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時の関守

たましいの力 (2)

最近ブログでずっと、霊(みたま)の働きについて、書いていました。
私の体験から、どう霊が働くのか書いたのですが、それは、私がつねづね書いているたましいと、ほぼ同じ意味です。

人間の本質は霊(れい)ですが、ただ私は、たましいというものをどう考えているかというと…
人間が創造(つく)られたとき、神とともに、神と一心同体となって、創造に参画(さんかく)したのがたましいなのだと思っております。

また、何億というたましいも、人間の本性として、また原因として、この創造に加わっておりますから、同じく創造という瞬間に立ち合っています。
神話では、そう語られているのです。

人間創造という奇跡の瞬間に、神ととき(瞬間)を同じくしたのがたましいなのです。
ですから、たましいとは、人間からすれば、ほぼ神と同様(どうよう)なのでしょう。
もちろん、そのたましいはどこにあるのですかと、人は聞きますが…

私はたましいとは、命そのものだと思っております。
人間に命がなければ、残った身体(からだ)がどんなにいとおしくても、腐っていくしかないのです。
そうであれば、人間とは、命であり、たましいそのものであると思います。

では、私たちはたましいというものを、どんなとき、感じることができるのでしょうか。
たましいは、私たちの人生に、とても強い意志をもって関わってきます。
私たちがどんなに我を主張しても、無駄(むだ)です。

どんなことをしても、私たちの人生を、大きく変えようと割り込んでくるものの正体(しょうたい)こそ、たましいなのですから。
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