一つは、神のお心を伝えるということ。
もうひとつは、宗教の悪いイメージがあれば、
(信仰している立場のものとして)修正できるところは修正し、
誤解がもしあれば、その誤解を解きたいと思っておりました。
なぜなら、
神と出会うことが、
私たちがこの世で生きていくうえでの、
大きな目的の一つであると、
最近考えるようになったからです。
そのための第一歩は、
神の心を知る、それに触れるということだと思います。
また、私たちが神と出会うための、
一つの手段として、
宗教があると思うのですが、
現代においてはそれが、
神と出会ううえでの、
逆に、障害になってしまっていることもあるかと思います。
そういうことがもしあるとすれば、
その誤解をときたいと願っています。
人生という私たちの物語のなかで、
私たちは、さまざまな物語を演じています。
そして、実はその底流には、神との出会いと別れがあるのだと思います。
熱心に、ある信仰をしている人がいました。
ある時、その人のまえに、その宗教の教祖があらわれました。その人は、とても喜んだと思います。
周囲の人にも話して、
それを聞いた人も、
「あなたが熱心に信仰したおかげですよ。」
とほめたかもしれません。
ところが、ある時から、
その人のまえに、もう、
その教祖があらわれることはありませんでした。