ある時、話のなかで、「わたし、0歳の記憶があるんです。」と聞かせていただきました。
赤ん坊である自分が、母親に抱かれながら、「この親と、しょうもない人生をおくるんだなぁ」と思ったそうです。
「この話し、今まで誰かにしたの?」と聞くと、
「こんな話し、誰も信じてくれません」とのこと。
「僕だったら信じるけどなぁ」
「4~6歳ぐらいの子供に、お母さんのお腹のなかにいたときのことを聞くと、4割ぐらいの子供が、お腹のなかの記憶を話してくれる、という調査資料もあるんだよ。」
「赤ん坊で親に抱かれていたということは、産まれてまだ何ヵ月かの赤ん坊だよね。」
「そんな赤ん坊が、とても自分の人生を見通すことなんてできないはずだから、そんなことを思ったのはもう一人の自分じゃない?」
「わかりません」とのこと。
私のなかにも、1歳前後の記憶があります。
多くの大人たちが、私のヨチヨチ歩きを手をたたいて喜んでいます。
しかし、一瞬、ちょっとよろめいた私は、後ろにあった熱湯の鍋の中に、背中から入ってしまいました。
そんな記憶が、今でもありありとよみがえってきます。
私たちのあらゆることを、今までもずっと、これからもずっと、見守っている存在がある。
もう一人の自分かもしれない、もっと別の存在かもしれない。
そのことに彼女が気づいて、心の傷を癒してほしい、そう祈るばかりです。