内外政策評論 TheOpinion on Global & Domestic Issues

このブログは、広い視野から内外諸問題を分析し、提言を試みます。
Policy Essayist

長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要  (その3)

2016-06-22 | Weblog

長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要  (その3)

 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。

 長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。

 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる                                         (その1で掲載)

 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築       (その2で掲載)

 3、定年年齢と切り離した年金制度 

 問題は、年金受給年令に達する65才以上の社会保障上の対応であるが、これを従来のように年令で一律に区分するのではなく、所得(年金を除く年収)を基準とした対応とすることが適当ではなかろうか。社会保障の基本的な目的は、困窮者や社会的弱者へ手を差し延べ、それを国民が経済力に従って支えるということであるので、65才以上でも例えば年収360万円以上(年金は除く)の人達については給付額を90%とし、その以上は年収を例えば100万円刻みで給付額を10%刻みで減額して行く(但し高所得者でも10%は給付)などとするなど、所得に応じた給付を行う年金モデルとして行くことが望ませる。

また医療費についても、健保料は所得がある者は所得に応じ支払うこととなるが、固定収入がないものについては者について国民保健料を低額に維持する一方、原則として現役世代の60%程度とするが、受診料については、可能であれば所得に応じたものとすることが望ましく、所得が例えば年収760万円以上については現役世代と同額とするのもやむを得ないのではなかろうか。75才以上となる人達についても同様として良いのではなかろうか。

 財政が潤沢な時代であれば従来通りで良かろうが、財政、特に社会保障の財源が不足しているので、従来通りに支給等するために就労者、特に若い世代に追加的な負担を強いることは、社会保障のための負担感がより強くなり、活力を失わせかねない。基本的に、今後経済は高成長モデルから低位の安定成長モデルとなる一方、財政上の制約などで行政が必要な施策を全て行うような社会行政モデルは維持困難となって来ているので、国民それぞれの自己責任、受益者負担の意識や観念が一層重要になって来ていると言えよう。自然災害等から身を守ることについても、行政任せでは所詮困難であり、自己責任の意識を持ち、普段から自ら身を守るとの意識と準備をすることが重要であり、そのような自己責任の意識があって初めて被害を最小にすることが出来ると言えよう。

 他方年長者が若い世代の活躍や新しい発想、チャレンジ等を阻害しないように十分配慮する必要があると共に、若い世代が安定的な職業機会を持てるよう細かい配慮と施策が必要であろう。そもそも「皆保険」、「皆年金」の社会を目指すというのであれば、‘正規’社員であろうと派遣、アルバイト等の‘不正規’社員であろうと、就業形態を問わず全ての就業者が報酬レベルに応じて健康保険料や失業保険料、年金拠出料を納付出来るような制度としなければ達成困難であろう。

 長寿化の進展は喜ばしいことであるが、それを前提とした新たな社会保障モデルや社会モデルを構築して行くことが必要であろう。少子高齢化は、1990年代初期より政府の各種統計資料でも予測されていたことであり、そのような統計資料を施策の中に生かして行くことが望まれる。                                        

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化    (その4に掲載)

(2015.9.4.)(All Rights Reserved.)

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長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要   (その2)

2016-06-22 | Weblog

長寿化を前提とした就業・社会モデルへの転換が必要   (その2)

 厚生労働省の調査の調査によると、2014年の日本人の平均寿命は女性86.83歳、男性80.50歳となり、いずれも過去最高を更新した。男女平均でも84歳を越える。また試算によると、2014年生まれの子供では、75歳まで生きる人の割合は4分の3( 女性87.3%、男性74.1%)となっており、更に90歳でも女性でほぼ半分、男性でも4分の1にも達するという。

 長寿化は喜ばしいことであるが、年金や健康維持等の社会福祉費は増加の一途であることは明らかであるので、少子化、人口減による国民の税負担能力の低下傾向を勘案すると、生産・就労モデルや年金給付・社会福祉モデルの転換は不可欠になっていると言えよう。

 1、65才で‘老人扱い’は早過ぎる                                         (その1で掲載)

 2、定年年齢の弾力化―「働ける間は働ける社会」の構築 

 日本は、国家公務員を含め終身雇用制を採っているので、学卒後多くの人が定年になるまで同じ会社、組織に属し、人生で最も長く会社、組織の同僚や上司や部下と接して来ているので、定年退職するとその接点が無くなるばかりか、65才定年制により、65才以上になると再就職なども事実上阻まれる結果となる。日本は、多くの場合学卒優先であり、公務員でも27才前後を新規採用の年齢制限とし、65才を定年とし、そして65から74才までが「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」とするなど、年齢により国民を細分化、規定化し過ぎているように見える。それによるメリットもあろうが、年令により国民を一律に細分化し、年令グループにより就職や社会保障等において制度的な差別化を図り、自由を奪っている形となっている。

 特に国民に開かれていることが望ましい国家公務員や地方公務員について、新規採用年令を27才前後とする一方、独立行政法人など政府関係機関の役員への応募を原則65才以下とすることなどを閣議で決めていることは、国民の行政への参加の機会を年齢で阻むものであり、望ましくない。国家的なエージハラッスメントとは言わないまでも、年齢差別と言える。

 人の年令には身体能力や意識の面で個人差があり、65才以上を一律に「高齢者」として仕分けし、生産活動や就業から外すことは、多くの場合個々人の希望に沿わない。多くの人は“体が動く間、働ける間は働きたい”という気持ちではないだろうか。

 就労者2人、或いは将来は2人以下で「高齢者」1人を支えるような結果となる社会モデルは、就労者、特に若い世代に過大な負担を負わせる結果となり、社会的活力を失わせる。

 更に70才から74才までを「前期高齢者」、75才以上を「後期高齢者」と区分し、行政上医療費の自己負担比率を変えたり、自動車運転免許の取得、更新条件を変えたりしているが、能力、意識の上で個人差があるので余りにも一律で不必要な年齢規制と見られている。

 現在‘定年年齢’を65歳、或いは68歳とする企業、団体が多くなってきているが、‘定年年齢’自体を撤廃する一方、基本給(役職手当を除く)について、60歳以上の伸び率を抑え、65歳については段階的に3割~4割するなどにより、65歳以上になっても“働ける間は働ける社会”を構築して行くことが望ましい。

 3、定年年齢と切り離した年金制度             (その3に掲載)

 4、人口減を見据えた行財政モデルと統治機構の簡素化    (その4に掲載)

(2015.9.4.)(All Rights Reserved.)

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新学年の9月開始を推奨する

2016-06-22 | Weblog

新学年の9月開始を推奨する

 学校の新学年9月開始につき大学レベルでも検討されているが、小・中・高についても新学期の9月開始を早急に検討されるべきであろう。

 1、 学年途中の長期の夏季休暇は非効率で子供に負担

 1か月半前後の夏休み中に、多くの宿題、課題が課されているが、学習の継続性を保つためなどと思われ、旧来から行われている。しかし最近では宿題、課題の種類や量が多いため、「宿題代行業」が全国に普及している状況のようだ。このような状況では、学年途中での長期の休みによる学習中断の弊害は補い切れていないどころか、9月の学期初めに宿題、課題を学校に提出しなくてはならないので、夏休みの終盤は子供たちにプレッシャーやストレスを与えている。夏休み後の新学期を前にして子供の自殺が一番多いと言われているが、楽しく、自由に能力を伸ばせる夏休みが、悲劇の種ともなっているようだ。個人レベルで学習塾などを利用している生徒も多いようだが、それは夏季休暇が学年途中の学習中断になっているからに他ならない。

 9月に新学年開始とすれば、子供たちは夏の間は学校から課される宿題などから解放され、自由に能力を伸ばせるし、家族とゆっくりと過ごし、また新学年に向けてそれぞれの準備や新しい習い事なども始められるだろう。少なくても子供たちにプレッシャーやストレスを与えることは少なくなろう。他方、休みの間の生徒への指導や安全対策などは必要となろう。

 新学年開始を9月とすれば、日本の学校から海外の学校への転出、転入が円滑となるので、海外留学や外国人の日本への留学等も障害が少なくなり、日本からの海外留学、外国人の日本留学を促進し易くなろう。

 入試試験は7月中、下旬から8月に実施可能であり、また高校野球も維持できる。

 2、新卒者の就職活動と採用試験や予算編成などの時期の調整は可能

 新卒者の就職試験については、8月頃採用広報開始、翌年1月に選考(面接)開始とすることは可能であろう。

 また予算編成については、米国同様10月1日を新予算年度開始とすると、翌年度の政府予算につき各省庁の概算要求案の予算当局への提出を10月か11月までとし、翌年4月下旬までに政府原案の決定、4月下旬国会提出、5月の連休明けに国会での予算審議開始、9月下旬までに国会(8月は原則国会休会)での予算採択を軸に行政府と国会の間で調整、検討することは可能であろう。

 このスケジュールで行くと、国会の予算審議は1か月の夏季休会を挟んでほぼ3か月間取ることも可能となるので、十分な審議が出来るようになる。日本の場合、議院内閣制のため、指名された政権が予算の政府原案を作り国会での承認を求めるが、政府原案が修正されることはほとんどない。衆議院で採択されたものが参議院で否決されても、30日ルールで衆議院が優越することになり、両院協議会で修正協議されることもない。国家、国民の生活に大きな影響を与える予算であり、また有権者の4割前後は無党派層であるので、政府原案は政府原案として、国会での審議を通じ、或いは参議院で異なる要請を出した場合などには両院協議会を通じる衆・参両院の調整が行えるようにし、広く国民の関心が反映出来るようにすることが望まれる。そのために一元的に予算を検討できるよう、国会内に衆・参合同の予算管理局のような組織を設置する必要が出て来よう。

 10月1日が新会計年度となると、諸法令を修正しなくてはならず、行政事務当局や国会事務局の手間は掛かると予想されるが、決めればそれに従って対応する問題であろう。世界が更にグローバル化し、諸国間の交流もボーダーレスになって行くと共に、少子化の中で就労者の確保、学生の確保等の上で年長者や女性の就労機会の拡大と共に、外国人の人材や学生の受け入れがよりスムーズに行えるようにすることが望ましいので、9月新学年制が望ましい。今後環太平洋経済連携取り決め(TPP)が実現する場合にはなおさらのことであろう。(2015.9.8.)

(All Rights Reserved.)

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