体調のほうは、ほぼいいのですが、今はとにかく「ならし運転」?
つい「もういいかな」と動き回っては、また「疲れたー」になるので、
ずっと7割くらいの「出力」状況で暮らしています。
自分の身体を知っていたつもりが、思った以上に「クタビレテ」いたのだと思います。
あわただく暮らしても、ゆるゆる暮らしても24時間は変わらない…当たり前ですが。
年の暮だというのにと思う反面、幸いにも我が家目指して年末帰ってくる大家族がいるわけでもなし、
おせちを大量に作る必要もなし、大掃除はしなくてもだれも文句は言わないし…
あれっ、これって元気に年越しの時も、同じこと言ってないか?…はい、聞かなかったということでぇ…。
さて、ぼちぼち動いておりますが、網戸の掃除だとかそういうのはパス、
もっぱら小さなことをちまちまとやっています。
クリスマスの飾りも、二日がかりで並べました。これはやっぱりやらんとね。
そして今年のクリスマス「自分へのプレゼント」(これも毎年言ってるなぁ)、
実は友人の「プレゼント用のオルゴールを探して」という依頼に、
あれこれ見ていたら…友人のものより先に「あ、これいいなぁ」を見つけてしまいました。
それがトップの「ミシン」です。オルゴールに見えませんけど。
横のぜんまいをネジネジ巻きますと…右のハンドルがまわり、
針こそついていませんが(矢印のところ)が、ちゃんと上下し、「足踏み板」も動きます。
ほら、針のところ、こっちはあがっていますでしょ。
前の飾り板は、本物は真ん中だけ出っ張ってましたね。
足踏みミシンには思い出があります。
物心ついたころから、我が家には狭い台所のわきに、足踏みミシンがありました。
母の宝物。大人になって聞いたところ、まだ暮らしが苦しいころに、
月賦屋さんで毎月500円の支払いをがんばって買ったのですと。
ミシンからは、いろんなものが生まれました。子供のころの写真を見ると、
半分以上は「母の手作り」、父のワイシャツも縫ってました。
小さいころは、危ないから触ってはイカン…と言われていましたが、
母のいないときに、そっと引き出しを開けてみたり、ふたを開けてみたり…。
本体を起こして出すのは、重くてとても無理でしたが、なんやかやと触ってみたくて…。
引き出しの中にはぼろ布とミシン油が入っていて、母はよく手入れをしていましたっけ。
使わせてもらえるようになったのは、中学に入ってからでしたが、
学校の「家庭科の課題」を家でやるとき、母は私の作品のよしあしより、
ミシンを壊されるのではないかと…そっちの方が心配だったような?
母のはジャノメだったと記憶していたのですが、ミシンってみんな似たような形でしたからねぇ。
それでいろいろ画像を見て、本体の下の丸い胴や、引き出しに取っ手がなかったこと、
脚の部分などいろいろ見て、たぶんこれと同じ…という画像を見つけました。やっぱりジャノメ。
今でも古いミシンを修理しておられるところの画像、お借りしました。
当時の脚は「鋳物」だと思います。とにかく重くて重くて…。
母のものには、脚の車輪部分に、木製の丸いもの、お銚子のはかまみたいなのがかぶせてありました。
ぶつかったりしても動かないようにですね。
やっぱりほしいなぁ。
あの独特のカタカタいう音や、ハンドルを回す皮のベルトの感触などまだ覚えています。
回転のためのベルトは、長く使っていると表面が傷んできます。
「替え」のベルトも、いつも引き出しにはいっていましたが、
ちょっとささくれたようなところは、母が自分で太いはりに木綿糸を通して一生懸命補修していましたっけ。
実家のミシンが電動になったのは、はていつのことだったか…。
私より少し若い友人とちょっと話していて「学校のミシンはみんな電動だった」と聞き、
思い出してみましたが…そういえば被服室には電動と足踏みと両方あって、みんな電動の方をねらっていたような。
まぁ使い慣れないと、足踏みは、縫い始めからコケますからねぇ。
実家もいつのまにか電動になりましたが長らく足踏みもそのままで、開けることがなくなったので、
テーブル代わりに上にものを置いたりして…。
さすがに処分したかと思うのですが、今更ながらに「惜しいことしたぁ」です。
今でもアンティークミシンとして、古いものが売られていますが、動きません…でも何万もします。
とてものことに…というわけで、なんかおもちゃでも飾りでも、アンティークミシンを見ると、
ほしくなるのです。手持ちの置物と二台並べてみました。いいなぁ…この「くらーしっく」なカタチ。
右はあくまで「置物」、どこも動きません。(古いケータイは大きさ比較用)
手に入れたオルゴール、曲も私の好きな「PUFF」でした。
高校の時、よく歌っていた歌です。ジーコジーコとねじを巻き、やさしい音色でメロディが流れると、
なんだかやたらといろんなことが懐かしく思い出されてきて…。
母の手作りの服は、さすがに何も残っていないのですが、使っていた古いボビンは残っています。
手持ちの一番古いはさみは、そういえば、あのころの母のお下がり。まだ切れますよー。
しばらくミシンも使っていませんが、少し落ち着いたら何か縫いたいなぁ…です。
考えてみたら、私の電動ミシンも使い始めて34年。一度故障しましたが、元気で現役です。
コンピュータ・ミシンの出始めで、カードを入れると飾り縫いも字も縫える…というものですが、
そんな機能はほとんど使っていません。だから壊れないのかな。
これを大事にしたところで、このあと使ってくれる人はいないのだけれど…
私が縫い物ができる間は、お互い大事にしながら使おうと思います。重たいのがねぇ…難点ですけど。
だいぶ落ち着いてきたみたいですね。。体調^^
さすがです、一気に頑張るとほんと、後がね。。。
私は、常に?
「大掃除してもしなくても。。正月来る~」
って感じです^^;
そうそう、網戸の掃除、
中くらい以上の雨?の降る日に、洗剤吹きかけて雨水に晒すと簡単に綺麗になるようですよ^^
我が家のミシンは電動だったのですが、
小学校の時の学校のミシンがこの足踏みで。。
中々縫うことが出来なかったことを思い出します(笑)
難しいんですよね~これ。。。>_<
でも、アンティーク感がとても素敵^^
小さいのに、凄くよく作られてますね^^
だったと思います。記憶が曖昧で・・・
多分まだ現役で動いているはずです。
手で少し回してから足で踏まないとバックしました。
我が家にもありました。母は器用な人であれこれ縫ってくれました。懐かしい思い出です。
私も足踏みミシンを使った記憶があります。
電動に変わった時は足踏みの方が使いやすいなあと感じました。
なんというか、自分の気持ちに沿ってミシンが動いてくれるというか。。。
あのレトロ感は何ともいいですね~
元々掃除はできるだけ「みえなかったことにしよう」なので、
よけいにちーっとも進みません。
ま、ホコリでは死なないし…と、もう居直り…。
足踏みの調子を覚えるのがなかなかでした。
直線のところなど、調子によってすっ飛ばすと、
ミシンのほうが早くなって…。
昔取ったなんとやら…今あっても使えるかなぁです。
まだ現役なんて、素晴らしい!
縫い始めのところ、思い出します。
ちょっと緊張しましたよね。
あわてるとよけいにぐちゃぐちゃになって…。
ほんと随分と昔の話になりました。
昔の人は、使いにくい道具だからこそ、
こなれてなんでも器用でしたよね。
私も電動になった時、怖かったです。
なんか飛んでいきそうで…。
今はゆっくりスタートとかありましたけど、
最初のころは、ペダルの踏み方なんてのもコツがいりました。
ミシンに使われてる気分でしたねぇ。
今年も折々拝読させていただくことを楽しみにしていますね。
足踏みミシン、私は祖母が愛用していた記憶があります。
鋳鉄の手触り、皮ベルトのざらっとして乾いた感じ、祖母ん作業部屋の静かな午後の記憶、、私もとんぼさんと同じ記憶を持ってるなあと感じました。
祖母世代と同じような和洋裁技術を持っていて、家族に洋服の1枚でも縫ってやれたら、と思います。
実情は、せいぜい娘の簡単なワンピースどまりなんです。
おめでとうございます。
身体の方もなんとか動けるようになってきました。
ご心配いたただいて、ありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
足踏みミシンは電動と違って、音も「カタカタカタカタ」と
けっこうにぎやかでしたね。
子供が小さいころは、あれこれよく縫いましたが、
いまやさっぱりです。
ワンピースが縫えたら、上出来ですよぉ。
ミシンも、針を持つことも、続けてくださいね。