内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

北朝鮮の挑発と和解の繰り返しで進む軍事開発 (その1)

2016-04-11 | Weblog

北朝鮮の挑発と和解の繰り返しで進む軍事開発              (その1)

―朝鮮労働党創建70周年に北朝鮮は世界に何を見せるのかー

「まえがき 

 北朝鮮は、2月7日午前、地球観測用との名目で長距離ロケット(光明星4号」)を発射した。このロケットには‘衛星’が搭載されているが、核などの兵器を搭載すれば大陸間「弾道ミサイル」にも転用出来る。今回のロケット(テポドン2改良型)飛行距離が12,000-13,000キロと見られており、米国本土の東海岸にも到達するものと見られている。

 今回の発射は国際海事機関(IMO)他、関係国際専門機関に通告されていたが、北朝鮮が1月6日に水爆とされている爆発実験を行っており、核と運搬手段であるロケットの軍事開発を目的としていると見られることから、米国、韓国や中国など世界各国が東アジアの不安定化につながり、これまでの国連安保理決議に反するなどとして強く非難し、また国連安保理が全会一致で非難決議を採択し、新たな制裁措置を検討している。米国では北朝鮮制裁法案が上下両院で採択され、大統領が署名(2月18日)して成立し、日本は北朝鮮のミサイル開発は‘認められない’などとして北朝鮮船舶の日本寄港の禁止や人的交流の制限など‘独自の制裁’を決定した。また韓国も開城工業団地よりの引き上げを行うなど制裁を強化している。

 北朝鮮の核兵器開発やミサイル開発は、東アジアのみならず国際の平和と安全に対する脅威であると共に、核不拡散体制の形骸化を加速することになるので、国際社会が重大な関心を持ち批判、非難すべきことである。しかし残念ながらこのような批判、非難にも拘わらず、北朝鮮が5回の核爆発実験を重ねて10年、長距離弾道ミサイルに転用出来るテポドン2改良型の発射実験を3回重ねて6年余となるが、ある程度の抑止効果はあったとしても結果として阻止は出来ていない。逆に、開発の時間を北朝鮮に与えた結果となっていることは否めない。

 日本独自の制裁強化については、北朝鮮による同国内日本人の特別調査委員会の‘解体’を呼ぶ結果となり、被害者家族の悲痛な期待に反し、拉致問題はまたも振り出しに戻る結果となっている。朝総連の解体を含む、新たな対応と発想の転換が不可欠になって来ているように見える。

 北朝鮮の核、ミサイル開発は思った以上に進んでいるのが実態だ。一連の制裁により一定の抑止効果はあるとしても、これまでの制裁の繰り返しでは、北朝鮮の核、ミサイルの開発を‘認めない’どころか、その実用化、配備の阻止も困難とも映る。この問題のカギを握っているのは、地域の核兵器国である米国と中国、ロシアと言えようが、これまでの‘制裁’を超える対応と発想の転換が迫られていると言えよう。

 このような観点から、本稿を継続掲載したい。」

 

 2015年8月10日、南北非武装地帯の韓国側付近で韓国軍兵士2人が敷設されていた地雷により負傷した。韓国側は、‘地雷は北朝鮮が最近埋めたものであることが確実’と発表し、南北朝鮮を分断する軍事境界線(通称38度線)を挟み、韓国と北朝鮮の軍事的緊張が再び高まった。北朝鮮側のこの種の挑発は、7月11日にも北朝鮮軍10人余が軍事境界線中央付近(江原道鉄)で韓国側に侵入する事件などが起こっている。

 これに対し韓国側は、地雷敷設事件に謝罪を要求、北朝鮮がこれを厳しく非難し、地雷爆発事件は‘でっち上げた’として否定するなど、南北が非難の応酬を行った。

 韓国側は、対抗措置として2004年6月に南北で合意した‘批判宣伝合戦停止’を中断し、北に向けた大音量の拡声器による金正恩体制への批判等を8月22日から再開した。これに対し北朝鮮側は、拡声器が敷設されている方面に2発の砲弾を発射、韓国側もこれに応じ2発の砲弾を発射した。北朝鮮は‘準戦時状態’を布告(8月20日)していたが、韓国側は最高レベルの‘警戒態勢’を取って応じるなど、緊張が更に高まった。各紙、テレビでは南北間は一触即発で、局地的に不測の事態も起こりかねない等と報じた。

 しかし北朝鮮が一転して南北会談を呼びかけ、8月22日、板門店で南北代表(韓国側代表 金寛鎮(キム・グァンジン)大統領府国家安保室長、北朝鮮側黄炳瑞(ファン・ビョンソ)朝鮮人民軍総政治局長)が会談を開始し、数次の協議を重ねた後、8月25日、南北は相互の挑発中止で合意した。合意した内容は、北朝鮮側が地雷爆発により韓国軍兵士が重傷を負った事件に対し遺憾を表明する一方、韓国側は拡声器を使った宣伝放送を同日正午に中断することが中心となっている。その上で北朝鮮は‘準戦時状態’を解除すると共に、関係改善に向けてソウルか平壌で当局者会談を開催し、また朝鮮戦争などで生じた離散家族の再会に向けた実務者会議を開催することや、多様な分野での民間交流活性化などが合意されている。

 これで南北間において多様な分野での民間交流が行われることになるとの印象を受けるが、この種の挑発と和解のプロセスはいわば年中行事となっている。

 1、 年中行事化した米韓合同軍事演習への北朝鮮の反発

 上記の北朝鮮の挑発は、8月17日より開始された米韓合同軍事演習の前後で発生している。北朝鮮側は、これまでも米韓合同軍事演習に対し激しく反発しており、いわば年中行事化している。

 2014年12月から翌2015年1月に掛けて、北朝鮮は一連の政治的粛清や人権侵害について国際的な批判に晒されていたが、2月下旬から予定されていた米韓合同軍事演習を非難した。同年1月16日、北朝鮮国防委員会は、南北朝鮮間に良好な環境を作り出すためとして、相互に批判し挑発し合うことを止めると共に、米韓両国の合同軍事演習の中止を訴えている。その後北朝鮮は、韓国との南北離散家族再開事業を実施(2月20日から6日間)した他、日朝赤十字会談や日朝政府間協議を行うなど、融和姿勢を示す一方、短、中距離のミサイルの日本海向け発射などの示威行為を行い、硬軟両用の姿勢を示しており、今回の動きと酷似している。

 今回も米韓合同軍事演習を前にした8月15日、北朝鮮国防委スポークスマンは、8月17日より開始される米韓合同軍事演習を北朝鮮の‘中枢部の除去’を狙った奇襲を意図するものであり、最大限の反撃を行う旨の声明を発表した。更に、北朝鮮は‘核抑止を含め公にしていない最新の攻守双方の兵器を装備している’旨述べると共に、米国による経済制裁を非難した。そして米韓合同軍事演習が開始された後の8月20日、北朝鮮は‘準戦時状態’を布告した。

 このように緊張が高まる中で北朝鮮側は、8月22日、韓国が北朝鮮向けに敷設した拡声器の方面に2発の砲弾を発射、韓国側もこれに応じ2発の砲弾を発射し、‘最高レベルの警戒態勢’を取って応じるなど、緊張が更に高まった。

 これを受けて米国は、同日より米韓合同軍事演習を中断することを発表した。北朝鮮が8月22日、一転して南北会談を呼び掛け、南北代表の会談が開始されることになったが、米韓合同軍事演習の中断がそのきっかけとなっていると見て良いだろう。

 こうして8月22日から板門店で南北代表が会談を開始され、数次の協議の末、8月25日、緊張回避のための6項目に合意したが、年初の米韓合同軍事訓練に際する南北の緊張と融和のパターンに類似する流れとなっている。

 しかし今回の北朝鮮の対応から次のようなことが明らかになった。

(1)まず、北朝鮮が人権問題での国際的な悪評や韓国による北朝鮮国内に向けた中枢部批判や宣伝に非常に神経質であることが明らかになった。

 このことは逆に、北朝鮮の人権問題等に対する国際世論の形成やの中枢部批判や北朝鮮の社会文化的な遅れ、貧困問題などに関し北朝鮮国内に発信して行くことが効果的ということである。

(2)米韓合同軍事演習は、在韓米軍から韓国軍への戦時作戦統制権の移譲が予定されていた2015年12月から再び延期されたことから明らかのように、韓国軍の体制が未だに整っていない以上、軍事的には必要である。他方、軍事優先の専軍主義を取る北朝鮮側にとっても、毎年実施される大規模な米韓合同軍事演習は、米韓両国の北への攻撃準備等として格好の批判材料となり、国内引き締めや軍備拡張の理由に使えるので、好都合であろう。

 このことは、米国政府としても、米韓合同軍事演習の頻度や規模、実施場所などのあり方については、国防総省や軍事当局に任せるのではなく、政治的、外交的な意味合いを含めて検討するため、国レベルの国家安全保障会議や国家安全保障担当大統領補佐官により、大局的に判断すべき時期にあることを示唆している。

(3)北朝鮮が‘核抑止’を含む軍事力を誇示

 北朝鮮は既に自らを‘核兵器国’であると宣言しているが、8月15日、北朝鮮国防委スポークスマンは、米韓合同軍事演習を‘北朝鮮への米国の核攻撃の準備’として非難すると共に、北朝鮮は‘核抑止を含め公にしていない最新兵器を装備’しているとし、核兵器への対応を強調している。米韓合同軍事演習に対する北朝鮮の認識は歪曲されているが、北が核兵器開発に自信を持っていることが伺える。

 北朝鮮の核問題については、1995年より米国を中心として北朝鮮との協議が開始されたが、失敗に終わった朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)を経て協議の場は6か国協議に移っているが、過去20年間、具体的な成果が無いばかりか、北朝鮮は、挑発と和解を繰り返しつつ核兵器開発とミサイル開発を実質的に推進して来ているのが現実であるので、新たな方法を模索する時期に来ていると言えるだろう。

 2、   密かに進められる核とミサイル開発    (その2に掲載)

 3、朝鮮半島非核地帯の創設が緊要       (その3に掲載)

(2015.10.03.)(All Rights Reserved.)

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長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要  (その3)

2016-04-11 | Weblog

長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要  (その3)

 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。

 長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。

 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる                                         (その1で掲載)

 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築       (その2で掲載)

 3、定年年齢と切り離した年金制度 

 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収360万円以上(年金は除く)の人達については給付額を90%とし、その以上は年収を例えば100万円刻みで給付額を10%刻みで減額して行く(但し高所得者でも10%は給付)などとするなど、所得に応じた給付を行う年金モデルとして行くことが望ませる。

また医療費についても、健保料は所得がある者は所得に応じ支払うこととなるが、固定収入がないものについては者について国民保健料を低額に維持する一方、原則として現役世代の60%程度とするが、受診料については、可能であれば所得に応じたものとすることが望ましく、所得が例えば年収760万円以上については現役世代と同額とするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。

 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。基本的に、今後経済は高成長モデルから低位の安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。

 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、‘正規’社員であろうと派遣、アルバイト等の‘不正規’社員であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るような制度としなければ達成困難であろう。

 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。                                        

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化    (その4に掲載)

(2015.9.4.)(All Rights Reserved.)

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長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要   (その2)

2016-04-11 | Weblog

長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要   (その2)

 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。

 長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。

 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる                                         (その1で掲載)

 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築 

 日本は、国家公務員を含め終身雇用制を採っているので、学卒後多くの人が定年になるまで同じ会社、組織に属し、人生で最も長く会社、組織の同僚や上司や部下と接して来ているので、定年退職するとその接点が無くなるばかりか、65才定年制により、65才以上になると再就職なども事実上阻まれる結果となる。日本は、多くの場合学卒優先であり、公務員でも27才前後を新規採用の年齢制限とし、65才を定年とし、そして65から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とするなど、年齢により国民を細分化、規定化し過ぎているように見える。それによるメリットもあろうが、年令により国民を一律に細分化し、年令グループにより就職や社会保障等において制度的な差別化を図り、自由を奪っている形となっている。

 特に国民に開かれていることが望ましい国家公務員や地方公務員について、新規採用年令を27才前後とする一方、独立行政法人など政府関係機関の役員への応募を原則65才以下とすることなどを閣議で決めていることは、国民の行政への参加の機会を年齢で阻むものであり、望ましくない。国家的なエージハラッスメントとは言わないまでも、年齢差別と言える。

 人の年令には身体能力や意識の面で個人差があり、65才以上を一律に「高齢者」として仕分けし、生産活動や就業から外すことは、多くの場合個々人の希望に沿わない。多くの人は“体が動く間、働ける間は働きたい”という気持ちではないだろうか。

 就労者2人、或いは将来は2人以下で「高齢者」1人を支えるような結果となる社会モデルは、就労者、特に若い世代に過大な負担を負わせる結果となり、社会的活力を失わせる。

 更に70才から74才までを「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」と区分し、行政上医療費の自己負担比率を変えたり、自動車運転免許の取得、更新条件を変えたりしているが、能力、意識の上で個人差があるので余りにも一律で不必要な年齢規制と見られている。

 現在‘定年年齢’を65歳、或いは68歳とする企業、団体が多くなってきているが、‘定年年齢’自体を撤廃する一方、基本給(役職手当を除く)について、60歳以上の伸び率を抑え、65歳については段階的に3割~4割するなどにより、65歳以上になっても“働ける間は働ける社会”を構築して行くことが望ましい。

 3、定年年齢と切り離した年金制度             (その3に掲載)

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化    (その4に掲載)

(2015.9.4.)(All Rights Reserved.)

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長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要(その1)

2016-04-11 | Weblog

長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要(その1)

 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。

 長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。

 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる

 欧米等では、年金対象年令近くになると退職し、トレーラーハウスで気楽に各地を旅して回りたいという人もいる。だが日本では65歳で定年退職、生産活動からの卒業となると、一つは所得が無くなることへの不安や不自由さを感じさせる一方、生きがいを求める人が多いようだ。平均寿命は上記の通りであるので、平均的に男性では定年退職後約15年間以上、女性では22年程の期間があり、その間「高齢者」として生産活動から卒業させられ、その多くが事実上就職の道を絶たれることになるので、社会との関係が疎遠になってしまうのが現実のようだ。1、2年程度は良いが、15年から22年間生産活動から遠ざけられ、所得の道を絶たれるのは長過ぎる。その上、70から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とされる。しかし65才、或いは70才になったからといって人生これで終わりだと思っている人は少なく、多くの人は社会との関わり合いを望んでいるようだ。65才になると‘たそがれ人生’になり、‘終活’に明け暮れるのでは折角の経験が活かされない。意識の面だけではなく、寿命が延びている分肉体的にもエネルギーは残っているのだろう。

 1990年代以降の日本の着実な長寿化により男女平均の寿命が現在84才以上であることを考慮すると、外見上、或いは本人の意識の上で「高齢者」或いは老齢者と言って差し支えないのは、75才以上、将来的に長寿化が更に進む場合は80才としても良いのではないだろうか。75才以上の人口に占める比率は現在11%強、就労人口の約22%に当たるので、国民が支えなくてはならない「高齢者」の比率としてはまだ高いが、容認出来る数値と言えよう。長寿化に伴って年令区分や社会認識が追い付いていないと言えそうだ。基本的には、日本社会が年令意識、年長者尊重意識(シニオリテイ・コンプレックス)が強いこともあって、年令により国民を区分し、行政上も区分化、制度化する傾向が強過ぎ傾向にあるようだが、寿命自体が延びているので、それに伴い社会、行政意識が変化して良いのではなかろうか。

 このような観点から、年齢による呼称、総称を極力少なくし、当面70才以上を統計上“年長者”と総称し、前期・後期高齢者という年齢差別的な区分を廃止することが今日の長寿化社会に適しているように見える。強いて言うならば、所得の上でも体力や意識の上でも社会保障上の配慮が必要となる75才から80才以上前後を「高齢者」、「お年寄り」と呼称することは止むを得ないのかもしれない。社会のためにそれぞれの立場で貢献されてきた年長者に敬意を払うことは美徳であろうが、年齢だけで人を区分し、老齢者、老人、お年寄りと総称して労働市場や社会から遠ざけるのは老齢別視となる。

 また報道等においても、容疑者や犯罪者等の年令を表記するのは良いが、その家族や友人、関係者の年令まで表記し、また女優タレント等の年令をその都度表記するのは、日本特有のことであり、年齢差別、年齢別視とも見られる。多くの場合視聴者の関心でもないし、映像で伝える場合は、視聴者が判断出来ることが多いので、個人情報やプライバシーの観点からも行き過ぎとも見える。

 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築   (その2に掲載)

 3、定年年齢と切り離した年金制度             (その3に掲載)

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化    (その4に掲載)

(2015.9.4.)(All Rights Reserved.)

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新学年の9月開始を推奨する

2016-04-11 | Weblog

新学年の9月開始を推奨する

 学校の新学年9月開始につき大学レベルでも検討されているが、小・中・高についても新学期の9月開始を早急に検討されるべきであろう。

 1、 学年途中の長期の夏季休暇は非効率で子供に負担

 1か月半前後の夏休み中に、多くの宿題、課題が課されているが、学習の継続性を保つためなどと思われ、旧来から行われている。しかし最近では宿題、課題の種類や量が多いため、「宿題代行業」が全国に普及している状況のようだ。このような状況では、学年途中での長期の休みによる学習中断の弊害は補い切れていないどころか、9月の学期初めに宿題、課題を学校に提出しなくてはならないので、夏休みの終盤は子供たちにプレッシャーやストレスを与えている。夏休み後の新学期を前にして子供の自殺が一番多いと言われているが、楽しく、自由に能力を伸ばせる夏休みが、悲劇の種ともなっているようだ。個人レベルで学習塾などを利用している生徒も多いようだが、それは夏季休暇が学年途中の学習中断になっているからに他ならない。

 9月に新学年開始とすれば、子供たちは夏の間は学校から課される宿題などから解放され、自由に能力を伸ばせるし、家族とゆっくりと過ごし、また新学年に向けてそれぞれの準備や新しい習い事なども始められるだろう。少なくても子供たちにプレッシャーやストレスを与えることは少なくなろう。他方、休みの間の生徒への指導や安全対策などは必要となろう。

 新学年開始を9月とすれば、日本の学校から海外の学校への転出、転入が円滑となるので、海外留学や外国人の日本への留学等も障害が少なくなり、日本からの海外留学、外国人の日本留学を促進し易くなろう。

 入試試験は7月中、下旬から8月に実施可能であり、また高校野球も維持できる。

 2、新卒者の就職活動と採用試験や予算編成などの時期の調整は可能

 新卒者の就職試験については、8月頃採用広報開始、翌年1月に選考(面接)開始とすることは可能であろう。

 また予算編成については、米国同様10月1日を新予算年度開始とすると、翌年度の政府予算につき各省庁の概算要求案の予算当局への提出を10月か11月までとし、翌年4月下旬までに政府原案の決定、4月下旬国会提出、5月の連休明けに国会での予算審議開始、9月下旬までに国会(8月は原則国会休会)での予算採択を軸に行政府と国会の間で調整、検討することは可能であろう。

 このスケジュールで行くと、国会の予算審議は1か月の夏季休会を挟んでほぼ3か月間取ることも可能となるので、十分な審議が出来るようになる。日本の場合、議院内閣制のため、指名された政権が予算の政府原案を作り国会での承認を求めるが、政府原案が修正されることはほとんどない。衆議院で採択されたものが参議院で否決されても、30日ルールで衆議院が優越することになり、両院協議会で修正協議されることもない。国家、国民の生活に大きな影響を与える予算であり、また有権者の4割前後は無党派層であるので、政府原案は政府原案として、国会での審議を通じ、或いは参議院で異なる要請を出した場合などには両院協議会を通じる衆・参両院の調整が行えるようにし、広く国民の関心が反映出来るようにすることが望まれる。そのために一元的に予算を検討できるよう、国会内に衆・参合同の予算管理局のような組織を設置する必要が出て来よう。

 10月1日が新会計年度となると、諸法令を修正しなくてはならず、行政事務当局や国会事務局の手間は掛かると予想されるが、決めればそれに従って対応する問題であろう。世界が更にグローバル化し、諸国間の交流もボーダーレスになって行くと共に、少子化の中で就労者の確保、学生の確保等の上で年長者や女性の就労機会の拡大と共に、外国人の人材や学生の受け入れがよりスムーズに行えるようにすることが望ましいので、9月新学年制が望ましい。今後環太平洋経済連携取り決め(TPP)が実現する場合にはなおさらのことであろう。(2015.9.8.)(All Rights Reserved.)

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