先週は六神石神社のお祭りで、今回のは六角牛神社。どちらも「ろっこうしじんじゃ」です。
この六角牛神社は、六角牛山の青笹町糠前からの登り口にあり、笛吹峠の登り口でもあります。
どうして同じ読みの神社が同じ町内にあるのでしょう?
先週例祭の行われた中沢の六神石神社は、江戸時代には住吉大明神と云われ、
後に近くにあった六角牛新山宮を合祀し、六神石神社となったものです。
糠前の六角牛神社はと云うと、江戸時代には神楽大権現と呼ばれていました。
江戸時代の御領分社堂を見ると、糠前村 神楽権現 俗別当勘作 とあります。
「ものがたり青笹」を見ると、神楽田に屋号勘作どん と云う家があるようなので、
おそらく江戸時代に別当を務めていた系統かと思われます。
漢字違いの「ろっこうし」神社の命名には諸説あるようですが、ここでは触れません。
さて、翌日は砥森神社の神輿渡御だという27日(金)、
青笹しし踊りが28日(土)に六角牛神社で踊るようだとの情報が盛岡から入りました。
遠野ではなく、盛岡からという何とも今の遠野らしい情報経路です。苦笑
砥森神社の神輿渡御が終わってからの6時から神楽があって、
7時から青笹しし踊りということでしたが、流石に日中ずっと宮守にいて
そのまま青笹というのでは家庭的に具合が悪く、夕ご飯を食べに帰宅し、それから青笹へ!笑
やはり、遅れてしまいました。既に神楽が始まっていました。
この宵宮は2018年以来となります。
前回は、六神石神社のお祭りの後に、青笹しし踊りさんの門かけに密着した結果、
偶然にも、この宵宮へ導かれました。
あの時の感動をもう一度!です。
この宵宮と遠野まつりの時しか、まず見る事の無い六角牛神楽さんです。
苔むした地面と夜の灯りでのシンガクは、魅力的です。
神楽後、地域の皆さんが飲食をしながら待っていると、青笹しし踊りさんの登場です。
ちなみに、青笹町内に残っている芸能は六角牛神楽と青笹しし踊りの二つ。
神社へ奉納する大役のシシは、この地域の方だということです。
心配りがいいですね!
遠野まつりや六角牛神社のお祭りでも青笹しし踊りさんを観ていなかったので、
今年、初 です!
遠野まつり、六神石神社と連続での出演だったでしょうが、
元気いっぱい!
この会場には、郷土芸能がある度に福島県からお出でになっているというツワモノの姿があり、
翌日の砥森例祭にも、姿がありました。頭が下がります。
この晩のシシ頭のたてものをよく見ると、私がよく見るものと違うような・・・
柱がかりのシシは高校二年生だとのことです。
こうして若いエネルギーを注入していかないと、としょりシシになって行きます。
としょりと云えば、太鼓の同級生たちの姿も無し
ヒジャカブイタイだけでなく、腰悪い、肩痛いと
連続出演が難しい歳のシタズ(ひとたち)多し、後はK兄が頼りです。笑
そのK兄、久しぶりに声を聴いたら、なんか優しい声・・・気のせいかな?笑
神楽もそうでしたが、しし踊りも若い人達が中心で、とても良かったです!
あとすがりをしながら、最後に礼をして終わり。
私自身も、なんやかんやで、彼岸らしき事もせずに9月の終わりです。
10月には、例によって2度ばかり病院の検査の予定。
ヒザの件で散歩もしていないので、反省会ばかりになりそうです。