真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

この瞬間 という悟り

2012年11月06日 21時35分59秒 | 無思考の時代へ

昨日の記事で、ちょっと説明を加えます。

a. あなたは世の中の流れを自分の思う方向に引っ張ろうとはしていませんか?
b. あなたは行動を起こす時、必ず目標を立てていませんか?
c. あなたは常に自分の使命は何かと考えていませんか?


ということに関してです。
このことが割と道を間違えること、について余りにも唐突で現実離れしていると思われてしまわれそうで、少し説明します。

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「優良星界の暮らし」 という霊界通信がありますが、その中の一説に、彼らは一定の仕事を持たないとあります。


絵は正垣有紀さん

「彼らには終生の専門なく また終生の職の定めもなく」 とあります。

地球はユートピアではありませんのでそれを実現できませんし、多くの人がチンプンカンプンかも知れません。
少なくとも一般の人はまったくチンプンカンプンでしょう。
ユートピアとはそれほどにその日暮らしで(今を生きていて)、純粋な自由意思があるという、今の地球から見たら考えられないほどの別世界だということです。

専門や職がないという点では動物たちの世界はまさにそうですね。



ただ自由意思と思考能力のない動物たちは本能で行動しますが、人間は全体意識と繋がった自由意思で行動します。
「終生の専門なく」ということはその時その時で役割は生じていて日々本当の自分と成って仕事をしているということでしょう。

また、
「其の星、優良星となりて幾千年も経たれば、既に読書、記憶の必要性殆どなきなり」とあります。

読書しないということは学ぶべきことはすべて自分の中から取りだしているということです。
記憶しないということも必要な情報は全体意識と繋がってそこから湧いてくるので必要なく、思考もしないということなのです。
今の地球では「人間は考える葦」であり、思考は不可欠です。そこを混合しないでください。
地球人は思考と無思考のコラボレーションをしていて、思考中心でしか生きられません。
ユートピアに行くにしたがって、その割合が逆転します。

今を生きていて過去も振り返らず、未来も見ないということです。
目標も持たなければ、何々として何々をしなければいけないという使命感もないのです。

思考しないということは「エゴ」がないということです。
エゴは本当の自分である全体意識に入り込むことはできません。
なぜならばエゴは思考の中にあり、全体意識とは無思考の今の瞬間だからです。
過去も未来もないのです。時間がないのです。

逆に思考には今はなく、今そこに居る振りをしているだけなのです。
過去の後悔や恨み羨みに繋がり、未来の心配心と繋がります。
エゴがそうさせているのです。エゴは今この瞬間に住めないからです。

幻想であるエゴは常に思考空間という幻想の中にしか入り込むことはできません。
幻想であるエゴは無思考空間である「今」とは繋がりません。
思考は幻想で全体意識は実在です。

今ということをほとんどの人は時間で考えているかもしれませんが、今には時間がないのです。
今は「存在」なのです。全体意識の永遠のことなのです。
今を時間で考えると、時間は流れていますから結局、今を感じることは出来ないのです。
時間という観念自体が過去と未来しかないのです。
これは多くの人が誤解している「今」です。

心という媒体は無思考という実在と思考という幻想と繋がりますが、心を洗うことによって常に全体意識と繋がるようになるのです。

エゴは思考に住んでいるものでした。
御法度という怒りや恨みや嫉みや心配心は五感を入り口として思考(エゴ)と繋がって湧くものです。
ですから無思考にポジションを移せばエゴと繋がらずに済むし、御法度を出さなくて済むのです。
自分を捨てた瞬間で、すべてを超越した瞬間です。
そして今この瞬間を生きるようになるのです。

こう書いていると思考することがいけないように言っているように取られるかも知れませんが、思考と無思考のバランスの問題なのです。
思考だけだと病気になります。無思考だけでも抜け殻です。
それでは動物と同じです(ただし動物の無思考は人間の全体意識とは別)。

私たち人間は思考の中に無思考の瞬間を作って生きています。
これが「悟り」の瞬間なのです。
悟りは決して特別な神秘体験ではないのです。
思考にリードされる生き方ではなくて全体意識という無思考にリードされる生き方が悟った生き方です。
そういう意味ではスピリチャルに興味を持って、宇宙の法則に常に意識を置いている人は本当は誰もが既に悟っていると言えるかも知れません。程度の問題です。

少なくとも「あっ!そうか」という経験があり、そこに形而上としての宇宙の存在、初期の段階では神の存在を信じられるようになったと感じられる人は悟りの第一次段階にいると言えるでしょう。
より悟るためには、より思考を短いものにして無意識の全体意識とより接することです。
それには先ず、無意識を意識することです。

私の場合には全体意識を意識して、そこに繋がりやすくなっているという段階です。
ですからそれ以上の悟りの境地の描写は経験しているのではなくて、全体意識から湧いてきた情報ということになります。
だから余り偉そうなことは言えませんが、確実に言えることは思考の中にこの無思考という全体意識と繋がる瞬間をいかに増やせるかが、更なる悟りへと成長することになるのです。

読者の中には「優良星界の暮らし」という霊界通信を胡散臭く思われている方も居られるかもしれませんが、宇宙の法則が解けるほどに、この詩は本当に真実の偉大な詩だと分かってくるのです。


アビスコ国立公園のオーロラ

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