ブログのサカナ

大好きな「読書」、美味しい食事。自由人です^^
何の為にこの地球に産まれて来たのですか。

AF Micro Nikkor 55mm F2.8

2024年11月16日 23時03分39秒 | 日記
ライカ社の35mmアポズミクロンSLの解像度が世界1だろうと言われているが。





AF Micro Nikkor 55mm F2.8という、1987-89に飲み製造されたレンズの解像度たるや。

開放でこれである。

等倍切り出しをしてみよう。

左上と観覧車中央部分である。





容量を食わせ過ぎるのもアレなので、70%の画質にしているけれども、4500万画素機でも十二分に解像していることが分かる。

さすが、漢字の異体字などをも接写する為に作られただけあって、現行のマイクロレンズを凌駕している事はあちこちで言われている。

問題は、AFが本体依存になる事ぐらいだろうか。

軽量なだけに、今では常時、鞄の中に入れて撮影している。

比叡山延暦寺〜初詣〜

2024年02月08日 14時24分11秒 | 日記
天候が悪く無い限りは、上がってるはず。

















三十番神。最澄上人が比叡山に最初に勧請して、日蓮が見たという。



山家学生式。現役時は全く知らなかった(汗)



星峯稲荷社。



文殊楼。比叡山の正門。





大講堂。本尊は大日如来。



戒壇院。本尊は釈迦如来。

1月はバスが走ってないので、自分の足で西塔に行く。

尤も普段は東塔〜横川はバス。横河〜峰道(みねみち)、峠道〜西塔もバスで、西塔から東塔までは歩きだけれどもね。



山王院。本尊は千手観世音菩薩。

ここで山門と寺門に100年後に割れちゃったから重要な場所であると。



浄土院。最澄上人の御廟(ごびょう)。常に最後にここでお参りする。

侍眞のお経をあげる声が実に素晴らしい。毎回、その声を聞くと、今回のお参りも良かったなと振り返ることが出来る。

出雲大社前へ。

2020年11月26日 23時59分11秒 | 日記
岡山駅。

何度も見掛けたが一度も乗っていなかったのだが。





松江駅ではトワイライト瑞風が。



宍道湖。観光案内を車掌がしてくれる。



出雲市着。











電鉄出雲市へ。











川跡で乗り換え。





出雲大社前に到着。











性能は高いコンデジだが、AF性能に関しては7年超の月日は如何ともし難い。





後で大社駅からだと大鳥居から参道へと繋がっている事を知る。

広島

2018年04月18日 13時00分00秒 | 日記
学生時代の最後に広島に行ったと、毎回思い出して楽しそうに話していた顔を思い出す。



そして本葬当日がやって来た。

切欠を作った父親はまさかの逃走。

母が来るな顔も見たくないと言ったに違いない。

そして自分にとって最強の猛者である叔父2人が居るから余計にだったんだろう。

今思えば緊急搬送されて病理解剖の間に葬儀社を決める時も弟に16回掛けても電話は繋がらなかった。

それでいいよ、寒いから室内に戻ってと遺志が働いたのかもとすら思える。

家から1人だけ歩いて坂を登り降り、更に登る。

弟と叔父2人と談笑する。笑いの絶えなかった暗いのが嫌いな母親なのはみんな知っている。

だから何も言わずともしんみりするのは無し。

本来なら30分後の所1時間後に安置された場所に向かう。

楽しい声を聴きたかったんだろうなと。

そして母自身が最もおくって欲しい4人に見守られてお別れの瞬間がやって来る。

頬を触ると冷たい。信じたく無くてそれまで髪の毛しか触れなかった。

花で周りを4人で。

遺影を持ち火葬場へ。

1時間20分ぐらいでと告げられる。

4人で喫茶室でご飯を食べ、コーヒーを飲む。

紅茶党から珈琲党へと変わったっけ。

叔父同士の会話をもう一度聞かせて上げたかったと。

そしてその瞬間がやって来る。

喪主様はこちらへ。

炉の確認をしてお骨拾い。

遺影を持って外へ。

眺めの良い景色が目に入り、景色のいい場所にお墓を建ててねと言ってた事を思い出し思わずこみ上げる。

涙雨も本当に朝には上がり、太陽の照っている青空が見えていた。

そして叔父達との別れ。

叔父達もこれ以上一緒に居るときついだろうと察していたに違いない。

その日の晩、弟と2人でもう一度号泣。

人生で最も悲しかった3日間は通り過ぎて行った。

顔を上げて。

永平寺口駅

2018年04月17日 15時50分53秒 | 日記
東古市駅と呼ばれた時代、ここで母たちと乗り換えて永平寺に向かった事を思い出す。



前日泊まった山中温泉の宿で岩牡蠣にあたって翌朝空腹だと思い、残ってたおにぎりを頬張ってリバース。

今思えば今年初頭の宮島で酢牡蠣にあたった時と同じケースがあったではないかと。

全て繋がってたんだなと。

この日は母の弟2人が到着。母が誇る最強の弟たち。

顔を見た瞬間に号泣するかと思ったけれども、不思議と安堵感いっぱいで笑顔。

物心付いてからずっと尊敬し続けている2人。

悲嘆に暮れている自分達を見越したかのような包む混む笑顔で掬われた気がした。

24年ぶりの再会。そんなに会ってなかったとは思えない。

これを説明するには血の繋がりとしか言いようがない。

出来ればもっと早くに2人を呼んで全てを解決しておけば良かった。

しかしまだ本葬が翌日に控えている。

夜は浜大津の中華料理店で酒を酌み交わす事に。

好きな物を食べなさい。還暦を過ぎてなおトップに立っている母の4歳下と8歳下の叔父たちに勧められる。

前日の味は覚えていないけれども、この日に初めて食べ物の味を感じた。

もう食べられないと言いつつ、もう一品と勧められる。

寒さと涙雨。しかし明日の朝には止むと叔父が言う。

恐らく口には出さないが叔父2人がそれに気付かないわけがない。

永平寺

2018年04月16日 11時14分00秒 | 日記


人生で最も辛い日になった。

今の人生でのほぼ折り返し地点で一緒に訪れた永平寺を写真に一枚だけ掲げた。

最後の苦しい数年間は色々と世話をして、こちらは全く嫌とも苦痛とも思わなかった。

せめての親孝行を出来たのかな。

最後の一番苦しい1年間、もっとやれた事もある、期待に応えれなくてごめんと号泣しながら帰り道を30分以上歩いていた。

月曜の深夜なのに次々とあり得ない数の他人が通り過ぎて、その度に涙が止まり、泣くな顔を上げろ前を向けと遣わせてくれたのかなと思った。

全くどうしようもない子だった自分を育ててくれてありがとう。

そして我が子の能力はもっと有る筈と厳しい言葉で諭して堪え性の無い性格を叱ってくれてありがとう。

最も偉大だった母へ。