自律神経には2つあります。
1つは交感神経で、もう1つは副交感神経です。
寝るときは休むことを促す神経である「副交感神経」が働きます。
食事をするとやはりこの「副交感神経」が働きます。
心臓の働きは穏やかになり、血圧は下がり、瞳孔は小さくなり、体全体が休みを促します。
■自律神経の働きから
宇宙の法則を考えるとき、
A.神様が人間の自由「意志」の代わりに与えてくれている「意思」(神経)と、
B.人間がその法則内で自由に使いながら生きる「意志」とがある、
ことを知っていると、真理の探究に役に立ちます。
◆本能はA.になり、自律神経もA.になります。
そしてこれらを時には凌駕する人間の自由意志というのは、人間が成長する段階で、神の意思を汲んで、神の意思と人間の意志が同調した選択ができる領域に近づいた、ということで与えられ、凌駕が許されています。
しかしそれはまだ学びの段階であり、無意識に「神の意思」を選択・同調できるという段階には達していません。
それで「人間の自由意志」を使うと混乱が生じる・・ たとえば病気になる、喧嘩をする、戦争を起こす、といった混乱を自ら招きいれ、反省の場を作り、カルマの生じる場を作り、学びの場を自らが作り出しているのです。
神は、そのようなことが起きるということは承知のうえで、人間に自由意志を与えました。神の意思と人間の自由意志がひとつになるまでこの試練は続きます。
病気から戦争まで、すべての混乱・不調和は、成長のための学びとして自らが導き出しているものです。
神は人を導く為に、人間の自由意志を、神の真意を凌駕する部分を多く作られたのです。
人類の99%はまだ、このことに気づいていません。
すべての混乱には原因があり、その原因は自分の外にあるのではなく、自分の内にあり、自由意志がその原因を混乱に自ら導くことで悟ろうとしている、ということに気づいていません。
そして原因を自分の内に観ず、すべてを人の所為にしたり、混乱の対処法を外(この話題で言えば薬や医師)に求めてしまいます。
繰り返しますが、私たちは宇宙の法則に則った法則を自分自身の生活に取り入れて生きることができます。それを先ず、思考とその理解の結果を自由意志で選択出来るようになることを学んでいます。
そして次に、無意識に神の意思を理解して、自分の意志として行動できるまでに成長する、というのが人間の神への道、成長への道なのです。
学びの過程にある私たちは、いつもこのことを忘れてはならないのです。
自律神経のほとんどは、人間の意志ではどうにもならない神経です。これは、神が人間への慈悲として、人間の自由意志を凌駕させるべきものとして与えてくれた恩恵です。
たから、自律神経には敬意を払い、耳を傾け、神の意思を尊重しなければなりません。
たとえ、
宇宙の法則を利用したり、逆らう場合でも、その法則の方程式の意味を理解して敢えて逆らう、
ということが必要かとなります。そしてその場合、動機が正しいことが大切となります。
それでないと結果として良い方向には進まないでしょう。
「夜食べると太る」という法則・摂理がある故に夜食べない、というのは、これを正しく理解していないことになりますし、
食後は眠いのに寝ないで無理して起きている、というのも同じです。
自律神経の働きを注意深く観ていると、世間で言うような常識がおかしいと思わざるを得ないことが多くあります。
・朝食はしっかりと食べないといけない、
・寝る前の数時間(世間一般には3時間から6時間が多い)は何も腹に入れてはいけない、
などというのも、そうです。
冒頭に書きましたように食後はこれから活動していこうというのための「交感神経」ではなくて、お休みのための「副交感神経」が働きます。
それとは逆に、朝目覚めてカーテンを開けると光が目に飛び込んできます。
この瞬間から体は「交感神経」が働きだします。
朝は「副交感神経」を抑える活動のときなのです。
朝は「副交感神経」を活発化させる食事そのものを摂ってはいけないときなのです。
予防医学の第一人者である小山内 博氏は長年、独自にある工場の勤労者の勤務を調査していて、食後1~2時間経った午後の2時ごろが最も事故が多いことを発見しました。これは自律神経の摂理と働きからみれば当たり前といえば当たり前のことです。
食後に事故を起こすのは「交感神経の活動が副交感神経の活動に負け」、眠気、ダルさが優先された結果ですが、肉体的により激しい労働だとか、運動をすると「交感神経の活動が副交感神経の活動に勝つ」という結果になります。
このように、 自律神経は人の意志を凌駕するものの、無視して働くだけではありません。人の意志に呼応して働きもするものです。
人の間違った判断が、自律神経間のスムーズな働きを妨げ、自律神経間の葛藤を生みます。
食後の運動や労働がそれを起こし、不調和呼びます。
交感神経と副交感神経は両方が共に良く活動するということはできず、片方が活動して緊張すると片方は緩むということになります。このとき、意識を集中してバリバリ働いたり運動したり、通勤で足早に歩いたり満員電車に揺られたりしていれば、当然、活動のための交感神経が副交感神経に優り、眠気はなくなる方向にすすみます。
そして胃にも腸にも血液が不足し、胃酸で胃は痛み、胃潰瘍、胃癌の原因をも作り出すのです。
(不調和は愛から離れたものです。愛は一体であり、調和です。不調和は分離と葛藤、戦いの結果です)。
夜は副交感神経が働くときで、体は休息を促しているのです。
そしてそれに呼応するかのように夕食はそれに拍車をかけるということです。
食後はすべて休まねばいけないのです。
1日の活動を終えた最後にたっぷりと食事をして、食後はゆっくりとくつろぎ、胃から腸に食べ物が運ばれ、しばらくしてから睡眠に入り、睡眠中は自律神経が次の日のエネルギーを蓄える作業に励む。そして明朝から前日に筋肉や肝臓、そして脂肪として蓄えたエネルギーを崩して活動源とする。 そんな生活が理想のように思います。
少なくとも、すべての肥満は解消へと向かい、生活習慣病(成人病)のほとんどは消えうせ、日本の医療費は今の1/10を下回ることでしょう。
朝食それ自体が、宇宙の摂理とは掛け離れた行動なのです。
また、朝食を抜くと太るというような間違った常識が蔓延っていて、学校教育から家庭まで「朝食はしっかり摂ろう」と、子供達に間違った食生活を押し付け、肥満児を世に送り出していますが、これも困ったものです。
本当は朝食を食べたほうが抜くより太るのです。
最新の画像[もっと見る]
- モーガン節炸裂 9時間前
- アメリカの黄金期が始まる 14時間前
- アメリカの黄金期が始まる 14時間前
- 明日の無事を祈っています 2日前
- 免疫が崩壊した人類 5日前
- 他人事,無関心,いつまで? 7日前
- 他人事,無関心,いつまで? 7日前
- 山火事ではなかった?LA 2週間前
- やっぱり怪しいLAの火事 2週間前
- 怪しいLAの山火事 2週間前
自律神経の話が、神の意思と自由意志につながっていくあたりが、とても面白く読ませていただきました。
>すべての混乱には原因があり、その原因は自分の外にあるのではなく、自分の内にあり、自由意志がその原因を混乱に自ら導くことで悟ろうとしている、ということに気づいていません。
そして原因を自分の中に観ず、すべてを人の所為にしたり、混乱の対処法を外に求めてしまいます。
>私たちは宇宙の法則に則った法則を自分自身の生活に取り入れて生きることができます。それを先ず、思考と理解の結果としての自由意志で選択出来るようになることを学んでいます。
そして次に、無意識に神の意思を理解して、自分の意志として行動できるまでに成長する、というのが人間の神への道、成長への道なのです。
このあたりがとてもいいなぁと思いました。
自分に混乱を見るとき、その人となりが一番よく表れますね。
自分がどういった周波数なのか、正直です。そこをきちんと冷静に見られるようになっていきたいものです。
それから、神の意思は自分の外に在るのではなく、自分自身だということにも、気がついていきたいものです。
すべては自分の内側にあって、自分の内側のできごとだと。
それなので、自分の中の混乱を見ることは、膨大な地球上の問題をどうにかすること以上に、ひっ迫している大切なことだと思うのです。
ありがとうございました。
たかだが食事のことで宇宙の法則だ何だとは大げさな!
という人も多くいるかもしれませんが、ここでは判断力ということをひとつのテーマとしたつもりです。
生き方の観念でも、概念でも、そして食生活でも、常識から答えを割り出すのではなく、神が置いていってくれている自然の法則、真実から真理を紐解くという判断力は何にもまして大切なことだと思います。
対象が政治であれなんであれ、真理を見つける手法は同じものだと思います。
医者であれ、評論家であれ、政治家であれ、「先生」と呼ばれている人たちの多くも、間違った常識をそのまま知識として教えられ、それを何の疑いもなく信じて次世代に受け継いでいくことが多いものです。
神の意思と本能、人間の自由意志などについては今後も続けて書いていきます。よかったら時々チェックしてみてください。
>神の意思は自分の外に在るのではなく、自分自身だということにも、気がついていきたいものです。
すべては自分の内側にあって、自分の内側のできごとだと。
仰るとおりだと思います。
でも、これができるのは宗教を持たない日本人ぐらいで、宗教を持つ諸外国の人たちはこれができないんですね。だからこそ、日本人の役割は重大なのだと思います。
日本のことも書いていかないとね・・・。
いつもありがとうございます。
>でも、これができるのは宗教を持たない日本人ぐらいで、宗教を持つ諸外国の人たちはこれができないんですね。だからこそ、日本人の役割は重大なのだと思います。
これを読んで、日本人の役割についてもっと知りたいと思いました。
いろいろな場面で、日本人の役割は重要だと聞きます。
わたしも感覚として、日本人の役割は重要と思ってはいるものの、裏付けとなるものがあるわけではないです。
とびらさんはどのように考えていらしゃっるのですか。
>これを読んで、日本人の役割についてもっと知りたいと思いました。
これまでも日本についてはそれなりに書いてはきました。まだお読みでなければサイドのバーにあるCategory(カテゴリー欄)の「日本のこと」をクリックしてみてください。
私も日本の使命については20年ぐらい考え続けていますが、まだまだ分らないことだらけですね。
考えて、考えて、考えて・・少しづつ、少しづつ・・謎が解け始めてきたというのがほんとのところです。
ひとつひとつの気付きを観てみると、とても繊細なことが多くて・・・
>裏付けとなるものがあるわけではないです。
だから裏づけとかいう問題ではないようですね。
実際に神様は簡単にそれが分るようには裏づけとしては作ってこなかったようです。
それでも書いて良いと思えることは今後機会があれば書いてみるつもりですが、想像でいい加減なことは書けませんので、慎重になってしまいます。
いずれにしてもこれはとても大切なことで、大切なことは常に「求めよ!さらば与えられん」の世界のことですよ。
映画マトリックスのネオの使命と同じで、大切なことは自分で思い出すことが必要です。
映画では預言者も真実を教えませんでした。
あの映画では救世主としての使命はネオだけでしたが、日本では一人ひとりが自分の救世主となることが望まれ、それを一人ひとり思い出さないと日本全体としての使命もまっとうできないように出来ているようです。
そういう意味では今後、それを思い出すための大変な試練が、日本人に与えられているということになります。
私もこれらについて「書く」というコミットだけはしておきます。
おごることなく、あおられることなく、自分自身を知る必要があるように思います。
無知にさせられてしまったところがあるとしたら、それも自分の責任でしょう。
とびらさんもおっしゃってるように。知ろうとすれば、答えは来るのですから。
>日本では一人ひとりが自分の救世主となることが望まれ、それを一人ひとり思い出さないと日本全体としての使命もまっとうできないように出来ているようです。
自分で思い出すことが、最善のようですね。
思い出す人がだんだん増えてきてるように感じます。
安定したある意味平和な日本だから、それができるのでしょうね。
大変な試練が、無いように願いますが。
それはやはり、「自分がどのくらい本物の愛する力を取りもどすか。」にかかっているのだと思います。
遠回りのように見えますが、実は一番貢献するのではないかと思っております。
人の思いが現実を創っていくのですから。
とびらさんとのやりとりで、いろいろ思う事があり、楽しく拝見しておりました。
それでもしよろしかったら、相互リンクさせていただけませんか。
とびらさんのブログを紹介したいと思いました。
今日のわたしのブログにも関連の記事を書かせていただいております。
どうぞよろしくお願いします。
で、今、会社からコメントしています。
>相互リンクさせていただけませんか。
とびらさんのブログを紹介したいと思いました。
どうぞどうぞ、リンクはフリーですのでよろしくお願いしますね。
では、取り急ぎご返事まで。。。
自律神経のお話、興味深く読ませていただきました。自律神経をどうコントロールしてゆくかが心の平穏と密接に繋がっているので、サイコセラピーでも重要視している部分です。
ところでブログ名を「キョーコの気まぐれ日記」から「ヒーリングソウル」に変更しました。ブログを始めた当初はHPのエッセイのかわりということであまり深く考えていなかったんですが、やはり内容をイメージできるネーミングは大事だなと考えまして。心境の変化もあって、このさい思いきって変更することにしました。
暮れのお忙しい中、ご迷惑をおかけしますが、お時間のあるときにでも変更くださると嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
ブログ名ですが、やはりタイトルは大事ですね。
会社名でも何でも、自己満足に自分の思いを形にする場合は多いですが、これらはやはり人に訴えかけるものですから人に分かりやすい名前とか、イメージが全体をあらわすものがいいですね。
ブログのタイトルも、その内容に結びつくものがいいと思いますし、その意味では「ヒーリングソウル」は正解だと思いますよ。
しかしタイトルって難しいですね。
土日は仕事を持ち込んでDMの内容を考えようとしていたのですが、出だしから全然まとまらず、とうとう今日の昼までかかってしまいました。
人に思いを伝えるコミュニケーションについては毎日が学びですね。