簡単ではありませんでした。
前回のときは、
胎盤剥離(たいばんはくり)で、
この世に生をうけることもかないませんでしたが、
今度は、早産になりかけ、
とても危険な状況(五分五分ですよ、と医者から言われました)のなかで、
新しい命の誕生に出会うこととなりました。
「男の子ですよ。」
と聞いたとき、
私は正直、耳をうたがいました。
私は、なぜか、
心のなかで女の子だとばかり思っていたからです。
すると、わたしの中で、
驚きの次に、歓喜の念がわいてきました。
もちろん男の子だからではありません。
そうではなく、
男の子ということは、
前回会えなかった、
(亡くなった子の)たましいが、
また、
私たちのところに会いにきてくれたんだ、
と直感したからにほかなりません。
こんなことは、誰にも話してないのですが、
このことは、私のひそかな喜びとなりました。
ちょっと、現実ばなれしているな、と思うかたもおられると思いますが、
当時の私にとって、輪廻転生(りんねてんしょう)はそれほど自然で、
たましいというのも、
(まだまだ模索中でしたが)とても身近(みじか)なものでした。
なぜ輪廻転生するのかについて、それがどのようにして展開されるのか、
とても、参考になる話しがあります。
「前世を記憶する日本の子どもたち」(池川明)という本に書かれていた内容です。
なぜ輪廻転生するのか?
退行催眠などで、前生のことを思い出した人の意見です。
「限られた人生の中で、感情を味わうという体験がしたくて、
魂は人間になりたいと願い、
生まれてくるのだと思います。」
輪廻転生する理由は、
(なにか、霊的な法則があるからではなく)
たましいが、そう願ったからだといっています。
そして、
「魂は、肉体という限りあるものの中に入り、
遊びたかったのではないでしょうか。
遊ぶとは感情を体験するということです。」
と述べています。
私たちがこの世に生きることの目的は、
「遊ぶこと」
遊ぶということは、
肉体という制限、ルールがあって、はじめて遊ぶことができます。
(だって、遊びには必ず、ルールというものがありますよね。)
そして、
遊ぶということは感情を味わうことなのだといっています。
この世は遊びというには、
とても困難にみちています。
でも、私たちの人生を振り返ったとき、
心にのこった人生のトピックスは、
私たちの感情が動いたとき、
感情が揺り動かされたときです。
喜びには喜んだだけ、悲しみがついてきます。
悲しみでも、悲しんだぶん、喜びがかならずついてきます。
そのどちらも、
たましいは味わって、
遊びたかったと考えるとすこし、納得できます。
なぜ、人生はこれほど困難にみちているのかという理由が…。