更新したと発表した。景気の回復や退職年齢の引き上げなどにより男子の比率は約20%と若干回復したものの、女子の比率は55%弱とやや悪化し、女性労働者にしわ寄せされた形となっている。 
また同省は、契約社員や派遣社員など期間が定められた期間雇用は全就労者の約26%(1,410万人)としており、期間雇用が予想以上に一般化していることが明らかになっている。そして全就労者の10%程度がパートやアルバイトなどなるが、生活スタイルの多様化は良いとしても、雇用や生活の安定性からすると課題は多い。
被雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合は 2014年には37.4%に達し、若干の上下動はあるものの、その後も37%台の高水準にある。
雇用労働者の3人に1人以上が「非正規労働者」であり、例外的な雇用形態ではなくなっている。今後若干景気が回復しても景気の不安定性を勘案するとこの状態はかなり長期に継続すると予想される。従って「非正規労働者」の問題は、かなり長期に亘って日本の雇用関係の一角を形成することになる。日本の雇用慣行においては、基本的に新卒採用を出発点とした終身雇用制がなお一般的であるため、中間的な本採用は少数であることを考慮すると、ほとんどの「非正規労働者」が生涯「非正規労働者」として過ごす可能性が高いこと、及び「正規労働者」との比較で賃金はもとより、健康保険、年金などの社会福祉などの労働条件において格差が常態化する可能性があるため、「非正規労働者」の定年年齢後の年金や医療などの社会福祉費が社会福祉予算を圧迫する可能性がある。
このように雇用労働者の3人に1人以上の人達が常態化する一方、非正規就労者は、自由な生活スタイルが可能となる一方、相対的に不安定な雇用、生活環境に置かれる可能性があるので、少子高齢化時代と低位安定成長を前提とした今後の日本社会を再構築していく上で、「非正規労働者」に区分されている就労者への諸制度の整備や基本的な雇用制度のあり方が重要な課題となっていると言えよう。
 その上、環太平洋経済連携(TPP)やEU等との経済連携により物・サービスの自由化が進み、労働力交流や対日投資も増加する中で、日本の労働生産性は先進工業国中最下位の状態が続いており、今後外国企業や外国人就業者に市場機会を奪われ、日本の産業が停滞して行くことが財界自身により危惧され始めている。日本の終身雇用制とそれに付随する新卒至上主義や定年制という雇用制度は、戦後の産業保護と円安為替レートにも支えられ、産業の安定的発展には寄与してきたものの、労働生産性は低迷しており、複雑多岐に亘る規制、規則、通達や労働慣行などによる労働生産性抑制要因と共に、「非正規就労者」が全体の平均賃金レベルを下げる結果を招いているのではないかとみられる。国際的競争がますます熾烈になると予想される今日、深刻な課題となっている。

1、望まれる職種・技能・技術を基準とした職階制雇用形態の普及
3人に1人以上もの就労者が「非正規雇用」になっている現在、「正規雇用」
に対し「非正規」と呼称することは多くの就労者を差別化することになり、労働市場を「正規」と「非正規」に2分することは好ましくない。これらの就労者はいずれも日本経済にとって不可欠な人材であるので、安定した労働形態として制度を整え、「正規」「不正規」の区別を無くし、労働市場に適正に位置付けて行く必要があろう。
 その解決策の1つが職種・技能・技術を基準とした職能制雇用形態への転換、普及である。
(1)閉鎖性の強い現在の「正規雇用」形態
現在日本の「正規雇用」は、多くの場合新卒者採用を原則として定年まで同じ企業、組織で就労する終身雇用の形態となっており中間採用は多くはない。
 終身雇用は、企業経営側にとっては、組織、従って経営陣への忠誠心を維持し易く、組織の安定性を確保し易いと言えよう。また中小企業など、創業家を中心とする家族経営においては家族主義的な組織管理を行い易いメリットがある。雇用されている側も定年まで定職に就けるという安定性を享受できる。しかし家族主義的な雇用形態は、新規の人材を外部から導入することを阻み、内外の経済環境やグローバルに拡大、激化する競争関係に迅速、的確に対応できず、競争力を失うなどのデメリットも多い。雇用されている側も、組織内で希望の職種や仕事に就けるのはわずかである。その上景気の後退期には人員整理が困難であるため、迅速な対応が出来ず、企業の存続を脅かすことにもなる。
 職種によっては新卒採用に拘泥する必要はなく、必要な職種、技能を補充するために中間採用を機動的に活用する方が急速に変化する内外市場へのダイナミックな対応が可能となろう。
(2)職種・技能を基準とした職能制雇用形態への転換、普及が不可欠
 職種・技能を基準とした職階制雇用においては、新卒か否かや年齢にとらわれず、職種ごとの技能や経験年数により採用することになるので、採用した人材が即戦力となる。新卒採用者を除き、研修費やリードタイムでの諸経費の節約にもなる。一方就労者側も一定期間の就労の後、より良い労働環境を求めて企業や地域を変更することが出来るので、双方にとって弾力的な雇用形態となる。「正規」「非正規」の区別も不要となる。欧米諸国で広く採用されている。
 現在就労者の35%以上を占める「非正規就労者」にとっては、たまたま学校卒業時期に不況であったため「非正規雇用」となり、日本の終身雇用制の下では今後長期にその状態が続くことになると予想される。これらの人達にチャンスを与え、より多くの人が安定した職が得られるように雇用形態を多様化、弾力化すると共に、正規の雇用形態とすることが望ましい。これは、ほとんどの就労者が健康保険や年金などの社会保険の恩恵を受けられる体制にする上でも重要である。呼称も「正規雇用」「非正規雇用」とすることは適当でなく、「一般職」「職能技術職」とすれば足りることであろう。
 無論、どのような雇用形態とするかは企業の経営管理方針、選択によるが、職種・技能を基準とした職能制雇用形態の普及により、「正規」「非正規」の区別をなくし、「一般職」と「職能技術職」に移行させることが望ましい。
(3)定年制は各種の弊害を生んでいる
正規雇用形態は、多くの場合、入口の新卒者採用と共に出口である定年制とセットになっており、その上で年功序列の体系となっているので、年齢が決定的な要因になっている。しかし長寿化により、退職後余命が顕著に長くなっており、退職後の過ごし方が大きな問題になると共に、年金財源を圧迫する主要因にもなっている。
平均寿命は、日本の戦後復興が本格化し始め、諸制度が整備し始めた1960年で男性65.3歳、女性で70.2 歳であったが、2010年には男性79.6 歳、女性86.4歳と顕著に伸びている。1960年代の定年年齢を55歳とすると、定年後余命は10年程度となる。2010年には定年が60歳として、定年後余命は19.6年と2倍に伸びており、女性についてはもっと長くなっている。従って現在、定年後の過ごし方と年金財源の不足が社会問題となるのは当然と言えよう。最大の問題は、経験や技能・技術を持ち、働く意欲がある者を、寿命が延びているにも拘らず、年齢により一律に労働市場から排除してしまう上、年金への依存を高めることであろう。長寿化を前提とすると、定年後の期間が従来よりも著しく長くなっているので、現在では「定年制度」は事実上の‘年限解雇’の制度となっているとも言える。
このような状況に対応し、現在年金支給年齢を65歳とし、その穴埋めとして60歳定年の延長や再雇用、或いは定年の撤廃が選択肢として検討されており、当面の対策としてはして良いのであるが、寿命はさらに伸びる可能性があり、定年制を維持する限りイタチごっことなり、抜本的な対策とはならない。顕著な寿命の伸長に対し、雇用制度や諸慣行、社会保障制度などへの対応が追いついていないと言えよう。基本的に年齢に過度に執着しない雇用モデルが必要になっていると言えよう。
「正規就労者」もいずれは定年となるが、職能職階制を導入すれば、一定年齢以降についても、働く意欲があり健康であれば、自らが選択する職種、技能で組織に留まることが出来るようにすることが可能となろう。定年制を維持すれば、寿命が延びたことにより定年年齢となっても働けるが職のない人口が多くなる一方、年金支給年齢を65歳に引き上げても年金給付期間は以前よりも長期間となるため、年金の財源を圧迫し続けることになる。恣意的に定められている定年が各種の社会的な障害となっていると言えよう。
女性の社会進出の促進にしても、いろいろな問題が議論されているが、終身雇用の下での年功序列的な等級制度が続く限り、現実問題としてはなかなか進まないと見られている。多くの場合、出産や子育などで、一定期間年功序列のエスカレーターから外れてしまうからだ。女性の社会進出の促進のためにも、職種・技能に基づく職階制への転換が望まれる。

 2、国家公務員等の人事制度の改善が不可欠 (その2に掲載)
(1)幻に終わった「国家公務員の職階制に関する法律」
(2)国民に開かれた公務員制度を可能にする「職階制」
(2020.1.7.)(不許無断転載)(All Rights Reserved.)
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求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その1)

2020-05-25 | Weblog
 求められる「等級制」終身雇用形態の転換  (その1)
 総務省は、2013年2月19日、2012年の労働力調査の結果を発表し、就労者(役員を除く)の内、アルバイトや派遣、契約社員などの「非正規労働者」の割合が平均で35.2%(1,813万人)と3年連続で過去最高値を更新したと発表した。景気の回復や退職年齢の引き上げなどにより男子の比率は約20%と若干回復したものの、女子の比率は55%弱とやや悪化し、女性労働者にしわ寄せされた形となっている。 
また同省は、契約社員や派遣社員など期間が定められた期間雇用は全就労者の約26%(1,410万人)としており、期間雇用が予想以上に一般化していることが明らかになっている。そして全就労者の10%程度がパートやアルバイトなどなるが、生活スタイルの多様化は良いとしても、雇用や生活の安定性からすると課題は多い。
被雇用者に占める非正規の職員・従業員の割合は 2014年には37.4%に達し、若干の上下動はあるものの、その後も37%台の高水準にある。
雇用労働者の3人に1人以上が「非正規労働者」であり、例外的な雇用形態ではなくなっている。今後若干景気が回復しても景気の不安定性を勘案するとこの状態はかなり長期に継続すると予想される。従って「非正規労働者」の問題は、かなり長期に亘って日本の雇用関係の一角を形成することになる。日本の雇用慣行においては、基本的に新卒採用を出発点とした終身雇用制がなお一般的であるため、中間的な本採用は少数であることを考慮すると、ほとんどの「非正規労働者」が生涯「非正規労働者」として過ごす可能性が高いこと、及び「正規労働者」との比較で賃金はもとより、健康保険、年金などの社会福祉などの労働条件において格差が常態化する可能性があるため、「非正規労働者」の定年年齢後の年金や医療などの社会福祉費が社会福祉予算を圧迫する可能性がある。
このように雇用労働者の3人に1人以上の人達が常態化する一方、非正規就労者は、自由な生活スタイルが可能となる一方、相対的に不安定な雇用、生活環境に置かれる可能性があるので、少子高齢化時代と低位安定成長を前提とした今後の日本社会を再構築していく上で、「非正規労働者」に区分されている就労者への諸制度の整備や基本的な雇用制度のあり方が重要な課題となっていると言えよう。
 その上、環太平洋経済連携(TPP)やEU等との経済連携により物・サービスの自由化が進み、労働力交流や対日投資も増加する中で、日本の労働生産性は先進工業国中最下位の状態が続いており、今後外国企業や外国人就業者に市場機会を奪われ、日本の産業が停滞して行くことが財界自身により危惧され始めている。日本の終身雇用制とそれに付随する新卒至上主義や定年制という雇用制度は、戦後の産業保護と円安為替レートにも支えられ、産業の安定的発展には寄与してきたものの、労働生産性は低迷しており、複雑多岐に亘る規制、規則、通達や労働慣行などによる労働生産性抑制要因と共に、「非正規就労者」が全体の平均賃金レベルを下げる結果を招いているのではないかとみられる。国際的競争がますます熾烈になると予想される今日、深刻な課題となっている。

1、望まれる職種・技能・技術を基準とした職階制雇用形態の普及
3人に1人以上もの就労者が「非正規雇用」になっている現在、「正規雇用」
に対し「非正規」と呼称することは多くの就労者を差別化することになり、労働市場を「正規」と「非正規」に2分することは好ましくない。これらの就労者はいずれも日本経済にとって不可欠な人材であるので、安定した労働形態として制度を整え、「正規」「不正規」の区別を無くし、労働市場に適正に位置付けて行く必要があろう。
 その解決策の1つが職種・技能・技術を基準とした職能制雇用形態への転換、普及である。
(1)閉鎖性の強い現在の「正規雇用」形態
現在日本の「正規雇用」は、多くの場合新卒者採用を原則として定年まで同じ企業、組織で就労する終身雇用の形態となっており中間採用は多くはない。
 終身雇用は、企業経営側にとっては、組織、従って経営陣への忠誠心を維持し易く、組織の安定性を確保し易いと言えよう。また中小企業など、創業家を中心とする家族経営においては家族主義的な組織管理を行い易いメリットがある。雇用されている側も定年まで定職に就けるという安定性を享受できる。しかし家族主義的な雇用形態は、新規の人材を外部から導入することを阻み、内外の経済環境やグローバルに拡大、激化する競争関係に迅速、的確に対応できず、競争力を失うなどのデメリットも多い。雇用されている側も、組織内で希望の職種や仕事に就けるのはわずかである。その上景気の後退期には人員整理が困難であるため、迅速な対応が出来ず、企業の存続を脅かすことにもなる。
 職種によっては新卒採用に拘泥する必要はなく、必要な職種、技能を補充するために中間採用を機動的に活用する方が急速に変化する内外市場へのダイナミックな対応が可能となろう。
(2)職種・技能を基準とした職能制雇用形態への転換、普及が不可欠
 職種・技能を基準とした職階制雇用においては、新卒か否かや年齢にとらわれず、職種ごとの技能や経験年数により採用することになるので、採用した人材が即戦力となる。新卒採用者を除き、研修費やリードタイムでの諸経費の節約にもなる。一方就労者側も一定期間の就労の後、より良い労働環境を求めて企業や地域を変更することが出来るので、双方にとって弾力的な雇用形態となる。「正規」「非正規」の区別も不要となる。欧米諸国で広く採用されている。
 現在就労者の35%以上を占める「非正規就労者」にとっては、たまたま学校卒業時期に不況であったため「非正規雇用」となり、日本の終身雇用制の下では今後長期にその状態が続くことになると予想される。これらの人達にチャンスを与え、より多くの人が安定した職が得られるように雇用形態を多様化、弾力化すると共に、正規の雇用形態とすることが望ましい。これは、ほとんどの就労者が健康保険や年金などの社会保険の恩恵を受けられる体制にする上でも重要である。呼称も「正規雇用」「非正規雇用」とすることは適当でなく、「一般職」「職能技術職」とすれば足りることであろう。
 無論、どのような雇用形態とするかは企業の経営管理方針、選択によるが、職種・技能を基準とした職能制雇用形態の普及により、「正規」「非正規」の区別をなくし、「一般職」と「職能技術職」に移行させることが望ましい。
(3)定年制は各種の弊害を生んでいる
正規雇用形態は、多くの場合、入口の新卒者採用と共に出口である定年制とセットになっており、その上で年功序列の体系となっているので、年齢が決定的な要因になっている。しかし長寿化により、退職後余命が顕著に長くなっており、退職後の過ごし方が大きな問題になると共に、年金財源を圧迫する主要因にもなっている。
平均寿命は、日本の戦後復興が本格化し始め、諸制度が整備し始めた1960年で男性65.3歳、女性で70.2 歳であったが、2010年には男性79.6 歳、女性86.4歳と顕著に伸びている。1960年代の定年年齢を55歳とすると、定年後余命は10年程度となる。2010年には定年が60歳として、定年後余命は19.6年と2倍に伸びており、女性についてはもっと長くなっている。従って現在、定年後の過ごし方と年金財源の不足が社会問題となるのは当然と言えよう。最大の問題は、経験や技能・技術を持ち、働く意欲がある者を、寿命が延びているにも拘らず、年齢により一律に労働市場から排除してしまう上、年金への依存を高めることであろう。長寿化を前提とすると、定年後の期間が従来よりも著しく長くなっているので、現在では「定年制度」は事実上の‘年限解雇’の制度となっているとも言える。
このような状況に対応し、現在年金支給年齢を65歳とし、その穴埋めとして60歳定年の延長や再雇用、或いは定年の撤廃が選択肢として検討されており、当面の対策としてはして良いのであるが、寿命はさらに伸びる可能性があり、定年制を維持する限りイタチごっことなり、抜本的な対策とはならない。顕著な寿命の伸長に対し、雇用制度や諸慣行、社会保障制度などへの対応が追いついていないと言えよう。基本的に年齢に過度に執着しない雇用モデルが必要になっていると言えよう。
「正規就労者」もいずれは定年となるが、職能職階制を導入すれば、一定年齢以降についても、働く意欲があり健康であれば、自らが選択する職種、技能で組織に留まることが出来るようにすることが可能となろう。定年制を維持すれば、寿命が延びたことにより定年年齢となっても働けるが職のない人口が多くなる一方、年金支給年齢を65歳に引き上げても年金給付期間は以前よりも長期間となるため、年金の財源を圧迫し続けることになる。恣意的に定められている定年が各種の社会的な障害となっていると言えよう。
女性の社会進出の促進にしても、いろいろな問題が議論されているが、終身雇用の下での年功序列的な等級制度が続く限り、現実問題としてはなかなか進まないと見られている。多くの場合、出産や子育などで、一定期間年功序列のエスカレーターから外れてしまうからだ。女性の社会進出の促進のためにも、職種・技能に基づく職階制への転換が望まれる。

 2、国家公務員等の人事制度の改善が不可欠 (その2に掲載)
(1)幻に終わった「国家公務員の職階制に関する法律」
(2)国民に開かれた公務員制度を可能にする「職階制」
(2020.1.7.)(不許無断転載)(All Rights Reserved.)
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学校の新学年9月開始を推奨する

2020-05-23 | Weblog
学校の新学年9月開始を推奨する 
 2010年年初よりの新型コロナウイルスの伝染被害が広がり、予防のため3月の小・中・高校の休校に続き、4月7日の約1ヶ月間の緊急事態宣言により、大学、専門学校を含め入学式が延期されるなど、教育の場が長期に休校状態になっている。5月6日までの緊急事態宣言は、全面的に解除される見通しは無く、休校状態が延長される可能性もある。
 これから夏までの教育をそれぞれのレベルでどうするかは工夫の余地があるが、知事の間にグローバリゼイションの中で、この際新学期を9月にしてはとの提案が出されている。
 学校の新学年9月開始については大学レベルでも検討されており、これを支持する大学も少なくないが、小・中・高、専門学校等についても、次の理由で新学期の9月開始を早急に検討し、実施の方向で学校改革を行う絶好のチャンスではなかろうか。それが出来れば、大学の新学期9月開始への障害はほとんど無くなるであろう。
1、 教育の場の国際化
 現在人的な国際交流が一般的となり、日本人の海外留学、外国人の日本留学なども頻繁になっているが、新学期が9月の諸国が多いため、留学するにも、また母国に帰り教育を続ける場合にも、円滑な継続が困難となっており、これが日本の教育の国際化の妨げになっている。それは日本の大学の国際的な水準の低さの原因ともなっている。最近の世界大学ランキング100校には、日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。新学年の開始時期が国際的な基準に沿っていなければ、それだけで国際的評価は得れないであろう。
 現在、小学校から大学まで、進入学はストップしており、再開の見通しは立っていない。小中学校から大学まで新学期を9月に揃えるチャンスと言えよう。それまでの間をどう活用するかは別途考えれば良い。
 新学年開始を9月とすれば、日本の学校から海外の学校への転出、転入が円滑となるので、海外留学や外国人の日本への留学等も障害が少なくなり、日本からの海外留学、外国人の日本留学を促進し易くなろう。
 入試試験は7月中・下旬から8月に実施可能であり、また高校野球も維持できる。

 2、学年途中の長期の夏季休暇は非効率で子供に負担
1か月半前後の夏休み中に、多くの宿題、課題が課されているが、学習の継続性を保つためなどと思われ、旧来から行われている。しかし最近では宿題、課題の種類や量が多いため、「宿題代行業」が全国に普及している状況のようだ。このような状況では、学年途中での長期の休みによる学習中断の弊害は補い切れていない。それどころか、9月の学期初めに宿題、課題を学校に提出しなくてはならないので、夏休みの終盤は子供たちにプレッシャーやストレスを与えている。夏休み後の新学期を前にして子供の自殺が一番多いと言われているが、楽しく、自由に能力を伸ばせる夏休みが、悲劇の種ともなっているようだ。個人レベルで学習塾などを利用している生徒も多いようだが、それは夏季休暇が学年途中の学習中断になっているからに他ならない。
 9月に新学年開始とすれば、子供たちは夏の間は学校から課される宿題などから解放され、自由に能力を伸ばせるし、家族とゆっくりと過ごし、また新学年に向けてそれぞれの準備や新しい習い事なども始められるだろう。少なくても子供たちにプレッシャーやストレスを与えることは少なくなろう。他方、休みの間の生徒への指導や安全対策などは必要となろう。

3、新卒者の就職活動と採用試験や予算編成などの時期の調整は可能
 新卒者の就職試験については、3年終了後の8月頃採用広報開始、翌年1月に選考(面接)開始とすることは可能であろう。
 また予算編成については、米国同様10月1日を新予算年度開始とすると、翌年度の政府予算につき各省庁の概算要求案の予算当局への提出を10月か11月までとし、翌年4月下旬までに政府原案の決定、4月下旬国会提出、5月の連休明けに国会での予算審議開始、9月下旬までに国会(8月は原則国会休会)での予算採択を軸に行政府と国会の間で調整、検討することは可能であろう。
このスケジュールで行くと、国会の予算審議は1か月間の夏季休会を挟んでほぼ3か月間取ることも可能となるので、十分な審議が出来るようになる。日本の場合、議院内閣制のため、指名された政権が予算の政府原案を作り国会での承認を求めるが、政府原案が修正されることはほとんどない。衆議院で採択されたものが参議院で否決されても、30日ルールで衆議院が優越することになり、両院協議会で修正協議されることもない。国家、国民の生活に大きな影響を与える予算であり、また有権者の4割前後は無党派層であるので、政府原案は政府原案として、国会での審議を通じ、或いは参議院で異なる要請を出した場合などには両院協議会を通じる衆・参両院の調整が行えるようにし、広く国民の関心が反映出来るようにすることが望まれる。そのために一元的に予算を検討できるよう、国会内に衆・参合同の予算管理局のような組織を設置する必要が出て来よう。
 10月1日が新会計年度となると、諸法令を修正しなくてはならず、行政事務当局や国会事務局の手間は掛かると予想されるが、決めればそれに従って対応する問題であろう。世界が更にグローバル化し、諸国間の交流もボーダーレスになって行くと共に、少子化の中で就労者の確保、学生の確保等の上で年長者や女性の就労機会の拡大と共に、外国人の人材や学生の受け入れがよりスムーズに行えるようにすることが望ましいので、9月新学年制が望ましい。環太平洋経済連携取り決め(TPP)が11カ国で発足しているのでなおさらのことであろう。
但しグローバル化は、今回の新コロナウイルス問題で明らかになったように、伝染病なども伝播し易くし、危険も孕んでいるので、このような場合には、グローバルな動きを一時止めるメカニズムも必要になっている。(2020.4.29.)(All Rights Reserved.)
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大学の世界ランキング・アップに何が必要か?  (再掲)

2020-05-23 | Weblog
 大学の世界ランキング・アップに何が必要か?  (再掲)
 2014年度予算の各省庁要求を政府概算要求を査定する時期になったが、文部科学省は、世界大学ランキング100校入りを支援するために、国公私立の10大学に対し毎年100億円の助成を予算要求すると伝えられている。
 現在、世界大学ランキング100校には日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。ランキング・アップには指導環境など色々な要素が必要だが、各大学の学者、研究者が“独創的な研究を行い、研究論文が内外の研究者などから引用されること”が決定的な要素となる。要するに、各大学に所属する教授ほか研究者の「独創的な研究実績」と「語学力など、対外的な発信能力」が問われていることになる。
 文科省は、10校を選定し、海外の大学との共同研究や著名な研究者の招聘を支援するなどしている。これのような研究交流や人的交流自体は良いことではあるが、新たに毎年100億円もの予算を投入して相当長期を掛けてもどの程度の効果が出るか疑問である。そもそも教育のあり方の転換や教師、研究者の資質や姿勢など、大学院の普及などの制度面、人材面の改善、即ち教育ソフト面の転換がより重要に思える。
 1、 外国大学との共同研究や研究者招聘の効果は局部的、限界的
 外国の共同研究や著名研究者の日本への招聘については、各大学の判断で実施することは大いに良いことであるが、今更という印象を受ける上、その効果は長期を要し、例えば10年間としても1,000億円の予算負担となり、費用対効果の面で疑問が残る。
 外国大学との共同研究でも、iPS細胞分野など日本側に何らかの比較優位のある分野でなければ、各分野で先端を行っているような外国人研究者は日本との共同研究は希望しないであろう。著名な外国人研究者の招聘にしても高額の招聘費が必要となろうし、日本での研究にメリットを感じなければ希望しないであろう。いずれの場合も、日本側に相当高度な研究水準と語学力がなければ得るものは少ないと判断されるであろう。
 招聘事業で一つの例を挙げよう。日本は、1985年9月のプラザ合意で急速な円高を容認し、それにより日本企業の海外進出が急増した。それに伴い海外で活動できる人材や知識等が必要となり、日本の「国際化」が必要とされた。その対策の1つとして90年代初頭より、政府は「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)を開始し、当初は米国を中心とする英語圏から青年を招聘し、地方公共団体と共同して各地の学校等に英語教師として配属し、英語教育の普及を行った。その後英語圏以外も加えたほか、役割も地方公共団体の国際交流促進のための助言等の分野に広げ、当初の4カ国から40カ国ほどに拡大し招聘している。この事業は既に20年以上実施しているので、日本各地において外国語を習得し、或いは地方レベルでの国際交流を担える人材が可なり育っていることが期待される。確かに一定の効果はあったが、最大の効果は、日本に招聘された外国人の日本語能力が顕著に向上している上、各地の伝統文化だけでなく、アニメを含む若者文化や日本食、工芸品、匠の技などへの理解と評価も向上し、それが世界各地に伝えられ、日本の伝統文化、技術の水準の高さと共に、現代の庶民文化、若者文化への興味が世界に広がったことであろう。知日派、好日派外国人が増え、日本各地の草の根文化や工芸技術への評価が顕著に高まったが、本事業の本来の目的である日本での英語の普及や能力向上については、20年以上継続しているにも拘らず、それ程の効果は得られていない面がある。逆にこの制度が恒常化したことにより、地域の国際交流や外国人との関係についてはJETで招聘された外国人に実体上任され、JETへの依存性が高まり、地域住民自体の語学力向上や国際化には余り寄与していないとの弊害も見られる。
 外国大学との共同研究や研究者の日本への招聘事業が長期化することになると、JETプログラムと類似の結果となり、日本の学術研究のレベルや創造性、独創性を高め、それが世界に評価、引用されることにどれだけ貢献することになるのか疑問なしとしない。
 また新たな事業予算の追加も良いが、中・長期的な少子化の趨勢に対応し、教育姿勢と共に、国・公立学校を地域別に統廃合し、また国・公立と私立との学費格差や研究助成格差等を縮小することなど、高等教育制度自体を再点検する必要がありそうだ。また暗記重視の教育方針、試験制度から発想力や創造性、独創性を重視した教育姿勢や試験(評価)制度に優先度と資源の再配分を行い、その中で新たなニーズ、事業を加えて行くなどの工夫と先見性が必要と言えよう。中・長期的な少子化、人口減の中での長寿化社会において、新規事業や学校・学部を増加し続け、教育予算を更に拡大することは現実的に困難と見られる。
 2、 最も必要とされる研究成果の英語等による発表能力
 知的活動の分野において、日本の研究成果や論文等が世界の多くの学者、研究者によって評価、引用されるようになるためには、創造性、独創性を重視した教育姿勢、試験(評価)制度と入学試験や公務員を含む就職試験のあり方(新卒者偏重、出身大学主義の採用試験制度など)と大学院レベルへの高等教育の普及と修了者への処遇の改善など、教育姿勢や教育・採用試験制度という教育ソフト面の改善が不可欠と言えよう。
 しかし現実論として学者、研究者による研究成果が国際的に評価されるためには、研究成果が国際的な外国語(英語で可)による成果の発表が不可欠である。どんなに良い研究成果や作品でも日本語だけでは国際的に評価されない。外国と国境を接していない日本では外国語に接する機会は少ないので、当面英語での研究成果の発表を日常化することが望まれる。理工系や医学分野等では研究成果の英語等による発表はある程度行われているが、社会科学や人文科学分野では余り行われてない。
 そのためには、学生や学者、研究者等の2年以上の主要国への留学を飛躍的に増加させることが最も効果的であろう。学生、研究者等の海外留学を促進するため、例えば海外留学(高校・専門レベルで1年、大学・大学院レベルで2年など)での取得単位を国内単位としての認定を促進することと、海外留学奨学金(原則無利子、成績優秀者等には無償など)を新設、拡充することが望まれる。その上で海外からの留学生、研究者の受け入れを促進することが、日本の研究成果の海外への発信力を高める早道と言えよう。
 もっとも日本の英語教育は、中学、高校の6年間に必修科目として行われているが、海外に行って、日本で6年間英語を習っていて英語がしゃべれないと言うと、信じられないというような顔をされる。英語を「語学」という学問の範疇で教え、試験科目にしていることが、コミュニケーション手段としての言葉なることを妨げているようだ。子供が言葉を反復しながら覚えるように、まず英語を耳で聞き、口でしゃべるようにして行き、必要に応じ高学年になってスペリングや文法などへと高めて行けば良いことであろう。外国語を世界とのコミュニケーション手段として行く上では、試験なども「語学」試験としての必須科目とはせず、生きたコミュニケーション手段として選択科目にするなどの改善が必要のようだ。
 3、創造性、独創性を重視した教育・入試制度など、意識と制度の転換が不可欠 海
外への外国語での研究成果の発信力向上に加え、研究成果の創造性、独創性が求められることは言うまでもない。日本の教育方針や制度、試験制度は、卒業後の公務員・企業の就職試験に至るまで基本的に一貫して記憶力、暗記力に重点を置いている。“応用問題”も採用されてはいるが、これも既存知識や研究の“応用”であり、発想力や創造性、独創性を涵養するものではない。
 教える側も、既存の知識や理論等を教え与えることが主眼となっている。無論基本的な知識を蓄積することは重要ではあるが、米欧等においては、研究者や学者が研究論文を可なり頻繁に出さないとポジションを維持することが困難になるので、理工系や医学系に限らず、社会科学、人文科学系においても独創的な研究論文の発表に常に努力している。日本の場合、詰め込み授業に追われることが多く、また基本的に年功序列の昇進となるので研究成果を出す必要が必ずしもない上、自発的な留学のための休暇・休職なども取り難く、また一定年数勤務後の研究休暇(サバテイカル休暇)なども普及していない。
 従って日本の大学が国際的に高い評価を得るためには、教育姿勢や教育方針・制度など、教育ソフト面の改善、転換が不可欠と言える。
 4、 発想力、創造性を加味した就職試験の拡大の必要性
 中学、高校、大学等への進学は、最終的には公務員採用試験を含め、就職への有利性が考慮されるので、就職、採用試験が暗記、記憶力に重点が置かれている限り、学校教育でも暗記、記憶力に重点が置かれることになる。確かに学生が教師と黒板に向かい合う対峙型となり、学生はそれを記録し、記憶するという教育方式が中心となっている。
 それはそれとして良いのだが、もっと小グループで学生と教師の質疑、意見交換、小論文作成等により、双方交通の授業方式を促進し、学生の個々人の個性引き出し、表現できる授業形態が増えることが望ましい。それにより現在欠けていると見られている議論する能力やコミュニケーション能力も向上するものと期待される。
 そのためには採用、就職試験でも暗記、記憶力、応用力に加え、発想力や創造力、独創性を評価することが望まれる。それを短時間で採点することは難しいので、学校側の評価を取り入れることが現実的であろう。
 5、 大学院レベルの高等教育の普及と修士・博士号取得者への公正な処遇
 日本は“学歴主義”と言われることがあるが、実際は、国家公務員等を含め採用が新規卒業者を対象に行われるので、どうしても出身校が差になると共に、いわゆる“終身雇用”形態となっているため、大学院への進学率は、欧米先進工業国等に比して非常に低いのが現状だ。
 人口千人当たりの大学院学生数では、日本の2人に対し、米国9人、英、仏の各8人、韓国が6人となっている(資料:教育指標の国際比較平成23年版)。また25歳以上の大学院入学者は、諸外国では平均2割程度に達するが、日本では2%以下であり、大学院への社会人入学者が非常に少ない。これを反映して、日本の大学院の規模は諸外国に比して小さく、“高度人材を育成する基盤が弱い”と見られている(経済産業省研究資料)。
 また日本の企業役員等(従業員500人以上)の最終学歴では、米国の上場企業管理職等に占める大学院修了者の比率は、人事部長クラスで約62%、営業、経理部長クラスで約45%であるのに対し、日本の大学院卒の比率は5.9%と極端に低い(経済産業省研究資料)。米国では、高校の校長になるためには修士号取得が必要なことが多い。また国連など、国際公務員の幹部クラスは修士号、博士号取得者が多いが、日本の国家公務員の政策職の幹部には大学院修了者はほとんどいない。日本では博士課程修了者の就職率も6割前後に留まっている。上記の通り主要諸国では大学院修了者への評価く、高いキャリアー・アップの要件になっている一方、日本における新卒採用の偏重と大学院修了者の社会的進出の低さが、大学院の規模や大学院進学率の阻害要因になっていると言える。
 日本における高度人材の育成を図るため、大学院制度のあり方が課題と言えよう。
 日本は今後少子化と人口減、長寿化社会を迎える一方、グローバリゼーションの流れの中で、物、人、資金の自由化が更に進み、日本への海外資本による直接投資も増加することになるので、高度技術における国際競争力の維持、促進のみならず、日本国内において経営レベルでも国際競争に晒されることになると予想されるので、経営レベルを含め高度人材の育成が課題となると予想される。
 このような内外の社会変化に対応して、大学・大学院での制度や教育のあり方を再点検する時期にあると言えよう。しかし上記の通り、大学・大学院での教育や研究は、企業や行政組織及び関係団体のニーズに影響を受けることになるので、社会全体の理解と協力を得つつそのレベル・アップを図って行くことが期待される。(2013.9.28.)(All Rights Reserved.)
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大学の世界ランキング・アップに何が必要か?  (再掲)

2020-05-23 | Weblog
 大学の世界ランキング・アップに何が必要か?  (再掲)
 2014年度予算の各省庁要求を政府概算要求を査定する時期になったが、文部科学省は、世界大学ランキング100校入りを支援するために、国公私立の10大学に対し毎年100億円の助成を予算要求すると伝えられている。
 現在、世界大学ランキング100校には日本の国立大学が2校入っているだけであり、一人当たりのGDPを加味すると実質的に世界第2位の経済大国である日本にとっては少し寂しいところだ。ランキング・アップには指導環境など色々な要素が必要だが、各大学の学者、研究者が“独創的な研究を行い、研究論文が内外の研究者などから引用されること”が決定的な要素となる。要するに、各大学に所属する教授ほか研究者の「独創的な研究実績」と「語学力など、対外的な発信能力」が問われていることになる。
 文科省は、10校を選定し、海外の大学との共同研究や著名な研究者の招聘を支援するなどしている。これのような研究交流や人的交流自体は良いことではあるが、新たに毎年100億円もの予算を投入して相当長期を掛けてもどの程度の効果が出るか疑問である。そもそも教育のあり方の転換や教師、研究者の資質や姿勢など、大学院の普及などの制度面、人材面の改善、即ち教育ソフト面の転換がより重要に思える。
 1、 外国大学との共同研究や研究者招聘の効果は局部的、限界的
 外国の共同研究や著名研究者の日本への招聘については、各大学の判断で実施することは大いに良いことであるが、今更という印象を受ける上、その効果は長期を要し、例えば10年間としても1,000億円の予算負担となり、費用対効果の面で疑問が残る。
 外国大学との共同研究でも、iPS細胞分野など日本側に何らかの比較優位のある分野でなければ、各分野で先端を行っているような外国人研究者は日本との共同研究は希望しないであろう。著名な外国人研究者の招聘にしても高額の招聘費が必要となろうし、日本での研究にメリットを感じなければ希望しないであろう。いずれの場合も、日本側に相当高度な研究水準と語学力がなければ得るものは少ないと判断されるであろう。
 招聘事業で一つの例を挙げよう。日本は、1985年9月のプラザ合意で急速な円高を容認し、それにより日本企業の海外進出が急増した。それに伴い海外で活動できる人材や知識等が必要となり、日本の「国際化」が必要とされた。その対策の1つとして90年代初頭より、政府は「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)を開始し、当初は米国を中心とする英語圏から青年を招聘し、地方公共団体と共同して各地の学校等に英語教師として配属し、英語教育の普及を行った。その後英語圏以外も加えたほか、役割も地方公共団体の国際交流促進のための助言等の分野に広げ、当初の4カ国から40カ国ほどに拡大し招聘している。この事業は既に20年以上実施しているので、日本各地において外国語を習得し、或いは地方レベルでの国際交流を担える人材が可なり育っていることが期待される。確かに一定の効果はあったが、最大の効果は、日本に招聘された外国人の日本語能力が顕著に向上している上、各地の伝統文化だけでなく、アニメを含む若者文化や日本食、工芸品、匠の技などへの理解と評価も向上し、それが世界各地に伝えられ、日本の伝統文化、技術の水準の高さと共に、現代の庶民文化、若者文化への興味が世界に広がったことであろう。知日派、好日派外国人が増え、日本各地の草の根文化や工芸技術への評価が顕著に高まったが、本事業の本来の目的である日本での英語の普及や能力向上については、20年以上継続しているにも拘らず、それ程の効果は得られていない面がある。逆にこの制度が恒常化したことにより、地域の国際交流や外国人との関係についてはJETで招聘された外国人に実体上任され、JETへの依存性が高まり、地域住民自体の語学力向上や国際化には余り寄与していないとの弊害も見られる。
 外国大学との共同研究や研究者の日本への招聘事業が長期化することになると、JETプログラムと類似の結果となり、日本の学術研究のレベルや創造性、独創性を高め、それが世界に評価、引用されることにどれだけ貢献することになるのか疑問なしとしない。
 また新たな事業予算の追加も良いが、中・長期的な少子化の趨勢に対応し、教育姿勢と共に、国・公立学校を地域別に統廃合し、また国・公立と私立との学費格差や研究助成格差等を縮小することなど、高等教育制度自体を再点検する必要がありそうだ。また暗記重視の教育方針、試験制度から発想力や創造性、独創性を重視した教育姿勢や試験(評価)制度に優先度と資源の再配分を行い、その中で新たなニーズ、事業を加えて行くなどの工夫と先見性が必要と言えよう。中・長期的な少子化、人口減の中での長寿化社会において、新規事業や学校・学部を増加し続け、教育予算を更に拡大することは現実的に困難と見られる。
 2、 最も必要とされる研究成果の英語等による発表能力
 知的活動の分野において、日本の研究成果や論文等が世界の多くの学者、研究者によって評価、引用されるようになるためには、創造性、独創性を重視した教育姿勢、試験(評価)制度と入学試験や公務員を含む就職試験のあり方(新卒者偏重、出身大学主義の採用試験制度など)と大学院レベルへの高等教育の普及と修了者への処遇の改善など、教育姿勢や教育・採用試験制度という教育ソフト面の改善が不可欠と言えよう。
 しかし現実論として学者、研究者による研究成果が国際的に評価されるためには、研究成果が国際的な外国語(英語で可)による成果の発表が不可欠である。どんなに良い研究成果や作品でも日本語だけでは国際的に評価されない。外国と国境を接していない日本では外国語に接する機会は少ないので、当面英語での研究成果の発表を日常化することが望まれる。理工系や医学分野等では研究成果の英語等による発表はある程度行われているが、社会科学や人文科学分野では余り行われてない。
 そのためには、学生や学者、研究者等の2年以上の主要国への留学を飛躍的に増加させることが最も効果的であろう。学生、研究者等の海外留学を促進するため、例えば海外留学(高校・専門レベルで1年、大学・大学院レベルで2年など)での取得単位を国内単位としての認定を促進することと、海外留学奨学金(原則無利子、成績優秀者等には無償など)を新設、拡充することが望まれる。その上で海外からの留学生、研究者の受け入れを促進することが、日本の研究成果の海外への発信力を高める早道と言えよう。
 もっとも日本の英語教育は、中学、高校の6年間に必修科目として行われているが、海外に行って、日本で6年間英語を習っていて英語がしゃべれないと言うと、信じられないというような顔をされる。英語を「語学」という学問の範疇で教え、試験科目にしていることが、コミュニケーション手段としての言葉なることを妨げているようだ。子供が言葉を反復しながら覚えるように、まず英語を耳で聞き、口でしゃべるようにして行き、必要に応じ高学年になってスペリングや文法などへと高めて行けば良いことであろう。外国語を世界とのコミュニケーション手段として行く上では、試験なども「語学」試験としての必須科目とはせず、生きたコミュニケーション手段として選択科目にするなどの改善が必要のようだ。
 3、創造性、独創性を重視した教育・入試制度など、意識と制度の転換が不可欠 海
外への外国語での研究成果の発信力向上に加え、研究成果の創造性、独創性が求められることは言うまでもない。日本の教育方針や制度、試験制度は、卒業後の公務員・企業の就職試験に至るまで基本的に一貫して記憶力、暗記力に重点を置いている。“応用問題”も採用されてはいるが、これも既存知識や研究の“応用”であり、発想力や創造性、独創性を涵養するものではない。
 教える側も、既存の知識や理論等を教え与えることが主眼となっている。無論基本的な知識を蓄積することは重要ではあるが、米欧等においては、研究者や学者が研究論文を可なり頻繁に出さないとポジションを維持することが困難になるので、理工系や医学系に限らず、社会科学、人文科学系においても独創的な研究論文の発表に常に努力している。日本の場合、詰め込み授業に追われることが多く、また基本的に年功序列の昇進となるので研究成果を出す必要が必ずしもない上、自発的な留学のための休暇・休職なども取り難く、また一定年数勤務後の研究休暇(サバテイカル休暇)なども普及していない。
 従って日本の大学が国際的に高い評価を得るためには、教育姿勢や教育方針・制度など、教育ソフト面の改善、転換が不可欠と言える。
 4、 発想力、創造性を加味した就職試験の拡大の必要性
 中学、高校、大学等への進学は、最終的には公務員採用試験を含め、就職への有利性が考慮されるので、就職、採用試験が暗記、記憶力に重点が置かれている限り、学校教育でも暗記、記憶力に重点が置かれることになる。確かに学生が教師と黒板に向かい合う対峙型となり、学生はそれを記録し、記憶するという教育方式が中心となっている。
 それはそれとして良いのだが、もっと小グループで学生と教師の質疑、意見交換、小論文作成等により、双方交通の授業方式を促進し、学生の個々人の個性引き出し、表現できる授業形態が増えることが望ましい。それにより現在欠けていると見られている議論する能力やコミュニケーション能力も向上するものと期待される。
 そのためには採用、就職試験でも暗記、記憶力、応用力に加え、発想力や創造力、独創性を評価することが望まれる。それを短時間で採点することは難しいので、学校側の評価を取り入れることが現実的であろう。
 5、 大学院レベルの高等教育の普及と修士・博士号取得者への公正な処遇
 日本は“学歴主義”と言われることがあるが、実際は、国家公務員等を含め採用が新規卒業者を対象に行われるので、どうしても出身校が差になると共に、いわゆる“終身雇用”形態となっているため、大学院への進学率は、欧米先進工業国等に比して非常に低いのが現状だ。
 人口千人当たりの大学院学生数では、日本の2人に対し、米国9人、英、仏の各8人、韓国が6人となっている(資料:教育指標の国際比較平成23年版)。また25歳以上の大学院入学者は、諸外国では平均2割程度に達するが、日本では2%以下であり、大学院への社会人入学者が非常に少ない。これを反映して、日本の大学院の規模は諸外国に比して小さく、“高度人材を育成する基盤が弱い”と見られている(経済産業省研究資料)。
 また日本の企業役員等(従業員500人以上)の最終学歴では、米国の上場企業管理職等に占める大学院修了者の比率は、人事部長クラスで約62%、営業、経理部長クラスで約45%であるのに対し、日本の大学院卒の比率は5.9%と極端に低い(経済産業省研究資料)。米国では、高校の校長になるためには修士号取得が必要なことが多い。また国連など、国際公務員の幹部クラスは修士号、博士号取得者が多いが、日本の国家公務員の政策職の幹部には大学院修了者はほとんどいない。日本では博士課程修了者の就職率も6割前後に留まっている。上記の通り主要諸国では大学院修了者への評価く、高いキャリアー・アップの要件になっている一方、日本における新卒採用の偏重と大学院修了者の社会的進出の低さが、大学院の規模や大学院進学率の阻害要因になっていると言える。
 日本における高度人材の育成を図るため、大学院制度のあり方が課題と言えよう。
 日本は今後少子化と人口減、長寿化社会を迎える一方、グローバリゼーションの流れの中で、物、人、資金の自由化が更に進み、日本への海外資本による直接投資も増加することになるので、高度技術における国際競争力の維持、促進のみならず、日本国内において経営レベルでも国際競争に晒されることになると予想されるので、経営レベルを含め高度人材の育成が課題となると予想される。
 このような内外の社会変化に対応して、大学・大学院での制度や教育のあり方を再点検する時期にあると言えよう。しかし上記の通り、大学・大学院での教育や研究は、企業や行政組織及び関係団体のニーズに影響を受けることになるので、社会全体の理解と協力を得つつそのレベル・アップを図って行くことが期待される。(2013.9.28.)(All Rights Reserved.)
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