以前たいへんお世話になった方(そのまんまなんです、すみませーん)が、
久しぶりに立ち寄ってくださって、少し遅れたけれど…とおっしゃりながら、
主人にと「イチゴ」をお届けくださいました。「あまおう」です。
実は、今年に入って二度「あまおう」をいただく機会があったのですが、
最初のは「あまおう」というより「あま…いよね、とりあえず」みたいな…
そして2回目のは、それも甘さが薄いうえ、次の日にはもうほぼダメ…というありさまで。
こんどこそ…で三度目の正直、まぁ新鮮で甘かったこと!そうそうこの甘さ!と、ニコニコでいただきました。
あ、もちろん、おとサンと母の遺影の前にちゃんとお供えしたあとです。
白いお皿がちょっと大きくて…藍のお皿になりました。
2人とも「果物大好き」でしたから、とても喜んでいると思います。
昔のイチゴは、甘くても「酸っぱさ」もちょっとあって当たり前でしたから、
母はいつも練乳かけか、牛乳に砂糖…で、モグモグというよりガッツガッツと食べてましたっけ。
母の年代では、子供のころはイチゴなんて見たこともないもの?だったでしょうから、
毎年お初のイチゴを食べるときは、いつも「あぁ、ばぁば(祖母のこと)にたべさせてやりたかったわぁ」と
そういっていましたっけ。そして、いつの頃からか、砂糖も何もつけなくてもとてつもなく甘くなって、
「こんなイチゴがたべられるなんて、ゼータクやわぁ」と。
おとサンは、ベトナムで「フルーツ三昧」の日々だったわけで、日本にもどって一番驚いていたのが
果物の値段…あちらではひとやま100円くらいのものが、ごたいそうにセロファンに包まって…と。
それでも、実はベトナムにはイチゴがありません。いえ、全くないのではなく、
暑すぎてなかなか栽培が難しいので、限られた地域でしか作れないのと、長距離の輸送に耐えませんから、
こちらのようないいイチゴは、なかなか食べられないのだそうです。みんなジャムやジュース…。
なので日本ではイチゴ、自分で買ってきてました。しらないうちに、パックがいくつもゴミのなかに…。
また一人だ食べたでしょーと、やっていましたっけ。
真っ赤で甘いイチゴ、母もおとサンも「おぉっイチゴだぁ」と、喜んでくれていると思います。
さて、おまけばなしですが、イチゴといえば…の話、思い出すのは「イチゴ白書」?
私、あの映画見ていません。その映画の題名から「イチゴ白書をもう一度」という歌がありましたね。
が、私はこれも、知っているだけで、どんな歌だったか…なのです。
私が思い出すのは、更にオールディーズの「イチゴの片思い」…。
ナンシー・シナトラが歌いました。日本では当時あちらの曲に日本語の歌詞を付けて歌ってました。
私が好きだったのは、中尾ミエさんの「♪ ねぇねぇ私はここ だれか早くみつけてよ…」という歌。
まあ古いですねぇ。そしてもうひとつ、まだ暮らしがしんどかった時代のイチゴジャムは、
全く粒なんか入ってなくて、ただ赤い色をしたゼリー分の多いものでした。
初めて「アヲハタ」の、イチゴをつぶしたものが入っているジャムを食べたのは、いつのことだったか…。
そりゃ感激して「おかあちゃん、イチゴはいってるー」…母「イチゴジャムにミカン入ってたらどないすんねん」…。
そんなことも思い出したりしながらの、デザート「あまおう」、とてもおいしくいただきました。
私も「あまおう」にはガッカリすることが何回かありました。
名前がなまえですから期待しちゃいますよね。
イチゴというと子供の頃、木箱に入っていたのを思いだします。
奇麗に並べられて宝石のようでした。
ほんとに「あまおう」らしい「あまおう」で、
美味しかったです。
フルーツはハズレがありますからねぇ。
木箱、そうでした。私も覚えています。
横に焼印でなんか名前が入っていて…。
リンゴも木箱でしたよね。もみ殻の中につめられて。
今は梱包がずいぶんかわりました。
実家は今でも大事にとってあるもみ殻を敷いた箱に
卵を入れてます。箱は紙だけど…。
久しぶりにPCを開いて、たどり着きました。
もしかして同世代?
「イチゴ白書」を歌詞そのままに涙を流して見、「・・・をもう一度」でうんうんと頷いた。
あれからウン十年、今でもイチゴは憧れです。
はじめまして、コメントありがとうございます。
私25年生まれですよー。
最近の歌は何を聴いても覚えられないし、
どれも似たり寄ったりに聞こえたりして…。
みんな年のせいにしています。
イチゴはほんとにきれいでおいしいですね。
自然界の色ってすごいです!
歳の所為・・・
孫の歌さへ???です。
私もうふふ、嬉しいです。
最近のタレントさんは顔と名前が一致しないし、
AKBとかなんとか、いっぱい出てくると、
みんなおんなじに見える…あははですねぇ。