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時の関守

これからを生きるきみへ (3)

たましいの危機を、あなたに救ってもらった私は、あなたに感謝しても感謝しきれない恩があります。
それをつぎの人(きみ)に、つなげていくことが私の役目なのかもしれません。

私は若いときから、霊的なものが好きで、勉強してきましたが、若いときには、それはとても難しいものだったと思います。
まず、肝心の自分の心が、自分の心なのに自由になりません。若いときは、功名心や欲を手放すことなんかできませんので、最初の一歩でつまずいているのですから、問題にもなりません。

神なんて、さらにわかりません。この現代で、神という言葉がでた瞬間に、人は去っていきます。
まぁ、自分が半信半疑なのですから、人がそのことをばかにしても、どっちもどっちでしょう。

信仰とは人を自由にするはずなのに、まったく自由にもなりません。
むしろ、不自由なことが増えてきさえするように思ってしまいました。

でも、現代とは不思議な時代だとつくづく思います。
スピリチュアルの台頭です。
私の人生の前半は、霊的伝統のなかで、自分の我と理想のはざまで苦悶していました。
また、理想とは裏腹の矛盾(むじゅん)も多く見てきましたので、なかなか答えがどこにあるやら、闇夜のような時代です。
その点、スピリチュアルには隠し事がなく、明快かもしれませんね。
伝統には矛盾があるけど、実行力はあります。
スピリチュアルには矛盾はありませんが、実行力に欠けるかもしれません。

でも、わたしのようなものにとっては、なんの隠し事のないスピリチュアルは明快です。
疑問がすべて払拭(ふっしょく)されました。
もともと、わたしは次のように言っていました。
「神にどんな疑問でも、ぶつけてください。もし、こんな疑問をぶつけたら神が困るかもしれないとかんがえるのであれば、神を侮辱(ぶじょく)することになってしまうでしょ。」
神であれば、どんなこと(難問)にも答えてくれるはずなのですから。

神に秘密などなかったことが、スピリチュアルによってわかったことの、その重大さは、一般のかたには想像もつかないかもしれませんね。(ちょっとえらそうかもしれませんが…)
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