7月1日午前7時半母は亡くなったが、当時はとても熱く家には遺体を置いておけず、葬儀社の安置所に運んでもらい、通夜も出来なかった。
7月4日、母の火葬が決まり北海道から弟の嫁も来てくれた。
安置所で東京キララ社の方達と7名程で最後の別れをして火葬場へ行くため霊柩車に乗せ焼き場へ向かった。
国道16号線の途中で突然母の遺体を乗せた霊柩車が止まった。
霊柩車には弟が私の代わりに喪主として乗っていた。
なんと霊柩車がパンク・・・・・
まるで母が”まだ焼かないで!!”と言っている様だった。
弟の嫁も”お母さまらしいわ!”と言っていた。
『おてんば姫』の最後はこれで終わらなかった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
7月4日、母の火葬が決まり北海道から弟の嫁も来てくれた。
安置所で東京キララ社の方達と7名程で最後の別れをして火葬場へ行くため霊柩車に乗せ焼き場へ向かった。
国道16号線の途中で突然母の遺体を乗せた霊柩車が止まった。
霊柩車には弟が私の代わりに喪主として乗っていた。
なんと霊柩車がパンク・・・・・
まるで母が”まだ焼かないで!!”と言っている様だった。
弟の嫁も”お母さまらしいわ!”と言っていた。
『おてんば姫』の最後はこれで終わらなかった。
徳川おてんば姫(東京キララ社)