神が何らかの利益を得ようとすることはありません。
神は人間を創造(つく)り、今この世に存在している、ありとあらゆるものを人間に与えたのですから…
自分が与えたものを、必要とするわけがありません。
ただ、その神を利用して、利益を得ようとする人間はいるかもしれませんね。
でも、そんな人間がいるからといって、神を否定するのはお門(かど)違いではありませんか?
神は人間というものを創造(つく)り、その人間が幸福に暮らす姿をみて、共に楽しもうと思われたといっています。
私たちも親になり、その立場になって、はじめてわかることもあります。
人生をある程度歩んだ人にとって、幼子(おさなご)の無邪気さが、どんなに人の心を癒(いや)すか説明はいらないでしょう。
子供の一心(いっしん)に遊ぶ姿は、どんなに社会で嫌なことがあっても、それを帳消(ちょうけ)しにする喜びを人に与えてくれます。
そのことは神も同じであるはです。
神が人間を創造した動機がそうであるとおっしゃっています。