最近、ろくなことがない。
ウクライナ、自動車会社、そうして温暖化。
仕事以外のことで気を晴らすべく、しかし気温の温暖化というか、最近の言葉では、沸騰化で外出もできない。
さっき、失恋の悲しい詩をブログで読んだ。
仙台の彼氏らしい。
子供の恋と違って、大人になっての恋は、将来が直接かかるから悲しい。
少子化で子供が減ると、幸福も減るが、不幸も減る。
こういう時は、がまんをするしかない。
むろん仕事でがまんをする必要ではない。
人類、日本を取り巻いている状況にである。
熱帯化のなかで、われわれにできることはなにか。
それは、知のがまんである。
熱は、われわれに、がまん耐性を壊す。
それに対抗するに、われわれは知のバリケードをつくらないといけない。
なんらかの形で、知のバリケードとしてのがまんを形成しなければならない。
日本人は、かつて、会社のために、がまんをした。
しかし、今は、自分のためにがまんをしなければならない。
それは、組織からの評価のない、自分による絶対評価としての我慢だ。
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