記事を書きあげないうちに、昨日は急な来客で…。
昨日8月9日、二度目の「祈りの日」でした。
テレビの前で、黙とうしました。
毎年今頃は、戦争関係、原爆関係の番組が多く放映されます。
30年前は、当時まだ壮年だった被爆者の中には「話したくない、忘れたい」と言う気持ちを持つ人も
多くいたと思います。それは当然だと思います。
しかし、5年10年と経ち、被爆者自身が年を取るにしたがって、
「やはり語り伝えなければ」という思いにかられ、言葉にして伝えてくれる人が増えてきました。
ここへきて…今度は「それを聞く側」の変化に、「語り部」となった人たちが困惑している…
というリポートをいくつか見ました。
以前、広島で中学の修学旅行生に話をしていたら、なかなかちゃんと聞いてくれない生徒がいたので
注意したら「死に損ない」と言われた…という「事件」がありました。
同時に「スケジュール上時間がないから」と、引率の教師にせかされて、ろくに話さないうちに「はい、移動」…
そんなこともある…という話もありました。
今回は、語り部の人たちが「お話しますよ、させてください」と、打診しても、断ってくる学校が増えたと。
私はテレビや新聞の報道がすべて正しいとは思いませんし、企画した人の意図に合わせて
編集されてしまうこともあろう、と、そのあたりは考えながら見聞しているつもりです。
それでも、そのリポートのときに、断った側の教師と言う人が「あまり残酷な場面の話などされたとき
子供たちがそれに耐えられるかどうかと…」なんてことを言いました。はぁ?と思いましたわ。
また、別の女性は、学校で話をしたら「怖い話をするから、子供が夜ねられなくなった」など、
電話で抗議されたと…なんだか情けない思いがしました。
子供って、そんなにヤワではないし、一生それで寝られなくなるわけでもないでしょう。
あまり血みどろの映像や画像は、ちょっと控えるべきかと思いますが、
元々あのころの画像はほとんどモノクロです。またホラー話をするわけではないのですから、
お話の前にちゃんと打ち合わせをして、子供のための言いまわしとか言葉選びを
工夫することもできるはず。
子供がイタズラできないように、ライターの着火ボタンを固くした…なんてことがありました。
今でも固いです。力のない高齢者などは「つけるのに一苦労する」とか。
本当に「子供を守る」ということは、そういうことではないと思うのですが…。
そんな嘆かわしいリポートもあれば、高校生が「どうやったら、私たちがきいたことを若い人に伝えられるか」と
悩んだり泣いたりしながら、作り上げた原稿を読み上げて校内放送をしたり、
自分なりに祖父や祖母の軌跡をたどったり…というようなリポートもありました。
私は戦後生まれだから、戦争も原爆もしりません。
でも、今の若い方たちよりは、少し「昔」に近いから、その立場で伝えられることもあるだろうし、
私たちの年代でできること、もあるのだと思います。
まずは「忘れない」ことだと思うし「伝え続ける」ことだと思います。
子供は柔軟です。だから小さいころから「伝える」ことは、大事だと思うのです。
福島の原発は、いまだ先も見えません。あの中に悪魔のように眠っているモノは、
なぜ恐れられているのか、その「モノ」は、かつて広島や長崎に落とされたものと、
同じ恐ろしさを持つものなのだと…それは知っておくべきだと思います。
今日は久しぶりの雨ですが、夕立のように涼しい風が吹いて…はありません。
べたべたと気持ちの悪いひですが、水遣りをしなくていいだけ、ありがたいと思いましょう。
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