しっかり待たされた母の葬儀でしたが、おかげさまで本日無事、終了いたしました。
母がなくなったことをお知らせしてからというもの、
次々とお見舞いやお悔やみのコメント、メールをたくさん頂きました。
本当にありがとうございました。
花が大好きだった母のために、花の祭壇にしてもらいましたが、ほんとにきれいで華やかでステキでした。
最期にお棺の中に花を入れましたが、菊とアルストロメリア、トルコ桔梗と、母の好きな花ばかり、
真ん中は黄色のシンビジュームで埋まり、顔の両脇には
私の手のひらより大きいカトレアと白百合を父が置きました。
お別れがすみ、火葬場にいきましたが、昔よりはるかに短時間でお骨上げが始まりました。
お骨になって出てきた母を見て、私はやっぱり11歳の父のときと同じフシギさを感じました。
私たちだって皮の下は骨なのに、なんだか全く別のものに見えてしまって…。
でも、あれだけ足が弱っていたのに、膝の骨がしっかりと大きくて、説明をしてくださる係りの方が、
87歳では標準の量、骨のしっかりさ加減はとても長い闘病をしたとは思えないリッパなお骨です、と。
すべておわって、本当にほっとしました。父はまだ気が張っているようで、
親戚中から「ムリするな」「あとでがっくりくるから休め」と、わいわいうるさいほど言われておりました。
ほんまやで、じーちゃん。
夕刻、母は花柄のきれいな骨壷にちんまりと収まって帰宅しました。
京都の甥っ子が「すぐにつれて帰ってやりたい」といったので、ご住職様にお許しを頂いて、
火葬場で「分骨」してもらいました。手のひらにのるほどの小さな骨壷に入った「母の一部」は、
今頃すでに「懐かしい大好きなふるさと」に帰っているはずです。
小さなテーブルにのった「本体」と、父の「返事のない会話」は来年の納骨まで続くのでしょう。
私はこれから「残務整理」です。
今回「あらら~」だったのは…
火葬場は近年できたとても大きな場所でして、何基もの炉がありまして、
さまざまな遺族が、なるべく離れて火葬をすすめられるよう、込み入った建ち方になっていました。
それでも通路や二階の待合室で、何組もの葬儀に出会ったのですが…喪服を着ていたのは私だけでした。
かなりのお年の方も洋装です。なんだかなぁと思いながら歩いていましたら、逆にじろじろと見られてしまいました。
女の喪服姿は、色っぽいんだぞと内心そう思いながら歩いてたんですが…でへへ。
お話しが前後しますが、今回は車でしたので一式持っていって、斎場の待合室で着付けました。
久しぶりの着物が喪服かぁ…と思いながら着ましたが、着るとシャンとする、歩くと裾がしゅるっと翻る、
その心地よさを感じながら「ばーちゃん、きれいに見えるか?」とつぶやいてました。
答えが聞こえた気がしました「その出っ腹、なんとかしてからやな…」やせるって!
そうそう、きれいな着物も拝見しました。お通夜の途中、あまりの空気乾燥と線香の煙に、
薬で止めていた咳がとまらなくなりました。実は風邪引いてたんです。
お経の邪魔になると思い、一時外に出ましてゲホンゴホンとやって係りの方からお水をもらい、
ようやくナミダ目をフキフキ顔をあげたら…すっきりとした色喪服(濃紺か濃紫かという色)と喪服の二人連れ。
すらりと着こなし、髪もきちんと結い上げ、歩き方も堂に入ったもの。
一瞬「お茶の先生」とか、そういう方かと思ったら、いつもの呉服屋さんの奥さんと妹さんでした。
さすが~~!あとで女性軍に聞かれました「いい着物だったねぇ、誰?あれ」
そんなわけで、今回「着物」は私を含めて三人だけ…。なんか寂しい~。
あっもうおひとかた、パソコンの先生が、行かれないので…とお通夜より前に我が家に来てくださったのですが、
それだけのために、着物を着てきてくださいました。きれいな紫の着物…。
体はともかく疲れた頭には、その色目の静けさと優しさが嬉しくて…。
いつも控えめな方ですが、お気遣いのないようにとおっしゃりつつの母へのお心遣い。
その方は毎日着物を着るかたではありません。わざわざ…というその心遣いが嬉しくて…。
あぁ着物って、キモチを表し、心を伝えるものなのだと思いました。
かつてお通夜には黒は着ないものでした。
「取るものもとりあえず駆けつけました」の心として、羽織か帯を黒にする…。
私も母の縞のお召しに黒の一つ紋の羽織りを借りてお通夜に行きました。
祖父の葬儀の時の準備の間は、沈んだ赤紫の江戸小紋に黒帯、本番は喪服で臨みました。
私はまだ20代でしたから、一緒に準備をしてくださる方へ、遺族だからと上から目線にならないように、
という母の気遣いであったと、後で気がつきました。
まだまだ葬儀が自宅で行われていたころのお話です。
「喪」だから黒、という一直線より、その時間、その立場、その相手…そんなことに合わせて
着物の色柄を「失礼のないように選ぶ」「何度でも着替える」、
そういう手間を、日本人は惜しむことはなかったのだと思います。
さて、まだちっとばかしとっちらかっていまして、いつものペースに戻るのは来週かな…というところ。
「お香典のリスト」をつくるのにただいま「エクセル」で四苦八苦どころか七転八倒しております。
あぁ習ったのに思い出せないっ…おっできた…今どうやったんだ?
オットが横から覗いて何か言おうとして…「がんばれな」…助けてくれんのかいっ!
日常生活に戻って、寒さが増すこれからの季節、一人暮らしになられてしまったお父さまの日々が心配ですね。うるさがられるほどにお話に行ってさしあげてください。
とんぼさんもどうぞご無理なさらず、ご自愛くださいませ。
こちらもほっとしました。
今年の風邪はこじらせると大変ですから
ご無理されませんように。
父母との別れ、主人との別れ、義父母との別れ、
それぞれ立場の違いがあり、悲しみの深さも思いも
いろいろでした。済ませたあとの悲しみ、寂しさは
それはそれはでした。
自分の悲しみより、周りへの気づかいが先になったり、
しっかり、きちんと送ることが最優先だったり、
娘、妻、嫁と経験してきました。
お父様もとんぼさんがお近くでどんなにか心強く思われた
ことか、お母様も安心して旅立たれたと思います。
さすが師走の寒さです。どうぞ、体調に気をつけて
お過ごしくださいますように。
ホッとする間もなく、次々御用があるもの
ですね。弔問客の方々が帰られるといっぺんに
寂しくなりますね。
お風邪も引かれておられるとの事、くれぐれも
ご自愛くださいね。
濃いお身内の方でも喪服を着る方が減っている
のですね。
喪服で送ってもらって、お母様きっと喜んで
おられると思います。
どうぞ お父様を 大事にしてあげてください。
お心 お察しします。
とても寒い2日間でしたね。
これから、まだいろいろ大変だと思いますが、
とんぼさんも、お父様もご無理をされませんように。
着物姿の方があまりに少ない現実に、驚きましたが、
まぁ、そんなものなのかもしれないなぁと思う自分もいて
ちょっとさみしくなりました。
お骨になるというのは、本当に不思議な感じがしますね。
年上の友達の、親戚が陶芸家なのですが
お母様の遺灰をすべて持ち帰って、土と混ぜ焼き物を作ったそうです。
へぇ~そういうこともできるの~とびっくりな話でした。
とんぼさんの地域は影膳てあげますか?
祖父の時は私が影膳をあげていたのですが、仏さまのお下がりと思って頂いたご飯が、なんというか気が無くなった感じでたべられたものではなく、びっくりしました。
49日の間は結構食欲旺盛なのかも^^;
そしてお疲れ様でした。
私はこの年になってもまだごく身近な人の死というものを経験していません。裏返せば今後、どーっと一気にやってくるともいえます。
とんぼさんの文章を読んでいると、辛いとか悲しいという感情を包み込んだとてもおだやかな心で送ってさし上げた様子にとても感動しました。私も両親を送るときはこんな気持ちで送ることが出来るような関係でいなくては、と思った次第です。
寒くなってまいりましたし、何日かして疲れが出るということがあるかもしれません。お体に気をつけてお過ごしください。ご無理をなさらぬよう・・・
ありがとうございます。
なんとか終わりまして、ほっとしています。
父は、後の整理にまだ走り回っており、
こちらが行く前に、向こうからちょこちょこきます。
フットワークの軽さは、とても76とは思えません。
もう少しあとになったらさみしくなるんでしょうね。
ありがとうございます。
花の祭壇に、皆様からの花が更にならんで、とてもきれいでした。
母も喜んでくれていると思います。
風邪も気が抜けたら、咳がぶり返しました。
きをつけなきゃです。