骨董屋兼雑貨屋をやりたいと思っていた。
しかし、田舎であることや、とりわけコロナ禍と、その及ぼす生活様式の引きこもり化、さらに円安、戦争による不況の長期化と深刻化により、あっさり放棄。
おまけに、失業してしまい、代わりに掃除と片付けをすることになった。
秋や冬、つまり、高温多湿の夏が終われば、片付けの季節。
扶養家族もない自分なので、この物とごみ屋敷をマイペースで片付けよう。
業者にお願いしたら、すごい金額になるだろう。
まず、今日は、車の中の物とごみを半分ほど部屋に持ち帰り、部屋の中が洪水化。
キッチンへの通路が塞がれた。
せっかく最近、キッチンに入れるようになったのに残念だ。
まあ、キッチンも車のごみも、まず居間に集まってくるので、居間は結構洪水状態。
パキスタンの洪水の原因が、氷河湖の決壊にあるのと同じ原理。
今日は車の中から清朝光緒帝時代のよい小壺を見つけた。
もちろん、私には中国美術というものはわからないが。
ついでに、私には、骨董というものが、ほとんどすべてわからなくなった。
わかっているものは、思い出のなかにあるもの数点。
ここ数年では、鍋島焼の鉢一点。
これは、佐賀人である自分の感性の源流として大切にしている。
『葉隠』の世界だ。
こうして、20年近くにおよぶ骨董の旅も終了した。
後は、来年度仕事ないかな、家賃と固定費稼ぎたい。
あと、なにか語りたい。
骨董も思い切って、いくらか処分した。
元々、骨董への出費は、家族のない一人暮らしは、宴会でも話がないから、子供一人分の養育費と思って集めていた。
途中、骨董屋が老齢で死んでしまうなどのことなどがあったが、よく続いた。
また、気づいてみると、世の中は、超少子化社会になっており、さらにコロナ禍で、養育や、また進学したら大学院時代で、大変だ。
さらに、英語など、リスニング、スピーキングテストで、相当経済力のある家庭でないと、まず出発点にすら立てない。
しかも、今の日本社会、社会人になったら、ほんとに競争社会、孤独にさらされる。
私は、一応60歳で定年退職、それから、理由があって失業中なのだが。
それにしても、物とごみが多い。
もし、失業していなければ、大変なことに確実になっていたろう。
これからは、次の日。
車の中の整理を続けたら、さらにごみが大量で、居間がさらに洪水状態に。
しかし、今日は、朝から糖尿病治療で病院に行き2時間も待った。
台風の影響を受けやすい九州だから、雨も降った。
今回の台風が、北上してきている。
私の実家は大丈夫だろうか。
などと、くだくだ書いてきたが、どうも解決つかずのことがある。
それは、大阪で起きた生命保険及び遺産合計2億5000万の詐欺事件のことだ。養子縁組届けとか、どうも容疑者は偽造したらしい。
国民の注目を集めたこの殺人事件は、しかし、容疑者が拘置所で自殺したことで、法の裁きを受けることがなくなった。
大学ではアメフトとかやってきた容疑者は、いったい高額な教育費を使ってなにを学んできたのか。
都心の高級マンションに住み、ランボルギーニを購入するとか、漫画レベルの思考の持ち主だからこそ、反省し、もっと底深い世界に辿り着いてもらわないと、被害者も浮かばれない。
私は私で、古伊万里を、つうじてなにか、
底深いものを感じている。
もちろん、大半の陶磁器は、修理したものであるが。
ただ、もっと底深いものを、いつも感じる。
トレンドドラマは、上流階級に皆が参加できるように思わせる。
しかし、今は階級社会、階層の循環は、ほぼ止まってしまった。
循環の動力である進学は、コロナ禍、円安による物価高騰、などによる不況で、経済的困難が立ち塞がる。
しかも、こんな時に、英語では紙で出来るゆえに経済力に左右されにくいライティングから、
都市部、経済力に左右されやすいリスニング、スピーキングに。
残された道は、デカルトの「我思うゆえに我在り」のように、哲学的道しかないのか。
今の子供は、安定した未来像を描くことができないのではないか。
そういう私は、若い時間を東北で過ごせて幸せだったと思う。
私は現在も一人。
ハムスターと毎日を過ごしている。