情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

額賀長官が報道管制 「隊員の安全」理由~現地では取材拒否は東京の指示とのみ説明

2006-07-09 17:49:19 | メディア(知るための手段のあり方)
イギリス政府を通した間接的な報道管制(ここ←クリック)に加え,日本政府は,メディアに対する直接的な報道管制を加えてきた。戦時報道というものがいかに政府の言いなりになるものかがはっきりしたと思う。メディアに対する情報開示が必要だ,メディアを通した権力チェックが必要だと何度も書いてきた理由を分かってもらえる事例だと思います。それにしても,どうしたら,よいのか…。

共同通信【クウェートのムバラク空軍基地で予定されていたイラクからの陸上自衛隊撤収第1陣の取材や撮影が7日、額賀福志郎・防衛庁長官の指示で直前に中止され、報道各社に撤収報道の自粛が要請された。同基地には40人近い報道陣が待機、突然の一方的な通告で混乱した。同日夜に防衛庁で記者会見した額賀長官は「迷惑をかけ心からおわびしたい」と陳謝しながら「大局から見て、安全を確保する上で撤収が完了するまで計画を明らかにすることは適当ではないと判断した」と繰り返した。】



東京新聞【「防衛庁長官の指示があった」-。イラク南部サマワからの陸上自衛隊撤収部隊第一陣を七日、隣国クウェートで待ち受けた報道陣に対する土壇場での取材拒否。「隊員の安全」を前面に押し立てる防衛庁に対し、新聞テレビ各社は「安全」に配慮しながら報道の責任を果たすため、事前の話し合いで取材手法の一致点を見いだしてきた。しかし、防衛庁は「取り決めの破棄」を一方的に通告。国民注視の陸自派遣にもかかわらず広報姿勢に大きな問題を残した。 
 「ここでの撮影はできなくなりました」。砂嵐に伴う強風が吹くクウェート・ムバラク空軍基地。撤収第一陣の陸自隊員約三十人を乗せた航空自衛隊のC130輸送機がまさに到着しようとしていた七日午後二時半(日本時間同八時半)すぎ、大型バスの中で待機する報道陣に突然の取材中止が伝えられた。
 「なぜ?」「どういうこと?」。詰め寄る報道陣に対し、同乗していた防衛庁広報課員も「分かりません。東京からの指示です」と答えるだけ。車外で、自衛隊側とカメラの位置を打ち合わせていたNHK記者もバスに戻された。十分な説明がないままバスが降機場から動きだすと、「バスを止めろ」「約束と違う」などと大声が飛んだ。十数分後には砂嵐の中をC130輸送機が遠方の滑走路に着陸。先ほどまで報道陣が待機していた降機場に水色の機体が現れ、報道陣は五百メートルほど離れたバスの中から望遠レンズで写真を撮るだけだった。】

ニュースワーカーさんのブログで引用された東京新聞のサイド記事【(引用開始)
取材陣との事前取り決め 一方的に破棄
 防衛庁の取材妨害は、「額賀福志郎防衛庁長官の指示」によるものだった。しかも、額賀氏は、6日のうちに広報課から取材対応の報告を受けており、直前になっての取材拒否への方向転換は、有終の美を飾りたい首相官邸の意向が働いたとの見方も出ている。
 イラクからの撤収前、主要新聞・テレビ各社が加盟する防衛記者会と防衛庁は、「報道の自由」と「隊員の安全確保」のバランスから、報道するのはイラクからクウェートに移動する第一陣と復興支援群長を含む最終陣の二回に限るとの取り決めをした。
 (中略)取り決めに基づき、七日夕、防衛庁から記者会に同日夜のイラク出国が伝えられ、クウェートの報道陣はムバラク空軍基地で待機した。
 午後八時十五分(日本時間)、防衛庁広報課は「大臣の意向」として記者たちを報道官室に集め、辰己昌良広報課長から「安全の観点からクウェート取材はやめてほしい」と一方的に通告。記者会は「無視する」と席を立った。
 同じころ、クウェートでは報道陣が強制的にバスに乗せられ、現地記者は「防衛庁と記者会がもめている」と事実と異なる説明を受けた。途中、午後九時十分(同)ごろ、航空自衛隊C130輸送機がムバラク空軍基地に着陸。予定された隊員への取材は防衛庁の意向でキャンセルされた。
 東京では記者会室に説明に来た守屋武昌事務次官が二週間に及んだ防衛庁と記者会による調整を「承知していない」。記者会見した額賀氏は「取り決めは本日午後六時半ごろ知った。隊員の移動について防衛庁はコメントしない」と責任回避の姿勢に終始、取り決めの白紙撤回を宣言した。(以下略)
(引用終わり)】

…このことについて市民が抗議の声を防衛庁に殺到させない限り,報道管制を繰り返すでしょう。ネットジャーナリズムの真価が問われる問題だと思う。多くの方にこの問題を伝えていただけないでしょうか。10人が10人に伝えることが繰り返せば,5回で百万人に伝わります。こういう問題を見逃しているとネットにも報道管制が及ぶことは間違いありません(ここ参照)。



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電波管理委員会を潰したのはNHK?!~息詰まる攻防:フジの情報誌「AURA」177号

2006-07-09 16:25:25 | メディア(知るための手段のあり方)
独立行政委員会である電波管理委員会を潰したのは,民主的メディアを嫌った政府とテレビ免許を取得しようとしたNHKのコラボレーションであったことが,フジのメディア情報誌auraの最新号(177号)で紹介されている。「こうして放送は,はじまった」という記事に掲載されたもので,メディアに関心のある方は必見の内容となっている。

昭和27年1月,テレビの標準方式として日テレが押していた6メガ方式とNHKが押していた7メガ方式の採用をめぐって,電波管理委員会で審議が行われ,NHK側の画策にもかかわらず,八木アンテナの発明者であった八木秀次氏の発言で一気に6メガ方式が優勢になった。

このころ,放送の管理・監督権を逓信官僚の手に取り戻そうとする動きが活発化し,昭和27年5月19日,吉田内閣は電波管理委員会廃止法案を国会に提出し,社会党の反対を押し切り,本会議を強行突破した。その結果,電波管理委員会は7月31日で解散し,8月1日から電信電話業務は新しくできる電電公社へ,電波に関する業務は郵政省電波監理局へ移されることになった。

そして,運命の7月31日,電波管理委員会が解散される日,最後の重大な決定として,テレビ免許は6メガ方式による日テレに与えられることになっていた。

しかし,NHKの意を受けた電波官僚が最後の抵抗を示した。開会間もなく,委員会の事務局長であった長谷慎一電波管理総局長が「審議不十分なまま本日解散される委員会で決定されるべきではない」と発言した。長谷総局長は,翌日になれば,郵政省電波監理局長となり,NHKへ優先的に免許を与えられる立場だった。

これに対し,坂本直道委員長が突然立ち上がり,「事務を処理する機関の事務局の長が委員会の権限を干犯し,掣肘するとは失礼千万だ。ただちにこの場から退出しなさい」とよく通る声で迫った。

仕方なく,長谷総局長らは退出した。

ところが,決定を下そうというときになって,なんと,事務局の部課長数十人が押しかけ,「長谷総局長が辞表を提出し,自分たちもそれに従うことにした。委員会も事務当局に背かれないようにするためには,民放テレビに対する認可の決定をおとりやめ願いたい」と迫った。官僚のクーデターであった。

しかし,坂本委員長は,部課長代理の3人を別室に連れ出し,「君たちは辞表の一括提出で委員会の決定に干渉しようとした。反省しなければ廊下に待ちかまえている記者団に,その事実を発表し,天下の世論に訴えるが,それでもいいか」と言い放った。

夜に入り,新課長から「前言を取り消す」と陳謝の表明があって委員書きが再開され,深夜11時40分,委員会が2年2ヶ月という短命で解散する20分前に,日テレへ免許を与える決定が下された。他方,NHKへの免許は保留となった。


…もし,電波管理委員会がなければ,民放が中心となったいまのテレビ放送システムは存在しなかったかも知れないということを改めて実感させられる記事だ。

いまこそ,電波管理委員会の再生を求めて,国民的な運動を起こすべきではないだろうか。

新聞が,再販・特殊指定問題で,与党自民党・公明党に大きな貸しをつくってしまった今,新聞とテレビが系列化していることによる弊害(電波行政からのテレビ新聞への圧力)はもはや無限大となっている。

いまや,日本の大メディアは,●ン玉を握られたも同然。その状態から解放しない限り,日本のメディアは,与党自民党の言いなりになり,世論をコントロールするしか選択の余地がないのではないだろうか。

マスゴミなどと批判する前に,メディアを権力から独立させるシステムを作り出すために何ができるかを考えなければならないと思う。


参考:
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/ec54a79538fbfa88b157e0b620972c35
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/7b784fa5973324cf83457fa3ab334327
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/56b20e10ddda5b22bd1c6dca17e92578
など





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