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時の関守

0歳の記憶

子供の頃虐待を受け、今も後遺症に苦しんでいるかたが、すこしの間、住むこととなりました。

ある時、話のなかで、「わたし、0歳の記憶があるんです。」と聞かせていただきました。
赤ん坊である自分が、母親に抱かれながら、「この親と、しょうもない人生をおくるんだなぁ」と思ったそうです。

「この話し、今まで誰かにしたの?」と聞くと、
「こんな話し、誰も信じてくれません」とのこと。
「僕だったら信じるけどなぁ」
「4~6歳ぐらいの子供に、お母さんのお腹のなかにいたときのことを聞くと、4割ぐらいの子供が、お腹のなかの記憶を話してくれる、という調査資料もあるんだよ。

「赤ん坊で親に抱かれていたということは、産まれてまだ何ヵ月かの赤ん坊だよね。」
「そんな赤ん坊が、とても自分の人生を見通すことなんてできないはずだから、そんなことを思ったのはもう一人の自分じゃない?」
「わかりません」とのこと。

私のなかにも、1歳前後の記憶があります。
多くの大人たちが、私のヨチヨチ歩きを手をたたいて喜んでいます。
しかし、一瞬、ちょっとよろめいた私は、後ろにあった熱湯の鍋の中に、背中から入ってしまいました。
そんな記憶が、今でもありありとよみがえってきます。

私たちのあらゆることを、今までもずっと、これからもずっと、見守っている存在がある。
もう一人の自分かもしれない、もっと別の存在かもしれない。
そのことに彼女が気づいて、心の傷を癒してほしい、そう祈るばかりです。



コメント一覧

しんた
それと似た話なのですが、ぼくの姪がまだ幼かった頃、窓の外を歩いている中学年を見て、「私が英語の先生だった頃、あの人は教え子だった」と言ったことがあります。
その頃、平田篤胤の生まれ変わりの話を読んでいたので、この子も生まれ変わりなのかと思ったものでした。

ブログ、期待しています。
tokinosekimori-kitaiwahara
臨死体験した人が、誰がいてどんな話しをしていたかを覚えていたというような話しは多いですね。
でも、生まれたときの場面を覚えているというのは珍しい気がします。
知り合いの旦那さんが亡くなった後に、生まれた孫がいたのですが、ある時、その孫を連れて、自分たちが昔住んでいた家に行ったそうです。
昔住んでいた家が、まだあったそうなのですが、その時、まだ4~5歳ぐらいの孫が、「なつかしいなぁ」と呟いたそうです。
少し経ってからまた聞いたら、呟いたことは覚えていませんでした。
ブログにも書きましたが、私たちはよく考えると、とても不思議な世界に住んでいて、その通路になるのが心かもしれませんね。
いつか、ブログでそこらへん書いてみたいなぁと思います。
しんた
以前勤めていた会社のパートさんの娘(高校生)が、生まれた時に病室にいた人を覚えていたそうです。
パートさんは信じてなかったようですが、ぼくはその記憶力を羨ましく思っていました。
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