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時の関守

輪廻転生 (3)

実は、子供が生まれるとき、
簡単ではありませんでした。
前回のときは、
胎盤剥離(たいばんはくり)で、
この世に生をうけることもかないませんでしたが、
今度は、早産になりかけ、
とても危険な状況(五分五分ですよ、と医者から言われました)のなかで、
新しい命の誕生に出会うこととなりました。

「男の子ですよ。」
と聞いたとき、
私は正直、耳をうたがいました。
私は、なぜか、
心のなかで女の子だとばかり思っていたからです。

すると、わたしの中で、
驚きの次に、歓喜の念がわいてきました。
もちろん男の子だからではありません。
そうではなく、
男の子ということは、
前回会えなかった、
(亡くなった子の)たましいが、
また、
私たちのところに会いにきてくれたんだ、
と直感したからにほかなりません。

こんなことは、誰にも話してないのですが、
このことは、私のひそかな喜びとなりました。
ちょっと、現実ばなれしているな、と思うかたもおられると思いますが、
当時の私にとって、輪廻転生(りんねてんしょう)はそれほど自然で、
たましいというのも、
(まだまだ模索中でしたが)とても身近(みじか)なものでした。

なぜ輪廻転生するのかについて、それがどのようにして展開されるのか、
とても、参考になる話しがあります。
「前世を記憶する日本の子どもたち」(池川明)という本に書かれていた内容です。

なぜ輪廻転生するのか?
退行催眠などで、前生のことを思い出した人の意見です。
「限られた人生の中で、感情を味わうという体験がしたくて、
魂は人間になりたいと願い、
生まれてくるのだと思います。
輪廻転生する理由は、
(なにか、霊的な法則があるからではなく)
たましいが、そう願ったからだといっています。

そして、
「魂は、肉体という限りあるものの中に入り、
遊びたかったのではないでしょうか。
遊ぶとは感情を体験するということです。」
と述べています。
私たちがこの世に生きることの目的は、
「遊ぶこと」

遊ぶということは、
肉体という制限、ルールがあって、はじめて遊ぶことができます。
(だって、遊びには必ず、ルールというものがありますよね。)
そして、
遊ぶということは感情を味わうことなのだといっています。
この世は遊びというには、
とても困難にみちています。
でも、私たちの人生を振り返ったとき、
心にのこった人生のトピックスは、
私たちの感情が動いたとき、
感情が揺り動かされたときです。

喜びには喜んだだけ、悲しみがついてきます。
悲しみでも、悲しんだぶん、喜びがかならずついてきます。
そのどちらも、
たましいは味わって、
遊びたかったと考えるとすこし、納得できます。

なぜ、人生はこれほど困難にみちているのかという理由が…。


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