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時の関守

これからを生きるあなたへ (2)

あなた(私の妻)が、私のたましいの危機を救ってくれたということを、あなたは知らない。
ちょっと、おおげさな言い方なので、恥ずかしいですね。
これからも、きっと言わないのだと思います。

このことだけでも、あなたは私にとって、とても価値のある存在なのですが、もう一つ、すぐれたものがあるのです。
あなたの霊的資質がすぐれていることがわかったのは、結婚して数年がたってからのことです。
この社会的には、何の価値もない、逆にそんなものは、うさんくさがられて、ばかにされそうなものが。
わたしにとっては、とても価値のある、ごみ山のなかにある、ダイヤモンドのようなものなのです。

あなた自身は、人付き合いが苦手で、ちょっと保守的で、あまり融通がききません。
あなたは、私のことを頑固(がんこ)で融通がきかないと言いますが、あなたこそ、私にわをかけて融通がきかないですよ。
でも、あなたはもう少しで還暦になるのに、まるで幼子(おさなご)のようで…
これは、ばかにしてるのではありません。
むしろ私にとって、最上級のほめ言葉なのです。
霊的伝統がなぜ、幼子をあんなにもほめたたえるのか、少々疑問でした。
でも、あなたを見ていて、やっとわかりました。

この前、あなたはある施設の手伝いに、泊まり掛けで出掛けました。
体力に自信のないあなたは、少々不安があったようですが、とてもうれしそうにして、帰ってきました。
「いっしょにお手伝いをしていたかたが、とても波長が合って、休憩や寝るときもずっと話してたのよ。」
人見知りのはげしいあなたにしては、珍しいことです。
あの方は、(わたしも少し知ってはいましたが)ほんとうにやさしそうで(ほんわかしていて)、心のきれいな人なんだなぁと、あらためて思いました。

ある人が、ある先生に、こう聞きました。
「神さまはどこにあるのですか?」
すると、その先生は、まず、自分のまだ幼い子供に、ここに来るように言います。
そして、このように言います。「そこの庭にある、庭石を動かしなさい。」と。
子供は素直に、親のいう通りに、一生懸命に石を動かそうとするのですが、もちろん庭石はびくともしません。
先生に「神さまはどこに?」などと、聞いたかたはそれを見て、申し訳なく思ったのでしょう。
とうとう、自分も庭に出て行って、子供の手助けをしようとします。
それをじっと見ていた先生は、そこで「それが神だよ。」と言ったといいます。
とんちのような、禅問答のようですが、とてもわかりやすい、簡単なことだと思います。
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