ここ数年日帰り温泉&サウナが、もめずに夫婦一緒にできる唯一のことかも・・・笑
なるべく大きなお風呂で、サウナもあって、出来ればイモ洗い状態にならない処
なんて思いながら行きますが、あまり時間をかけずに行けるので、
東和インター降りてすぐのこちらには、一人でも、こっそりと・・・笑
時として遠野人に会うのが難点です。(;^_^A
さて、
其の壱では、遠野のしし踊りに関わりそうな歴史的記述の確認をしました。
今回は幕踊り系しし踊りとその周辺の剣舞について、岩手県の内、旧南部領だった地域を
中心に分布を見たいと思います。
(数字に関する基本資料は「いわての文化情報事典」から)
まずは、①幕踊り系しし踊りの分布状況についてです。
二戸市2、一戸町1、八幡平市1、岩手町1、滝沢市0、盛岡市4(他に太鼓踊り系1)、
雫石町0、矢巾町6、紫波町5、花巻市3(幕踊り系のみ)、北上市・奥州市0(南部藩領
ぶん)、野田村0、普代村0、 田野畑村2、岩泉町5、宮古市16、山田町2、大槌町5、
釜石市11(他に太鼓踊り系1)、遠野市20(幕踊り系のみ。中断・廃絶を除くと15)、
他に旧八戸藩領として軽米町2、葛巻町0、九戸村2、洋野町0、久慈市0 中断・廃絶
しているものを含め、調べられる範囲での数です。合計88(行政区数17/26)
f3 盛岡市 澤目獅子踊り 袴着用
②次に剣舞の分布状況を見ます。
二戸市0、一戸町0、八幡平市2、岩手町1、滝沢市0、盛岡市12、雫石町2、
矢巾町3、紫波町1、花巻市5(鬼剣舞は除く)、北上市・奥州市(旧藩境での区分仕分け
ができず)、野田村0、普代村0、 田野畑村1、岩泉町2、宮古市10、山田町3、
大槌町0、釜石市0、遠野市2(廃絶)、
他に旧八戸藩領として軽米町0、葛巻町1、九戸村2、洋野町0、久慈市4
中断・廃絶しているものを含め、調べられる範囲での数です。合計51(行政区数15/26)
ちなみに岩手県内の旧伊達領の内、鬼剣舞を除く剣舞は47。
f4 住田町 大平梅ノ木剣舞 お尻辺りに付けた模様の施されている四角い飾りが大口
以上から、幕踊り系しし踊りが多いのは遠野市20、宮古市16、釜石市11、矢巾町6、
盛岡(太鼓踊り系山岸獅子踊を含む)・紫波町・大槌町5となり
剣舞が多いのは盛岡市12、宮古市10、花巻市4,矢巾町・山田町3です。
但し行政区割で見ると、しし17/26、剣舞15/26と極端な違いはないようです。
次に幕踊り系しし踊りの服飾についてです。
しし頭、幕、かんながら、背中の流し、着物、履物、腰刺しなどがあり、それ以外には、
剣舞の多くで見られるお尻の飾り物として大口f4があります。
これは模様が無い大口袴のお尻側に模様が付くようになり、後にその模様部分だけが独立
した装飾となったものも大口と呼ぶようになったと考えられます。
能衣装では半切りとも云うようです。
また大口の他に羽織を腰に巻き付けた衣装を飾りとしたものも見られます。
③ 大口を付けている幕踊り系しし踊りの分布状況を見ます。
二戸市2/2、一戸町1/1、八幡平市0/1、岩手町1/1、滝沢市0/0、盛岡市5/5、
雫石町0/0、矢巾町3/6、紫波町5/5、花巻市2/3、北上市0/0、奥州市0/0、
野田村0/0、普代村0/0、田野畑村2/2、岩泉町4/5、宮古市2/16、山田町0/2、
大槌町5/5、釜石市0/12、遠野市0/20、
他に旧八戸藩領として軽米町2/2、葛巻町0/0、九戸村2/2、洋野町0/0、久慈市0/0
中断・廃絶しているものを含め、調べられる範囲での数です。
但し不明なのは0に入れます。 合計36/89(行政区数12/26)
伊達・南部領以外の山形県には幕踊り系も三匹獅子舞系のしし踊りもありますが、
大口は無いようです。勿論、関東から福島県(伊達領以外)までの三匹獅子舞系にも
ありません。しかし伊達領内の太鼓踊り系八鹿しし踊りには全てあります。
f5 大槌町 臼澤鹿子踊の大口
④ 剣舞の大口使用の分布状況を見ます。
二戸市0/0、一戸町0/0、八幡平市0/2、岩手町1/1、滝沢市0/0、盛岡市0/12、
雫石町0/2、矢巾町0/3、紫波町0/1、花巻市0/5(鬼剣舞は除く)、
北上・奥州市(旧南部領内での区分がわからず)、野田村0/0、普代村0/0、
田野畑村1/1、岩泉町0/2、宮古市4/10、山田町2/3、大槌町0/0、釜石市0/0、
遠野市0/2、
他に旧八戸藩領として軽米町0/0、葛巻町1/1、九戸村0/2、洋野町0/0、久慈市3/4
中断・廃絶しているもの、画像で確認できないものを含め、調べられる範囲での数です。
合計12/51(行政区数6/26)
南部領内では2割程度で少ないと思われます。これは盛岡周辺では永井の大念仏剣舞f6の
ように色とりどりの布をお尻付近に付ける例が多くなるからだと思われます。
旧伊達領内に残っている剣舞では、子供たちによるひな子剣舞を除くと、確認できるもの
全てが大口を使用しています。
f6 盛岡市 永井の大念仏剣舞
これらのことを念頭に置きながら幕踊り系しし踊りの大口使用について地域性があるのか
見ると山田町0/2、釜石市0/12、遠野市0/20、これは旧上閉伊郡になりますが、同じ上閉伊
郡の中で大槌町だけが5/5と全てのしし踊りで大口を付けており、特異な地域となります。
次に同じ閉伊郡の内、旧下閉伊郡では普代村0/0、田野畑村2/2,岩泉町4/5、宮古市2/16、
田野畑村と岩泉町では大口使用率が高く、宮古市では低くなります
田野畑村菅窪では剣舞としし踊り両方を行うことから説明できますが、
岩泉町はというと大槌町と同じように閉伊郡の中では特別なようです。
f7 田野畑村 菅窪鹿踊
これは何を意味するのでしょう?
しし踊りの伝播経路が異なっているということでしょうか?
考え方は逆で大槌町と岩泉町以外の閉伊郡の多くのしし踊りだけが大口を使用しないこと
から、遠野を含めたこの地域が、他と異なる変化をしたということなのかもしれません。
以上のことから大口に関しては、宮城・岩手両県のしし踊りと剣舞での使用率が高いこと、
関東周辺の三匹獅子舞系統のしし踊りでは使用されていないことから、
剣舞の影響を受けて使用されるようになったと考えられます。
其の参ではしし踊りに付属する踊りなどについて考えてみたいと思います。