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念力と体と気持ち 3

2009-07-04 11:49:16 | 意識とからだ
前回からの続きです。

その頃のわたしは、
「わたし」が、「体」と「思い」を管理している、と
思い込んでいました。
ところが、体も、思いも、まるでタッグを組んだように
わたしのコントロールを巧みに逃れ、
あえて苦渋を選択するかのように
勝手に独自の世界を作っていきました。

わたしは、そんな自分の体と思いに疎外感を覚え、
為すすべもなく、生きる力を失っていきました。
死というよりは、麻痺に向かって。

息子が死んで、すでに5年が経っており、
当時独身だった相手は結婚して、
3人目の子供の誕生を間近に控えていました。
わたしはといえば、今にも停止しそうな自分の人生と、
まるで何事もなかったように順調な相手の人生を比べ、
「なぜ?」の問いかけを発するのがやっとでした。

「わたしは、娘の寝顔を見るたびに息子の死に顔を思い出し、
 心のなかで悲鳴をあげながら踏ん張っているというのに。
 苦しむべきなのは、謝罪しない相手の方ではないか」と。

そんなある日、インターネットで
「スピリチュアリズム・ブックス」というサイトにたどり着きました。
そこで、無料公開されていた
『シルバーバーチの霊訓』という数冊の本を読み終え、
胸に沁みこんできたメッセージ。

『連綿とした生命の営みの背後には、
 人間が計り知ることのできない、偉大な摂理が働いています。
 誰一人として、その摂理から逃れることはできません。

 本当に、相手が重大な過ちを犯したのだとしたら。
 あなたが「責任をとるべきだ」と相手に迫らずとも、
 果てしなく続く生命の旅のどこかで(この人生とは限らず)、
 相手自身が、いつかその重大な問題に気づいて
 自ら責任を負う、負いたいと思う時が必ずやってきます。

 だからあなたは、誰を裁くことなく、
 あなた自身の人生に、責任と喜びを持って生きなさい』

あぁそうだなあと思って。
事件当初、わたしは相手の更正を信じ、
以後ずっと、相手の人生を応援していくつもりでした。
が、それは、
「相手がちゃんと謝罪したならば」という条件付きでした。
結局その条件を、相手は満たさなかったのですが、
元々、そんな条件を付ける権限はなかったのだと、
この時ようやく、わたしは気づくことができました。

霊的未熟さと、生まれて30年そこそこの人間の価値観で、
わたしは一体、誰の、何を、裁こうとしていたんだろう。
わたし達は、自分自身を生きるために、
それぞれの真実のなかで、精一杯生きているだけ。
わたしも、相手も、そして死んだ息子も今もどこかで。
偶然出合った書物に、思いがけず答えをもらい、
わたしは人生で初めて、全身全霊で泣き、感謝しました。

そして、落ち着いて考えてみたのです。
息子の死後、わたしの心身や人生に起きたことを。
それは、
「謝罪しないなら、そんな相手などこうなってしまえばいい」
と、わたしが相手に対して、
無意識のうちに望んでいた苦境そのものでした。

 『潜在意識は、自分と他人の区別がつかない』
 『潜在意識は、現実と想像の区別がつかない』

この事実を知ったのは、ずっと後のことです。


次回に長引きます。