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時の関守

この世という未知なる世界 (1)

私がこのブログを書き始めたとき、二つのことを書きたいと思っておりました。
一つは、神のお心を伝えるということ。
もうひとつは、宗教の悪いイメージがあれば、
(信仰している立場のものとして)修正できるところは修正し、
誤解がもしあれば、その誤解を解きたいと思っておりました。

なぜなら、
神と出会うことが、
私たちがこの世で生きていくうえでの、
大きな目的の一つであると、
最近考えるようになったからです。

そのための第一歩は
神の心を知る、それに触れるということだと思います。
また、私たちが神と出会うための、
一つの手段として、
宗教があると思うのですが、
現代においてはそれが、
神と出会ううえでの、
逆に、障害になってしまっていることもあるかと思います。
そういうことがもしあるとすれば、
その誤解をときたいと願っています。

人生という私たちの物語のなかで、
私たちは、さまざまな物語を演じています。
そして、実はその底流には、神との出会いと別れがあるのだと思います。

熱心に、ある信仰をしている人がいました。
ある時、その人のまえに、その宗教の教祖があらわれました。その人は、とても喜んだと思います。
周囲の人にも話して、
それを聞いた人も、
「あなたが熱心に信仰したおかげですよ。」
とほめたかもしれません。

ところが、ある時から、
その人のまえに、もう、
その教祖があらわれることはありませんでした。




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