日々の雑感をお話しする(時々動画)ブログです。

仕事漬けの毎日なので、仕事の話は多いですが、色々話します。

情け容赦なし

2024-03-25 16:20:25 | 日記
経営がうまくいかない。
何もかも病気のせいにしたくはないが、病気が無ければもっとうまくいっていたはずだと思うことが多すぎる。
病気が無ければもっと馬力を出して、仕事を貪欲に確保し時間もかまわず働ける。今の状態でも、主治医はもう無理だと何年も前から言っているが。
仕事にいくのがしんどい。
しんどくて家で寝込んでいても、停電したからすぐに来てくれと言われれば行かなければならない。休んでいても呼び出される。
きつくて休んでも、代わりはいないから単にその日にこなさなければならない仕事が後日に動かされるだけで、一か月にやらなければならない最低の絶対量は何が何でもやらなくてはならない。
前世で悪事を働いて、その罰で今はこうなっているんだろうか?
などと訳の分からないことを考えてしまう。
助けて欲しいと思ってもだれにもたすけられない。
せめて労いの言葉だけでもかけてくれないかと思うけれど、そんな言葉をかけてくれる人は一人も居ない。
情け容赦のない人生。いつまで続くのか?
自分で終止符を打ってもいいんじゃないか。づっと一人きりで頑張ってきたのだから。終止符をいつ打つか自分で決めても。

蚊帳の外

2024-03-14 20:42:43 | 日記
今日も4時起き、4時半出発、5時から作業。終わって今12時半。帰ってきた。ちょうど一か月前から一日おきに早出仕事が続いている。三連続の日もある。二日空くことは無い。明後日から3連日で早出だ。早出というのは4時とか5時に出発すること。6時頃の出発では早出には数えていない。
その間に、高圧の停電事故(自分のお客さんじゃないところ)が起こり、日を空けて2回起こり、2回目は一回目より重症化しもう3回目が来たら仮の復旧は不可能だ。その事故は完全に背負ってしまった。最後まで面倒見なくちゃなんないんだろうな。
一日おきの早出はほとんど自分のお客さんの年次点検。
応援を頼んで手伝いに来てもらっているのだが、応援を頼んでいる人はほとんど所属する協会に入ったばかりか、仕事をよく知らない人。仕事を教えるのと、仲間がいねえだろうと声をかけて来てもらってるんだけど。
何年か前、一人のまだ入ったばかりの人が、「俺はこの協会に入って得られたものなんかねえ。手伝いに呼ばれるけど掃除ばかりで試験機なんか触ったことねえんだ。」そう言っていたんで、毎週呼んで試験機の操作の仕方を教え、保護継電器による試験方法など教え込んで、自分で出来る様になったけど、「俺は〇〇さんにだけは感謝していて、入会したばかりのころ仕事がない時に呼んでもらって感謝してるよ。他の人はダメ。」そう去年俺のいるところで言っていたので、呼ぶのをやめた。〇〇さんは俺じゃない。他にも、毎週のように呼んでいるけれど、みんな自分の仕事の時には俺を呼んでくれないんだ。とても寂しいよ。
一緒にやってる人がいるからとか、グループをつくってやってるんだとか、昔からの電気関係の知り合いがいてそいつに手伝い頼んでるんだ、とか。
別に恩を売るつもりはないし、仲間に入れてくれとも言わないが、たまには呼んでくれてもいいんじゃないかと寂しく思う。教えるだけ。払うお金のお礼は言われるけど、教えたノウハウについてはお礼なんか言われたことはない。
高圧的なことを言ったことなんかないし、お金はらってんだからとか威張ったことないし。逆に応援に来てくれてありがとうと言っているんだけれど。
この物凄い孤独感は今に始まったことではないのだけれど、若いころからそうだった。子供の頃からそうだった。子供の頃なんか、普通の家庭の子は相手にしてくれないから年上の友達とばかり遊んでいた。
学校は不登校が多いから友達が出来ない。数すくない相手になってくれた友達も出来たが、お金のかかる遊びは仲間に入れないから遠くからみているだけだったし、集団で遊びに行くのも声をかけてもらえなかった。
全て蚊帳の外。
誰からも俺という存在は順位の低い存在なんだろうなぁと思うことが多く、
プライベートなことを話せる人は皆無だ。lineでやり取りする個人的な人も居ない。仕事もみんなはlineでやり取りしてるようだ。俺にはみんなIDは教えてくれない。
何の話も声がかかるのは一番最後なんだよね。
人に親切に接していれば必ずいいことがあると20年前までは信じていた。また、人のために一生懸命頑張れば必ず自分に報いてくれると信じていた。
騙され、嘘をいわれ、極限状態まで働かせられ、やがて病気になるまでは。
でも、そんな人ばかりじゃないし、きっと優しくしてくれる人は居るだろうと信じて独りになってから頑張った。本当に優しい親切な面倒見の良い仕事の先生である先輩に恵まれ、頑張ってきて良かったと心底思っていた。しかし、それは長くは続かなかった。一人になってからほんの数年で先輩は旅立ってしまった。また病気は悪化し、しかし仕事は待ってくれないから無理をして、また悪化してとそれを繰り返してきた。
でも、いちまつの望みを持って、「人に親切を持って接し、誠意をもって頑張っていれば、いつか必ず受け入れてくれる人は現れる」と信じて頑張ってきた。でも、もう諦めた。「自分のことを受け入れてくれる人は絶対に現れない」そう思った。ならば、お礼なんか要らないし俺のこと受け入れてくれなくても構わないから、稼いだお金は困っている子供にご飯を食べる資金にしてもらうために、こども食堂に寄付を始めた。というか前からしていたが、最近特に額が大きくなってきた。もうそれでいい。見返りなんかいらない。

苦しい人生になってしまったのはみんな自分が悪いんだろうか?
こういうことを考える自分が悪いんだろうか?
騙され、裏切られ、死ぬ寸前で病気に気が付いて医者のおかげで生き延びてきたが、そんな生き延びる価値のある人生だったか?
自分の望みは叶わない人生だった。というか、苦しみを消すことが出来ない人生だった。望みなんか何も叶わない。苦しいことは今も増えていく。
なんだか疲れた!


ちびまる子ちゃん

2024-03-10 20:44:31 | 日記
TARAKOさんの訃報を読んでとても残念だった。
ほぼ同じ年。自分ももういつどうなるかわからないなぁ。
前日に鳥山明さんの訃報をテレビで見て、俺らにはドラゴンボールよりあられちゃんが身近で懐かしく、そして残念な思いがわいたところだった。
同年代の人がどんどん亡くなっていく。それは仕方のないことなんだけど。
そう割り切れないのが人情というものだ。
神田沙也加さんが亡くなってから松田聖子さんをめっきり見なくなったが、大丈夫だろうか?
19歳の時に、「TVジョッキー」という人気番組があってその「奇人変人コーナー」というのが大人気で、空手道場の師範代がバット折りでそれに出演することになって、テレビ局に同行した。1度目はオーディションでバットを脛で折るというのは大変受けたが、同行しているあんたらも何かやってくれよということになって、ブロックを台においてガソリンをぶっかけ火をつけてそれを手刀で割るというのをやった。本番でそれもやることにきまり、本番当日スタジオ入口で出番を待っていると、松田聖子さんがスタジオ入りした。入るときに俺をテレビ局の人と勘違いしたらしく俺に向かって「おはようございます」と挨拶してきた。俺も「おはようございます」と返したが、小さくて細くちょっとその辺には居ない女性だったよ。思い出だな。
子どもを亡くした親の気持ちはよくわかる。倒れないように心のケアをして欲しい。
一方、普通のそこらの親父の俺は先日の自分の客ではない事業所の地絡事故について、仮設を立てて測定をして分析をしてみた。
たぶん仮設は正解だったようだ。

高圧ケーブルの5000Vを10分印加して漏れ電流をプロットしたデーターをグラフにしたもの。
この波形ではもう寿命が来ていると説明した。
工事屋さんと公共施設の担当両者からケーブルの発注をかけた。2か所からかけたほうがいいからと。先に入ったケーブルを使おうということになった。
なにしろ280mある。1年くらいかかる予想だが、再送電は成功したがまたいつ落ちるかわからない。そう長くはもたないだろう。
俺は、役所の人に「建設機器レンタル屋で工事用発電機の200KWとか300KWとか大型のものを借りて、どうしても電気を送りたいところへ送ったらどうですか。」と進言した。そうしようということになったが、工事屋さんが暗い顔で、発電機を外に置いて電気室に引っ張り込む低圧用のケーブルも入ってこないんだよ。そうか・・・
憂い事は当面続きそうだ。
地絡継電器が働くたびに呼び出されるだろうな。
もう疲れた・・

電気事故は待ってくれない

2024-03-08 18:55:20 | 日記

先日地絡事故を起こした事業所の絶縁の低い連絡ケーブルの交換工事店さんでやり、俺が耐圧試験をやり、その他のところの絶縁抵抗を測定し、受電所からこの電気室までの引き込みケーブルの絶縁診断をやった。
ケーブルを交換しないと、今日は送電成功してもまた地絡を起こすことを力説して、ケーブルを交換することになった。しかし、ケーブルが入荷しない。コロナ禍から、能登半島地震の影響で電材が極端に入らなくなった。
今度落ちたらケーブルが届くまで送電は試みないということで話はついた。
そうなると、市民への大きな影響となる。
ここは受託しているお客さんじゃないんだけど。なんでこんなことばかりにかかわってしまうのかなぁ。俺はこういうのおおいよなぁ と考えながら帰路についた。