日々の雑感をお話しする(時々動画)ブログです。

仕事漬けの毎日なので、仕事の話は多いですが、色々話します。

置き去り

2023-08-29 18:46:32 | 日記


今日も暑い。

崩した体調は良くならない。
でも、仕事は消化しなくてはならない。
理由なんか関係ない。要は、契約を遂行するかしないかの問題だけだ。
100%終わすか終わせないかだけだ。

背筋が凍る様な想いよりは良いかもしれない。
3歳か4歳の時、着飾ったお袋が本屋に連れて行ってくれた。
本屋は子供の時から好きだった。
そして、絵本を一冊買ってもらった。
そんなことは滅多にないことなんで、喜んだ喜んだ。

そしてお袋の実家へ行った。
いつもなら嫁に行ってない叔母がミシンで裁縫の内職をしていた。
だが、その日に限っていなかった。
こたつの上に絵本を置き、俺の後ろに座り読んでくれた。
5〜6ページ読んだところで、「ちょっと声を出して自分で読んでごらん。」
そう言われて俺は夢中で読んだ。
そういう出来事自体が珍しかったから。普段かまってくれなかった。

夢中で読んでいて、はっ と後ろを見たらお袋は居なかった。
トイレにも台所にも居ない。
裸足で外を追ったが居なかった。

そして泣き叫んだ。
いくら泣き叫んでも誰も来ない。
叔母が帰って来たのは夕方だった。
「○○ちゃん、どうしたの?お母さんは?」
俺は首を横に振った。
全てを理解した叔母に慰められ、そのうちその下の叔母が帰って来た。
「あれ、どうしたん?」
上の叔母が訳を話すと、「置き去りにして行くなんて何てこと」
と怒っていた。

お袋の実家に預けられるのは日常茶飯事だったが、置き去りは初めてだった。

体調を崩すとこんな事ばかり思い出して辛い。
しかし、誰にも話せない。話す人が居ない。
言われても困るだろうし。

ちょっと今回の体調不良は長いぞ。暑さにやられて身体もダメージを受けているから
だろうか。

退屈な話をごめんなさい。

認知症の叔母を看取る

2023-08-27 20:27:17 | 日記
看取ったのは2011年だった。
やっと思いだした。

叔母の配偶者である義理の叔父が自死し、一週間後に近所の人に発見され警察沙汰になり、親父の本家の叔母から俺の母親に、行ってきて欲しい との話があった。行ってみたら叔母は認知症がひどく叔父のこともわからない状況だった。
取り敢えず叔母は1週間の約束で区役所が話をつけた施設に預けるから、1週間以内に迎えに来いと母親に押し付けて、そんな状態で帰ってきた。
母親は困り俺に連絡してきた。兄貴はそういうことには絶対に協力しない。
叔父が孤独死して警察沙汰となり、大変なことになったときも俺が親父と東京に部屋の片づけやらなんやらやりにいった。
親父が死んでいるから、母親には叔母の扶助義務はないのに、区役所は家族だから、と押し付けた。
翌日俺は仕事を休み区役所にいった。ああ、場所は東京だ。区役所はあんたは甥っ子ならば家族なんだから、とっとと栃木へ連れてって面倒みてくれ、の一手張り。俺は強く反発し、時間が短すぎて栃木での受け入れ先が見つからない。あんたらそれくらいわかるだろう!言い返した。
すったもんだした挙句、栃木での受け入れ先が見つかるまで預かってくれる有料老人ホームを紹介された。移動は当然俺がやった。そして、お袋と2人で町中の施設を頼んでまわった。十数件行ってやっと見つかった。
そして、俺がクルマで栃木へ連れて来た。
叔母は年金に加入していなかったので、叔母の家にあった現金だけがたよりだった。洗濯料金などをいれると月10万円になる。そして、特養は申し込んだが5年まちだとか言われた。短期入所の老健は半年しか居られない。しかし、ケアマネージャーさんがいい人だったので、半年すると知り合いの短期入所の施設に移し、また半年すると戻ってくるといったことをやってくれた。
結局4年後に看取ったのだが、地獄だった。
なんか、地獄だったという話が多いな。

だめだ、ここまで書いたら調子が悪くてダメだ。
そんなこともあったなあ、という話。


完治不能

2023-08-27 19:57:02 | 日記
明日も明後日も天気予報では、最高気温が37℃になっている。
明日、明後日は砕石工場の点検に行くんだ。ほんとうにきつい。考えたく無い。
31日に幸せな時、または究極の地獄が待っているから、頑張らないとなぁ。
苦あれば楽ありか。苦あれば苦の可能性もある。
昨日突然具合悪くなり、今日は休みだが見事に何もしないですごした。
ずっと寝ていた。
「お父さんの病気は一生治らない。だから私は・・・」
という連れ合いの言葉が頭の中で反芻されなんかきつい。
確かに、先生からも「今の環境でいる限りは、直すのは難しいです。」
そう言われていたし。
それは、自分が一番良くわかっていることだ。
だって、人は辛くない。辛いのは自分だ。
なんか辛い一生だったな、と今日しみじみ思った。
独り言だよ。

もう光は見えないか

2023-08-26 20:35:04 | 日記
前回親父が服を引き裂く様子を思いだしたせいだろうか。
また朝4時に薄目ごしに見えた景色が夢の中でフラッシュバックし眼が覚めた。

家の中心部に当たるところにある柱に親父がお袋を押し付けて、顔を殴っている場面だ。
実際には何度もそんなことはあったので、具体的な経緯とは関係なくその場面が象徴的に浮かんだのだろう。
最近多い。小さなころの辛い記憶が突然現れる。
もの凄い殴り方なんだ。拳を後ろに振り上げそれで顔面を殴る。
凄く恐ろしい景色だ。
これからも忘れていた怖い景色がフラッシュバックするんだろうか。

もう昔のことで両親共この世に居ないのだから関係ねえだろうに。
何でこんな歳になって次々に思い出すんだ。
病気のせいだろうか?

こんな思い出を人に話しても聞いてはくれない。
俺だって人から話されても困るだけだ。
だからどうしてくれ というんだ。

そう、こういうことがあったとここに書いているだけだ。
苦しい心を宥めてくれる人なんか一人もいなかった。
これからもそうだろう。

ちょっと今日はあぶねえようだ。
早く寝てしまおう。
つまらねえことを考えないうちに。