またまた母の話ですみません。
あっという間に、丸3年が経ちました。
昨年の三回忌、ついこの前だった気がします。
去るもの日々に疎し、といいますが、親は違うんですかねぇ。
いろいろ何かあるたびに、何か見るたびに、何か考え迷うたびに、母を思い出します。
料理は苦手だったけれど、マメでよく働いて、なんでもやる人でした。
写真は、私が中学生のころに、家族旅行した奈良でのもの。鹿にせんべやっとります。
なんとなーく「ワンと鳴いたらやるし、鳴いてみ」と言ってそーだ…。
左端の余分は私…。
私が大人になって、暮らしもようやく落ち着いてきてからは、それまで生活のためにやっていた
縫い物や編み物も、趣味として楽しんでできる時間も増えました。
いつも何かしら手元に「手芸関係」のものがあり、気に入ると何個もおなじものを作り、
みんな人にやってしまう…あたしのは、というと「アンタ自分でできるやん」…。
できない人の方が、喜んでくれて、重宝に使ってくれるものだから…
えぇどうせ私は、色が気にいらないとかナントカ言っちゃ、使わないこともありましたわなぁ。
花が好きで、買い物に行くと花屋さんに立ち寄り「今夜はメザシやなぁ」と言いながら、
好きな花を買う、つまり「食べるもの詰めてでも花が飾りたい」…です。
もちろん、実際にはちゃんとやりくりしていましたが、
花屋さんは「おかずメザシにしても、花を買ってくれるのが嬉しいわぁ」と、
よく一本くらいおまけしてくれたりしました。あっ、それがねらいだったか??
当時の市営住宅の庭は、家の割にはかなりの広さがありました。
花の好きな母は、玉スダレ、バラ、アジサイ、オイランソウ、カンナ、ホウセンカ、アサガオ、
サクラソウ、ケイトウ、ハゲイトウ…まぁいろんなものを植えていました。
実父は「木」がすきだったので、庭のヘリにあたるところには、大きなヒマラヤ杉、
ユッカラン、八重桜、ピラカンサス…ツツジ、ドウダンツツジ…。
家の中にも外にも、いつも花がありました。
母は忙しい人でしたから、例えばお手玉を一緒にやったとか、そんなやさしい記憶はないのですが、
なぜか、道端の花で遊んだ記憶はあります。
住宅地といえども、途中には田んぼも残っていて、まだまだ雑草がたくさん生えていた時代です。
ぺんぺん草で、シャラシャラ音を立てたり、チカラシバを下からグーッとしごいて
「いがぐり~」とやったり、たぶん、買い物の途中で道端の花を使ってやったと思いますが、
日ごろ遊んでもくれない母が、思えば雑草の名前をたくさん教えてくれてました。
あれはきっと、当時は帰るにはあまりに遠いふるさとでの暮らしや、子供のころを、
思い出していたのではないかと、今になってそう思うのです。
晩年は新幹線もとおり、父も車で遠出が好きな人でしたから、年に数回は、
京都への里帰りをしていましたが、そうできるころには、
ふるさとの風景は、ずいぶん変わってしまっていたのですよね。
母のことを書き始めると、ありすぎて話がつきません。
有名な人の命日を「~~忌」と言います。私は母の命日に勝手に「絲花忌(けいかき)」とつけました。
「絲」は「けい」とか「し」と読みます。「いと」とも読みますね。「撚糸」のことです。
布も糸も、毛糸も、レース糸も、大好きな人でしたから。
天国のお花畑で編み物しながら「なんや、こそばゆいわぁ」と言ってるかもしれません。
おまけ写真です。奈良の前に里帰りしていまして、母の実家の前で撮りました。
これが現像されてきたとき、全員が笑いこけました。真ん中、目つきの悪いのが私です。
左が母、あとは私のいとこたち。それにしても、なぜか全員がバラバラの方向を向いてます。
スナップ写真って、こういうのがおもしろいんですよね。
いやぁ存命のころ、特に若いころは、よくぶつかりましたよ。
年を取ってからは、友達というか「戦友」…なんの?みたいな、
たくましい女が二人で、わがやと実家の男ドモは、
いつもみんな「しずかです」…。
いつかは送るもの…と、思っていましたし、
はい、さようなら…ではないとわかっていても、
これほど大きな存在だったのかと、
改めて思っています。
ほんとに、あっというまですねぇ。
あらら?と思いました。母と娘って、なんかフシギです。
お嬢さんとも、結局何気ないことが
積み重なっているのですよね。
悲しい寂しいをすぎて、懐かしい、ありがたい…でしょうか。
私もなにかにつけ、思い出し、母とおなじことをしているなと…。
母娘というものは、そういうものなのでしょうか。
写真がいつも目の前なので、
いろいろ話しかけたりしていますが、
たまに返事があるような気がしています。
なんだか日が経つにつれて、思い出すことが
多くなった気がします。
父親を忘れているわけではないけれど、
やっぱり母親ってすごいものですね。
息子がちょっと風邪気味で、仏壇にお線香を
あげにいかれなかったので、
自宅の写真の前でお香を焚きました。
もう3年ですかーなんだか信じがたいほどです。
私が逝った後に娘はどんなことを言うんだろうと考えてしまいました。
こんなに古着ばっかり残して!とぼやくんだろうなあ~
とんぼさんとお母様のような関係が築けたらなあと思います。
お母様を思われるとんぼさん
とんぼさんに思われるお母様
素敵ですね
はてさて
私と母 私と娘達
どんな想い出があるのやら・・・
早いものですね。
とんぼさんの語りのなかに
生前のお母さんの姿が
忍ばれます。
私もちょっとしたしぐさに
母を感じて、
似てきたわ、なんて
思うことしばしです。
そろそろ悲しみをこえて
懐かしさを感じはじめるのが
今のころからなのでしょうか。
たくさん思い出と語らって
くださいね。
母親の事って何年経ってもこんな事を言ってた
こんな事をしてくれたと事あるごとに思い出し
ますね。
私も今日は久しぶりに実家の仏壇にお参りして
きました。