イギリス政府を通した間接的な報道管制(ここ←クリック)に加え,日本政府は,メディアに対する直接的な報道管制を加えてきた。戦時報道というものがいかに政府の言いなりになるものかがはっきりしたと思う。メディアに対する情報開示が必要だ,メディアを通した権力チェックが必要だと何度も書いてきた理由を分かってもらえる事例だと思います。それにしても,どうしたら,よいのか…。
共同通信【クウェートのムバラク空軍基地で予定されていたイラクからの陸上自衛隊撤収第1陣の取材や撮影が7日、額賀福志郎・防衛庁長官の指示で直前に中止され、報道各社に撤収報道の自粛が要請された。同基地には40人近い報道陣が待機、突然の一方的な通告で混乱した。同日夜に防衛庁で記者会見した額賀長官は「迷惑をかけ心からおわびしたい」と陳謝しながら「大局から見て、安全を確保する上で撤収が完了するまで計画を明らかにすることは適当ではないと判断した」と繰り返した。】
東京新聞【「防衛庁長官の指示があった」-。イラク南部サマワからの陸上自衛隊撤収部隊第一陣を七日、隣国クウェートで待ち受けた報道陣に対する土壇場での取材拒否。「隊員の安全」を前面に押し立てる防衛庁に対し、新聞テレビ各社は「安全」に配慮しながら報道の責任を果たすため、事前の話し合いで取材手法の一致点を見いだしてきた。しかし、防衛庁は「取り決めの破棄」を一方的に通告。国民注視の陸自派遣にもかかわらず広報姿勢に大きな問題を残した。
「ここでの撮影はできなくなりました」。砂嵐に伴う強風が吹くクウェート・ムバラク空軍基地。撤収第一陣の陸自隊員約三十人を乗せた航空自衛隊のC130輸送機がまさに到着しようとしていた七日午後二時半(日本時間同八時半)すぎ、大型バスの中で待機する報道陣に突然の取材中止が伝えられた。
「なぜ?」「どういうこと?」。詰め寄る報道陣に対し、同乗していた防衛庁広報課員も「分かりません。東京からの指示です」と答えるだけ。車外で、自衛隊側とカメラの位置を打ち合わせていたNHK記者もバスに戻された。十分な説明がないままバスが降機場から動きだすと、「バスを止めろ」「約束と違う」などと大声が飛んだ。十数分後には砂嵐の中をC130輸送機が遠方の滑走路に着陸。先ほどまで報道陣が待機していた降機場に水色の機体が現れ、報道陣は五百メートルほど離れたバスの中から望遠レンズで写真を撮るだけだった。】
ニュースワーカーさんのブログで引用された東京新聞のサイド記事【(引用開始)
取材陣との事前取り決め 一方的に破棄
防衛庁の取材妨害は、「額賀福志郎防衛庁長官の指示」によるものだった。しかも、額賀氏は、6日のうちに広報課から取材対応の報告を受けており、直前になっての取材拒否への方向転換は、有終の美を飾りたい首相官邸の意向が働いたとの見方も出ている。
イラクからの撤収前、主要新聞・テレビ各社が加盟する防衛記者会と防衛庁は、「報道の自由」と「隊員の安全確保」のバランスから、報道するのはイラクからクウェートに移動する第一陣と復興支援群長を含む最終陣の二回に限るとの取り決めをした。
(中略)取り決めに基づき、七日夕、防衛庁から記者会に同日夜のイラク出国が伝えられ、クウェートの報道陣はムバラク空軍基地で待機した。
午後八時十五分(日本時間)、防衛庁広報課は「大臣の意向」として記者たちを報道官室に集め、辰己昌良広報課長から「安全の観点からクウェート取材はやめてほしい」と一方的に通告。記者会は「無視する」と席を立った。
同じころ、クウェートでは報道陣が強制的にバスに乗せられ、現地記者は「防衛庁と記者会がもめている」と事実と異なる説明を受けた。途中、午後九時十分(同)ごろ、航空自衛隊C130輸送機がムバラク空軍基地に着陸。予定された隊員への取材は防衛庁の意向でキャンセルされた。
東京では記者会室に説明に来た守屋武昌事務次官が二週間に及んだ防衛庁と記者会による調整を「承知していない」。記者会見した額賀氏は「取り決めは本日午後六時半ごろ知った。隊員の移動について防衛庁はコメントしない」と責任回避の姿勢に終始、取り決めの白紙撤回を宣言した。(以下略)
(引用終わり)】
…このことについて市民が抗議の声を防衛庁に殺到させない限り,報道管制を繰り返すでしょう。ネットジャーナリズムの真価が問われる問題だと思う。多くの方にこの問題を伝えていただけないでしょうか。10人が10人に伝えることが繰り返せば,5回で百万人に伝わります。こういう問題を見逃しているとネットにも報道管制が及ぶことは間違いありません(ここ参照)。
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共同通信【クウェートのムバラク空軍基地で予定されていたイラクからの陸上自衛隊撤収第1陣の取材や撮影が7日、額賀福志郎・防衛庁長官の指示で直前に中止され、報道各社に撤収報道の自粛が要請された。同基地には40人近い報道陣が待機、突然の一方的な通告で混乱した。同日夜に防衛庁で記者会見した額賀長官は「迷惑をかけ心からおわびしたい」と陳謝しながら「大局から見て、安全を確保する上で撤収が完了するまで計画を明らかにすることは適当ではないと判断した」と繰り返した。】
東京新聞【「防衛庁長官の指示があった」-。イラク南部サマワからの陸上自衛隊撤収部隊第一陣を七日、隣国クウェートで待ち受けた報道陣に対する土壇場での取材拒否。「隊員の安全」を前面に押し立てる防衛庁に対し、新聞テレビ各社は「安全」に配慮しながら報道の責任を果たすため、事前の話し合いで取材手法の一致点を見いだしてきた。しかし、防衛庁は「取り決めの破棄」を一方的に通告。国民注視の陸自派遣にもかかわらず広報姿勢に大きな問題を残した。
「ここでの撮影はできなくなりました」。砂嵐に伴う強風が吹くクウェート・ムバラク空軍基地。撤収第一陣の陸自隊員約三十人を乗せた航空自衛隊のC130輸送機がまさに到着しようとしていた七日午後二時半(日本時間同八時半)すぎ、大型バスの中で待機する報道陣に突然の取材中止が伝えられた。
「なぜ?」「どういうこと?」。詰め寄る報道陣に対し、同乗していた防衛庁広報課員も「分かりません。東京からの指示です」と答えるだけ。車外で、自衛隊側とカメラの位置を打ち合わせていたNHK記者もバスに戻された。十分な説明がないままバスが降機場から動きだすと、「バスを止めろ」「約束と違う」などと大声が飛んだ。十数分後には砂嵐の中をC130輸送機が遠方の滑走路に着陸。先ほどまで報道陣が待機していた降機場に水色の機体が現れ、報道陣は五百メートルほど離れたバスの中から望遠レンズで写真を撮るだけだった。】
ニュースワーカーさんのブログで引用された東京新聞のサイド記事【(引用開始)
取材陣との事前取り決め 一方的に破棄
防衛庁の取材妨害は、「額賀福志郎防衛庁長官の指示」によるものだった。しかも、額賀氏は、6日のうちに広報課から取材対応の報告を受けており、直前になっての取材拒否への方向転換は、有終の美を飾りたい首相官邸の意向が働いたとの見方も出ている。
イラクからの撤収前、主要新聞・テレビ各社が加盟する防衛記者会と防衛庁は、「報道の自由」と「隊員の安全確保」のバランスから、報道するのはイラクからクウェートに移動する第一陣と復興支援群長を含む最終陣の二回に限るとの取り決めをした。
(中略)取り決めに基づき、七日夕、防衛庁から記者会に同日夜のイラク出国が伝えられ、クウェートの報道陣はムバラク空軍基地で待機した。
午後八時十五分(日本時間)、防衛庁広報課は「大臣の意向」として記者たちを報道官室に集め、辰己昌良広報課長から「安全の観点からクウェート取材はやめてほしい」と一方的に通告。記者会は「無視する」と席を立った。
同じころ、クウェートでは報道陣が強制的にバスに乗せられ、現地記者は「防衛庁と記者会がもめている」と事実と異なる説明を受けた。途中、午後九時十分(同)ごろ、航空自衛隊C130輸送機がムバラク空軍基地に着陸。予定された隊員への取材は防衛庁の意向でキャンセルされた。
東京では記者会室に説明に来た守屋武昌事務次官が二週間に及んだ防衛庁と記者会による調整を「承知していない」。記者会見した額賀氏は「取り決めは本日午後六時半ごろ知った。隊員の移動について防衛庁はコメントしない」と責任回避の姿勢に終始、取り決めの白紙撤回を宣言した。(以下略)
(引用終わり)】
…このことについて市民が抗議の声を防衛庁に殺到させない限り,報道管制を繰り返すでしょう。ネットジャーナリズムの真価が問われる問題だと思う。多くの方にこの問題を伝えていただけないでしょうか。10人が10人に伝えることが繰り返せば,5回で百万人に伝わります。こういう問題を見逃しているとネットにも報道管制が及ぶことは間違いありません(ここ参照)。
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