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時の関守

宗教 (5)

にんげんの本質がたましいであるなら、人間の目に映る全(すべ)てのもの。
人間の姿、形を含め、所有するもの、富、財産全ては、天から預(あず)かっている仮のものなのだ。

そのことを知らないから、身分に上下があると信じたり、富を独占してもよいと考えてしまう。
家族以外は他人なのだと思ってしまう
人間の本当の姿が、実はたましいという存在であること。
そして、すべてが明らかになったとき、むかし、すべてのたましいが、同じとき、同じ場所で心一つとなって、人間創造という大事業をなしとげたこと。
そのことに気づくはずです。
そして、そこには、当然のことですが神もいたはずです…

それらのことを、
天は人間に伝えようとされたのかもしれません。
それらのことを、
疑い深い人間に納得させるために。
そのことを正確に、まちがいなく伝えることのできる器(うつわ)が。
この地上に現れるのを神はずっと、待っていたはずです。
もちろん、神の望む人材がそうそう現れるはずもありません。しかし、神の望む器、人間がとうとう現れることになります。

そして、選ばれた器たちも、その能力を最大限にふりしぼって、尽くしたのでしょう。
もちろん、よく伝わって大きな働きをしたものもあったはずです。
それが、とても大切なことであることに気づき、それを残そうとした人々によって、それは宗教という形になりました。
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