ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

校歌

2014-03-29 21:54:43 | つれづれ

 

写真は卒業アルバム、校章は消させていただいてます。

 

実は、びっくりするメールをいただいたのです。

私の通っていた高校の校歌の「作曲者 信時潔氏」のお孫様、

信時裕子様とおっしゃる方からのメールでした。(お名前を掲載する許可をいただきましたので) 

信時裕子様は、ご祖父信時氏の偉業を整理なさり、資料管理なさっておられて、

遺された文書の中で、学校名などが不明のものについて、ずっと調査なさっておられたわけで。

たまたま私の過去記事に、校歌の一部の歌詞を載せていましたので、

検索・ヒット…となったわけです。あぁ書いてあってよかった!です。

さっそく現在の学校のことなどお知らせさせていただきました。

なんだかとてもうれしくて、記事にしたいのですがとお伺いいたしまして、お許しいただきました。

 

私は自分の卒業した高校の校歌が大好きです。

それなのに…恥ずかしながら作詞者、作曲者については、お名前だけで、

全く知識がありませんでした。

実は「信時氏」は大変な音楽家でいらして、生涯に学校の校歌だけでもなんと900曲も、

手がけておられたのです。私が今でも時々そうじしながら(すみません信時先生)、

フンフンと鼻歌で歌っているこの校歌は、その900曲の中の1曲だったわけで…。

信時潔氏の研究についてのHPはこちらにあります。また裕子様のブログはこちらです。

こちらも許可をいただきましたので、掲載させていただきました。

私は音楽の素養がありませんので、お恥ずかしいことですが、

それでもたくさんの楽曲の題名を拝見して、すごい方だったのだと、改めて思っています。 

 

私の通っていたF高校は1923年大正12年、私の母が生まれた年に創立されています。

その年はあの関東大震災の年、またその後は当然、戦争などの影響もあって、

当時の関係者の方々は、その都度大変なご苦労をされて学校を存続されたと…

これは、学校の記念誌に載っていました。学校制度の変遷などもあり、

今のF高校になりましたが、校歌は1925年、つまり大正14年に制作されたものです。

それからずっと歌い継がれてきたわけで…。

いやもうそんな大変な曲だったのだと、今更ながらに思います。

入学式の日だったと思いますが、在校生が歌う校歌を聞いて、母はあとで、

「詩ィも曲も、ほんまに品のえぇ校歌や」とたいそうほめておりました。

 

F高校は、地元では当時、いわゆる「お嬢さん学校」と言われていました。

確かに、父親が横浜の老舗の店主とか、会社の社長とか、そんな生徒がたくさんいました。

たまたま滑り止めに受けたこの学校がそういう学校だと知った母が、

ガサツでソコツなわが娘が、ちーーーっとでも「品のいいこと」を身に着けてくれたらと、

公立は受けへんでもえぇ、この学校にいきよし、と決めたのです。

まぁ元が元なんだから、お嬢様になんぞなるわけもないのに、淡い期待があった…?!

というわけで、母はこの歌をたいそう気に入って、はよ覚えて教えてや、と言いましたっけ。

 

校歌というものは、学校の創立が古ければ古いほど、なんといいますか、

校歌然とした…といいますか、使われている言葉も重厚で、

歌うものにとっての激励と言いますか、若者よ、こうであれ…といった内容が多くなります。

またメロディも、力強さとか、清廉さを感じるものが多いです。

いま、高校野球をやっていますので、校歌を聞くことが多いですが、

やはり聞いていて「古くからある学校なんだろうなぁ」とわかります。

新しい学校では、最近、有名ミュージシャンなどによる曲などもありますが、

それはそれでいい曲であっても、やはり現代的です。

私の高校の校歌などは、実は歌詞を読んでも意味が分からない…などといわれるかも…の、

古い言葉が並びます。でも、私は校歌の歌詞を見るたび「日本語の美しさ」を感じています。

 

長いですが、書かせていただきます。

 

 紫匂う朝焼けに まずこそ見ゆれ日の本の 文化の船着き横浜市

 返りみすれば夕栄えの 美空に気高き芙蓉峰 あぁ恵まれし我が学び舎

 

 敲けよさらば開かれん 学びの道もわれからと 求めて修めて倦まざらば

 はるけき道も末ついに 極めつくしてうるわしき 正しき自覚身にぞ占めん

 

 神さび立てる富士が峰の 雄々しさ清さ鑑にて 昼ごと夜毎に打ち寄する

 文化の波にひたりつつ 日出ずる皇国(すめぐに)固め成す 女性(おみな)の道をいざ修めん

 

メロディは、この古式豊かで優美な歌詞にぴったりの、優しくそれでいて凛とした曲です。

当時は箸が転んでもおかしい年頃…それでも、校歌斉唱のとき、この曲の前奏が流れると、

シャキンとして、胸を張って歌ったものでした。懐かしい限りです。

えぇわかっております。ガサツな私には合いませんともさ(と、先に言っとく!)。

 

というわけで、思わぬご縁をいただいて、少しはお役に立てたこともあり、うれしい私です。

懐かしさのあまり、卒業アルバムを出してきて、今日は眺めて過ごしました。

見ていて思い出したこと…。

何しろ46年も前のことですから、当時の卒業アルバムはオーソドックスなものです。

校舎や校長、教職員の写真の後は、6クラスあった各クラスの集合写真と、

そのクラス内でのグループ別の写真…と続きます。

グループ写真は校内ならばどこでもいいので、場所を決めて撮ってもらうわけです。

私の当時のグループは6人、さてどこにするかという話で、

記念碑の前とかキレイな中庭のところとか…みんな同じ…じゃおもしろくない…

ということで、私が「正門前もOKだけど、そこにただ立ったんじゃ当たり前。

このさい上に登ろう」と申しました。

当時の正門は、門柱がなく、コンクリートの1メートル半くらいの高さの壁で、

入り口に学校名の入ったプレートがはまっていました。

それほど高くなかったので、せーのでよっと上がれました。そこで6人並んで撮ってもらいました。

証拠写真です。しつかり大根足並べております。なんと学校名のプレートの上に靴が…。

真ん中が私、実は校則違反してます。肩まで伸びた髪は二つに分ける…を一つにしてました。

 

          

 

後日担任が

「よくまぁ堂々と校則違反で卒業写真撮ったなぁ。それと、あの場所を提案したのはだれだ?」

「アタシです」

「…だと思った…いまだかつて正門の上に登って写真撮ったヤツはいない。前代未聞だ」

「あ~、あの学校の外へ出てはいけないと思ったので、門の上なら『外』にならないかなぁ、と思って」

「…言うと思った…」

 

私は3年間、担任はずっとこの先生で、卒業後もいろいろお世話になり、

ついに先年ご逝去なさるまで、電話とお手紙で、長く長くお付き合いいただきました。

今頃は、先生より少し先に行った母が「まぁ娘がほんとに、申し訳ございませんっ」と、

日々、平身低頭であやまっているかと…すんません。

 

学校は、数年前に再度移転しました。実は我が家の近くです。

でも、一度もいけていません。

私が通ったあの校舎も、前代未聞の写真に残った正門も、なにもなくなり、

跡地にはマンションが建ったとか。

懐かしい校歌を口ずさみながら、今はもうない校舎や教室、先生や友人のカオを思い浮かべて、

過ごした春の一日でした。 


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (陽花)
2014-03-29 23:58:16
出だしの紫匂うが同じだったので、まさかとは
思いながら信時潔氏のHPをず~っと見ていたら、
私が50年前に卒業した中学校の名前を見つけました。
こんな偶然てあるんですね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-03-30 20:27:45
陽花様

まぁそうでしたか!
こんなことってあるんですね。
「紫匂う」という歌詞は、当時よく使われたそうです。
日本的でいいですね。
返信する
Unknown (天鼓)
2014-03-30 21:19:31
校歌もですが、制服もいいですね。
今も変わってないといいですが。
阪神間には地味に古い女子校が結構あって、このお写真のような雰囲気の昔ながらの膝下の制服で、見かけるとほっとします。
ニュースなんかで見かける高校生の制服のスカートの短さを見ると、どうなのかなあと思ったりします。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-03-30 22:10:12
天鼓様

制服も、今もかわっておりません。
隣の町なので、登下校時間に通ると、
懐かしい制服姿に出会います。

私たちのころが、ミニのはやり始め。
この夏の制服の時は、私はやりませんでしたが、
帰り道に、腰でスカートの上を何回も折りあげて
ミニにしている人もいましたよ。
制服は見栄えではなく着映えだと思うのですが、
今はファッション性ばかり重視しますからねぇ。
なんだかなぁです。
返信する
Unknown (妖怪)
2014-03-31 22:40:01
私の勤務先がY市でして、この制服は昔から見慣れていました。トンボ様の母校とは存じませんでした。昔から一度も変わっていないのは伝統を感じさせていいですね。
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Unknown (とんぼ)
2014-04-01 03:16:13
妖怪様

あらまぁそうでしたか。
冬服は、セーラー服だというのに、
下がジャンバースカートになっていまして、
下着の上にそれを着て、セーラーを着るのです。
理由は、手を挙げたときに脇の下着が見えるから…。
夏のこの制服は、暑いのに、スカートの上に、
白いベストのようなものが、ボタンでつけられるように
なっていたんです。暑いので下着だけで着ると、
違反で叱られましてね。
暑さに弱くなったのは、そのせいかも?
返信する
初めまして (Tomie)
2017-06-08 01:14:58
自分の母校の校歌を探していたところ、こちらの記事に書かれていらっしゃる校歌の取りまとめサイトから、このブログにたどり着きました。
F高校、1988年3月卒業のものです。
先輩がいらっしゃったので、つい嬉しくて書き込んでしまいました。お目汚し、申し訳ございません。

ナニ長調だか忘れてしまったので、単純に
音符読みすると
ミ♭ーミ♭シ♭ーミ♭ー ソーファミ♭ー
ドードドーミ♭ーシ♭ー
から始まる曲、私も好きでした。
返信する
こちらこそ (とんぼ)
2017-06-08 14:04:48
Tomie様

はじめまして。コメントありがとうございます。

学校の後輩の方からコメントいただくのは初めてです。
うれしいことです。私より○十年後のご卒業ですから…と
思わず指折って年齢を数えてしまいました。

学校も移転して、ほんとにすぐそばになったというのに、
介護やら何やらで、全然行くこともできずにいます。
以前の校舎跡にはマンションが建って…。
それでも七曲りは健在とか。
今、もし校歌をうたいながらあそこを登ったら、
すぐ息切れしますでしょうねぇ…。

素晴らしい校歌を歌えること、誇りに思います。
いつかお会いしたいですね。
返信する
お返事、ありがとうございます♡ (Tomie)
2017-06-09 01:53:32
お返事、ありがとうございます♡ヽ(=´▽`=)ノ

遅ればせながら、最近のブログと校歌の元記事を読ませていただきました。
私も『おみな』という読み方が好きでした。
女の道は、昔から全くと言っていいほどおさめておりませんが(^_^;)

私は県内にはいるものの、大学からY市以外に出てしまったので、ほとんど学校に行けてません。
まだ坂の上にあったころ、1〜2度行ったきりです。
移転して敷地も広くなったとHPに書いてあったので、一度行ってみたいとは思っているのですが、おそらく、知っている先生方も居らっしゃらないだろうと思うとなかなか・・・。
現校長が一教師として赴任されてきた時は覚えているのですが。

合唱部には入らなかったのですが、歌うことが好きなので、校歌や市歌などは未だに時折口ずさんでいます。

本当に、お会いできたら楽しいですね!
いつか、実現したいです♪
返信する
Unknown (とんぼ)
2017-06-19 12:51:51
Tomie様

まぁすっかりお返事が遅れて申し訳ありません。
うっかり見落としておりました。ごめんなさい。

学校の移転先が我が家の近くだというのに、
近くの道路をたまにに通るだけ…。
でも、駅に続く道路なので、時間によっては、
あのセーラー服姿の生徒さんたちを見かけます。
変わらないことのよさ…を感じています。
いつかきっとお目にかかりましょうね。
返信する

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