日々の雑感をお話しする(時々動画)ブログです。

仕事漬けの毎日なので、仕事の話は多いですが、色々話します。

緊急出動と無感情

2020-07-23 21:41:13 | 日記
「ただの電気屋」を目指す!(ふざけていません)

晩ご飯を食べていたら漏電通報が来て出動しなければならなくなった。

作業服に着替えて出発した。
雨がだいぶ降っていた。
なんとなく漏電箇所の心あたりがあった。
根拠は無いんだけれど、勘でなんだけれど。
まあ、勘どおりで1時間くらいで漏電箇所を切り離すことができた。
良かった。良かった。

最近は緊急出動があっても以前ほど苦痛とは思わなくなった。
自分で自分に演技をしているんだろうけど、「無感情」になったから。
「無感情」って自分でつくった造語だけれど。
苦痛とか、やろうとしていたことが出来なくなったとか残念に思う心を
わざと感じないふりをする。そうしないと耐えられないから。
何も考えない。ようにしてるんだ。

ただ、こうして動画に撮影してみると明らかに声のトーンがおかしい。
恥ずかしい限りだけれど。

この「無感情」。
一生やんなくちゃなんないよな。

もう一つ。
お客さんである何十人かの社長さんたち。
その方々ともお付き合いしなくちゃなんない。
いいにつけ悪いにつけ会社の社長って癖の強い人が多い。
ただでさえ人付き合い苦手なのに、苦痛この上ない。
まあ、これだけは仕方ないな。
請負って、「請け」「負け」と書くんだよな。
お金をもらう方が負け。
対価を交えて同等な立場 というのは日本では中々無い。
というか、全くそういう経験は無い。
千円でも料金を受け取ったらお客さんだ。
そう心して自営となった。
電気の保安とお客さんとの上下関係というのは時にとても難しい事態になることがある。
もう明日にでも高圧の電気事故が起きそうな時。
それは幾度もかいくぐって来たけれど、大変な労力を要する。
生半可な説得では無理だ。
高圧部分の改修工事はものにもよるが、小さなことでも30~50万くらい簡単にかかる。ちょっと重要なところをやれば百万を超える工事が普通だ。
心して社長たちに対峙しないと、電気事故の責任は自分に降りかかってくる。

また面倒な話になってしまった。
まだ折れた心は完全に治ってないので、難しい話はあまり考えないように。
それも「無感情」で。


心が折れた日

2020-07-22 18:39:00 | 日記
やさしいただの電気屋への道(ふざけていません)


早く梅雨明けになって欲しいよな。

腰が痛くて仕方ない。

草の成長がすごくて大変だ。
来週は砕石工場へ行くので憂うつだよ。

折れた心はようやく良くなってきた。
昨年亡くなった友達の一周忌だったんだ。
急だったから昨年は本当に悲しい思いをした。
歳が下だった事もあり本当に悲しい。
唯一の同業者の友達だった。
歳は下だったが電気の技術はピカイチだった。
実務も知識も何もかも敵わなかった。

この業界に入った時に実務と安全教育をたっぷり教えてくれた師匠も亡くしてしまった。
よく釣りに一緒に行った先輩も亡くなった。
そして歳下の友達も失くしてしまった。
どうやらこの電気の業界で孤独になってしまった。

そんなところへ三浦春馬さんの訃報を聞いたら悲しくて心が折れてしまった。
友人はたくさんいたそうだが、埋め合わせできない強烈な孤独に陥ってしまったんだろう。

久しぶりに動画を撮って自分の声を聞いたらとてもか弱く小さな声で、編集でトーンをあげても
良く聞こえない。
「ああ、ちょっとやばい状態だったな。」
そう自分で気づいた。
自分の姿を見ることや声を聞くことは昔から大嫌いだった。
容姿と声についてはコンプレックスのかたまりだった。
小中学校の時は情け容赦無い容姿への悪口を言われた。
それが同級生だけじゃなく先生からも言われて学校行くのが辛かった。
不登校にもなった。
不登校は高校を卒業するまで続いた。
「虐められない自分をつくるには勉強しか無い」と中2のある日思い立った。
成績は後ろから数えた方が早かった。
勉強の効果が出るのに一年掛かった。
当然、不登校を続けながら勉強は続けた。
成績はトップまでは行けなかったが上位に行った。
悪口は言われなくなった。
次は身体を鍛えた。
全ての結果が出るまでには中3の後半まで掛かった。
だけど、高校でまた不登校になってしまった。

長い思い出話になったな。

子供の頃の体験は大人になっても大きな影響をあたえるよ。

自信なく育った自分は大人になってもそうだった。

また、社会人になって自分に良くしてくれる人を疑うということ、自分に近づいて来る人を
疑うということが出来なかった。
だから、裏切られたり去って行く人に対して理由がわからず苦しんだ。

自分が人に近づいて行く時は考えたままに、良かれと思って何でもするけれど
全てが人に受け入れられる訳じゃ無い。
健康保険証を拾って、悪い人に悪用されたら大変だからと速攻でその人に届けてあげたら
とても訝しげな顔をされて悩んだ事もあった。
警察に届ければ良かったんだよな。
困ってるだろうから一刻も早く との思いだったけど、確かに怪しい人に見えるかも
しれない。
人を自分の利益にするために利用しよう とか考えたことは ないのだけれど
誤解されるかまたは嫌われるのが怖くて、積極的に人にコンタクトするのは今でも嫌だ。

自分でした事で自分を傷付けて勝手に心を折ってきた人生だったな。


腰痛なので勉強を

2020-07-21 22:00:00 | 日記
腰?っーか右足の大腿骨の頂上がヤスリをかけられている様に痛い。
そんで、そこ痛いのと同時に痺れが出てきた。
左足の痺れとかかとから前の感覚が無いのは相変わらずだ。
立っていると痛い。
座っていても痛い。
椅子に座っているのがいちばん楽なんだけれど、心もちょっとへし折れているので胸も痛い。

今日も点検に出かけずに家で過ごした。
雨が降っている。
梅雨の終わり頃から梅雨明け直後がいちばん腰が痛い時期だ。
緊急呼び出しが無い事を祈りながらおとなしくしていた。

ボーっとテレビをみていても、GO-TOキャンペーンの批判と新型コロナの感染者が増加している話ばかりで、結論と正解の無い話ばかりで頭が疲れる。

思考力と判断力が錆び付いてしまうと電気の本を取り出した。





これは難しい本。
ちょっと読むと睡魔が襲って来る。

だから時々気付に下の本の問題を解いてみる。
電気理論は簡単なものだけれど、配電や高圧受電設備の問題など結構実務に即した
問題で解いていて楽しい。




やる事が無いと電気の本に行ってしまうってのは、電気中毒だよな。

普段は「ああ嫌だ」と思いながら仕事行ってんだけどねぇ。




辛かったんだろうね。三浦さん。

2020-07-20 21:00:00 | 日記
昨日テレビで三浦春馬さんの訃報を聞き驚いた。

まだ若くこれからの人だったのに。
本人はとても辛かったんだろうな。
テレビやネットでは理由を色々憶測しているけれど、本当の事は本人にしかわかるはずはない。
と思う。

以下は、一般論です。

そういう心理状態になった人にしか理解は不可能だ。
それはいっときの何某かの理由なんかじゃないと思うよ。
長い時間、とても孤独だったんだろう。
いや、友人や同僚や親身になって付き合ってくれる人がいても、そういう人と接している時はそうじゃなかったんだろうけど、ふと一人になった時深い穴に落ちるような孤独感があったんだろう。
一瞬なんだよ。
だれか「疲れただろう?少しお休み。後ろ向きな時があってもいいんだよ。」
その一瞬の時にそう言ってくれる人があったら留まったかもしれない。
そばにいる人じゃなくてもいいんだ。
メールでもラインでも、スマホ越しの話でもいいから。
「もうちょっとだけ頑張りなよ」
「もっと前向きに生きなよ」
とは言わないで、
「後ろ向きでもいいから、少し何もかも休んでいいんだよ。やめてもいいんだよ。」
と言ってくれる人がいたら留まったかもしれない。

いや、自分の憶測に過ぎないけれど。

自分で自分を という病気又は病的な状況になってしまった時には、
一瞬やってくる孤独感を慰めてくれるのは 労い と あなたが必要です という
自分を受け入れてくれる安堵しかない。
その安堵を与えてくれる人が居ないとどんなに仲の良い友人や仲間が何人いても、一瞬の魔が襲ってくる。
一瞬なんだよ。
何で言い切れるかというと経験があるからだ。

安らかにお休みください。


障害受容とまだ出来なかった気持ちの整理

2020-07-17 21:59:00 | 日記
ご迷惑をかけてしまった方のSNSへ書き込んだうっとおしいだろうと思う書き込み
は出来る限り消しました。

本当にごめんなさい。

何でも一人よがりな、勝手に人のためと思い込んでしまう行動は反省しています。

大変な状況の方を見ると、どうしてもそういう方々の親の気持ちを思ってしまうのです。
いろいろな難に遭った方々や災害に遭ってしまった方々の親御さんの悲しい気持ちを考えてしまうのです。

だから人に迷惑をかけていいかと言うと決してそんな事は無いのです。

息子の障害がわかったのは3年前。
大学卒業の直前だったのです。
様子がおかしいし、就職は決まらないし、一体どうなっているんだと問いただしたところ、言っていることにとても違和感を感じ、ひょっとしたら病気なんじゃないか?もしもの事があったら大変だからと受診したのです。

私は一人で医師に診察の結果を聞きにいきました。
「残念ながら病気ではありません。脳の障害があるので直すことは出来ません。」
そう言われました。
もうパニックになりました。
「だって子供の頃から人見知りせず、知らない大人の人にも話しかけて世間話をするような社交的な子だったんですよ。」
そう食い下がったが、
「いえ、そういう障害とちょっと違うのです。物事の考え方が根本的に違う。健常者と考え方が違うんです。」
打ちのめされた。
それから発達障害者支援センターという各都道府県にある国の施設に相談に行った。息子をつれて。そこは交通事故などで障害を負ってしまった人のリハビリセンターや病院が併設された施設だった。
「心理療法士」のところへも、医師の紹介されるままに何カ所も行った。

何も解決の糸口を見つけることが出来なかった。

ほとんどが、「本人に就業意思があり、それを障害に合わせて支援する」というのが国の施設の存在する理由だった。
「希望すれば、障害者枠でハローワークを紹介します。障害者手帳の取得のお手伝いもします。」
という事だった。
頭を思い切り殴られたような感じだった。

地元の進学校に進み普通に大学に入学しもう少しで社会人というところで、突然障害者になってしまった。
いや、生まれた時から障害があったのだけれど、親として気づいてあげられなかったのだ。
もう、死んでしまいたかった。
「だめだ。俺が今いなくなったらみんなの苦しみが増えるだけだ。」
そう自分に言い聞かせ、施設への相談、専門の先生への相談、発達障害者の親のためのセミナーなどを探し、女房を連れて行った。
全部自分が探して動かないと、道は開けない状態だった。
本人に就業したいという意思が無く、何もしたい訳じゃない。
普通に聞くとただの怠け者に聞こえるだろう。
しかし、そういうものの考え方が出来ない。

「これは、自分たちが生きているうちに一人で生きていけるような術だけ教えるしかない。やってあげられることはそれしか無い。人はあてに出来ない。医師も支援センターもダメだ。」
そういう結論に達し、まずは助手として自分の仕事に同行させた。

しかし、危険極まりない電気の仕事なんで大変疲れた。
いろいろな人と接して自分なりに何か考えたようだ。
しかし、それは本当に小さな一歩で、普通の人のように努力して自分の知識を増やすとか、自己啓発するとか、そういう考え方が出来ないので、とてもつらい。
一生アルバイトかもしれない。
でも、アルバイトでも続けていければいい。
結婚の願望もないし、恋愛などには興味がないそうだ。
普通に聞いていたら腹が立つ。

しかし、そういう脳の思考回路らしいので修正が出来ない。

とにかく、一人で生きていってくれればそれでいい。
多くは望まない。
親として切なる願いだ。
親が子供に願う事なんて、無事に生きていて欲しい それだけなんです。

色々な障害があっても前向きに進んで行く人たちがたくさんいます。。
そういう方々は、必ずや幸せな何かをつかむことが出来ると思います。
頑張っている人がいると力になりたいと思うのはそういう事だからです。

息子は幸せになりたいとか、自己啓発しようとかいう発想が出来ないのです。
前向きに何かをするとかが出来ないのです。
何かを目標に頑張ることの力になってあげることが出来ないのです。
術を教えるしかないのです。
とても悲しいです。
現実からは逃げられません。
でも、私がいなくなれば、生活していく糧をどうにか最小限得ていけるような感じになりました。希望的観測もありますが。
むしろ、いなくなった方が自立していくんじゃないかと最近は思います。

明日は去年の台風の最中に守った施設の改修が始まります。
命がけで守った施設だから、早く元に戻って欲しい。

そして、平穏に暮らしたいです。